◆4-34 エレノアの父上様
エルフラード=トゥールベール侯爵視点
「旦那様、エレノアお嬢様が到着なさいました。
…またその様な場所で…もういい歳なのですから、子供の頃の様に梯子の上で読書するのはおやめ下さい」
老齢の侍女長が呼びに来た。
「分かった、分かった。まったく…口煩いな…いい歳は余計だ…。すぐに迎えに出る」
私は読んでいた本を閉じ、図書室に鍵を掛けて外に出た。
…例の子達を連れて来ると連絡があったな。
どの様に成長しているか、楽しみだ。
執事と侍女達は、先に玄関の外階段下で待機していると連絡があった。
私は侍女長のドリアテッサと共に玄関ホールで待ち構えた。
妻と子供達は第二邸宅に移動させている。
顔を合わせる事は無いだろう。
「仲は悪くないが…居心地は悪そうだからな…」
思わず、口から勝手に独り言がこぼれた。
外から護衛騎士の開門許可の声がする。
現在、執事は外で対応しているので、代わりに侍女長が返事をした。
護衛騎士達が重厚な玄関扉をゆっくりと押し開ける。
朝日を背にした美しい娘と、その後ろに二人の綺麗な子供達が立っていた。
「憎たらしい程…絵になるな…」
金髪赤眼の自分の娘を見て、呟いてしまった。
「アビゲイルお嬢様も、引けは取りません」
ブスッとした顔で愚痴をこぼすドリアテッサ。
「御父上様、ご無沙汰しております」
玄関の中で出迎えた私に、丁寧で相変わらず他人行儀な挨拶をする私の可愛い『娘』。
「相変わらずそうで何よりだ」
少々、皮肉を込めて言ってしまった。…つい、考えていることが口に出る。なかなか治らない悪癖だ。
「御父上様も、相変わらず御壮健そうで何よりですわ」
皮肉に被せて返して来た。性格の悪さも変わって無いようで何より。
「そちらが、バルバトス卿の…?」
「ええ…ダンテス=カリディア=ヨーク伯爵の御息女御令息ですわ」
「ああ…そうだったな…。すっかり見違えたな…」
私は、エレノアそっくりな赤い燃えるような瞳と、漆黒の髪を持つ姉弟の顔を見ながら、彼等の母親を思い出した。
…おっと…思い出に浸っている場合ではないな…。
私は挨拶より先に、玄関に3人を案内してきた執事と護衛騎士達に指示を出した。
「外門の施錠と、呼ばれていない訪問者達の排除を!」
「畏まりました」
壮年の執事は護衛騎士達を連れて玄関を出て扉を閉めた。
…この3人を見世物にするのはここ迄で充分だろう。
「初めまして…ではないが、覚えているか分からないからな。
改めて、エルフラード=ルクサス=トゥールベールだ。
帝国とか自称する辺境のド田舎国家で、偏屈な侯爵なんて下らない事をやっている只のうらぶれたおっさんだ。
気軽にフラード君とでも呼んでくれ」
私が自己紹介をすると、女の子の方が驚いた顔をした。
…やったぞ。貴族らしくない挨拶で驚かせてやった。
今迄、こんな挨拶をする貴族など見た事無かろう。
彼女達は姿勢を正し、揃って丁寧な挨拶を返した。
それぞれ、クラウディア=ガラティア=ヨーク、デミトリクス=トニトルス=ヨークと名乗った。
…そうか、今はそんな名前だったな。
「お久しぶりです。エルフラード叔父様。
最後にお会いしたのは、私が4歳の夏の時でしたね。
あの時頂いた本は残念ながら焼失してしまいました。しかし、内容は全て記憶しております。その節は本当に助かりました。
当時は幼さゆえに、大した返礼も出来ずに大変申し訳ございませんでした」
そう言って、深々と礼をした。
……覚えていたのか…!
私は驚いて目を丸くした。
「フフ…クラウディアの勝ちの様ですわ」
「相変わらず、大変優秀なお子様ですこと…」
「ドリアテッサ様、お久しぶりです。我が家でエルフラード叔父様を怒鳴りつけていらしたのが昨日の事のようですわ」
「私の事も覚えておいででしたか…」
侍女長は目を潤ませた。
「旦那様、エレノアお嬢様、この様な場所での立ち話は、お客様に品格を疑われますよ。
クラウディア様、デミトリクス様、応接室にご案内致します」
そう言って彼女は顔を背けると、玄関ホールから廊下に続く扉を押し開けた。
「ほら、御父上様が下らない遊びをしているから、ドリアテッサに怒られたじゃありませんか。早く行かないと、また拳骨落とされますよ?」
「この年で拳骨は嫌だなぁ…」
私はブツブツと呟きながら、ズカズカと先に進む侍女長の後を追った。
◆◆◆
侍女達が場を整え茶の用意が済んだところで、侍女長が人払いをした。
私が先に食して毒見の様子を見せる…という手順を踏もうと思ったら、エレノアが既に手を付けていた。
「…はしたないぞ。ちゃんと手順を踏みなさい」
「御父上様が私を毒殺する訳ないでしょう?操られていない事は先程の会話で分かってますし」
「信頼は嬉しいのだがな…」
…操られている…か。帝国の現状も把握している様だな…
「時間もありませんし、必要な話はさっさと終わらせましょう」
「そうだな…あまり長話していると、ヨーク伯爵との関係まで邪推されるからな…ハァ…」
せっかくの『娘』との会合も監視付きだと気を遣うな。
この子達が不自然でなく滞在出来る時間は昼餐迄だ。
つまらん話はさっさと終わらせよう。
「まずはそちらからだ…聖教国の現状は…?」
「ヘルメス枢機卿が完全に堕ちました。種は発芽した様です。
彼の執事や騎士を含め、彼の領土は陥落しています。
ヘルメスが、騎士達や兵士達に対して、定期的に『魅了』を掛けている事を確認しています。
かなり強く掛かっている様で、まともな会話が成立しない様ですわ。
それと、潜入させていたメンダクスの部下もやられたそうです。
彼の部下が対魅了魔導具を装備していた事から、部下をやった犯人はヘルメスに対して精神汚染を掛けていた者と同じ者だと思われます。
以前のヘルメスの行動から、恐らく『欲』を操る精神汚染かと…」
ヘルメスか…。アイツの能力はやばいが、その奴に精神汚染を掛けられるくらいの能力者か…。
精神支配系の『魅了』が精神汚染系の『欲』で支配されたか。笑えないな。
『欲』の様な精神汚染系能力者は登録が必要だが…どうせ未登録だろうから、調べるだけ無駄だな。
「…メンダクス殿の部下も『欲』にか…?」
「『欲』は、応用次第で相手の行動を操れます。
何かに目が眩んだ隙に一瞬で殺されたか、若しくは寝返ったか…状況から寝返った可能性が高いですわ。
ヘルメスすら操る能力者なら、精神汚染耐性の無い者など容易いでしょう」
そう言って、紅茶を一口含む。
優雅なお茶の仕草に似合わない、無骨で殺伐とした会話。
クラウディア達は何も反応せず、黙って聞いている。
当然知っている内容なのだ。
まともな子供には聞かせるべきでは無いような報告なのに。
…順風満帆で幸せな人生を送れた筈のこの子達が、奴等のせいで波乱万丈な人生になってしまったな…。
「ヘルメスの処理は?」
「彼に種を植え付けた容疑者を処理した後、すぐに行う予定でしたが…」
…歯切れが悪いな?
「叔父様…ヘルメスを助ける方法はありますか?」
黙って聞いていたクラウディアが、突然話し掛けてきた。
全く想像もしなかった言葉だった。
「…ヘルメスを助ける?何の為に?」
「…強いて言えば…笛の最大戦力の心の平穏…ですか…。
それと、ある仕事をしてもらうのに彼女の力が必要なので…取引材料になる物が欲しいのです」
最大戦力?彼女?誰の事だ?
「この子は、ヴァネッサが使い物にならなくなるかも知れない、と危惧してます」
「ああ…ヘルメスの娘か…。それはそんなに弱いのか?」
「心の強い弱いで言えば…先日までは、ただの箱入り娘でしたから…。
私が話してみた感触では、無理をして虚勢を張っている可愛い娘…でしたわ。
父親を助けるために私を強迫してきました。
あんな事すれば、父親諸共殺されるだろうことは分かっていたでしょうに…。
少し殺気をぶつけたら、脚を震わせて涙を溢しながらも、必死に背筋を伸ばしていた可愛い娘。
クラウディアは、その彼女をデミトリクスと婚約させて、逃げられない様にしてから仲間に引き込みましたからね。…気にしているのでしょう」
…貴族ならよく使う手法ではないか。気にする程の事か?
「…この子達が『笛』の者だから誤解されがちですが、一応まだ12歳前後の子供達ですからね?」
「口にはしてなかった筈だが…」
「長い付き合いですからね」
…そうだったな。そう考えると、エレノアやアビゲイルにも随分と無理させたのだな。
「ヘルメスを…殺したい程憎んでいた筈ではなかったのか?」
クラウディアの目を、じっと覗き込みながら尋ねた。
「今でも殺したいです。
目の前に居たら躊躇なく実行するでしょう。
でも、ヴァネッサはデミ…弟にとって大切な人だそうです。
私も彼女には恨みはありません…。
その彼女が、必死に父親を救う方法を探しているのです」
本心か…この子も甘いな。だが、ヘルメスを生かす…か。
奴を殺すのは簡単だが…もし生かせるならば、助けて利用する方が良いか…?
「そなたが仇討ちを諦めるというなら、それも良いだろう。
感情より合理を取るのも貴族らしくて良い。
そもそも、現在帝国に居ない者をどうするかを判断するのは私ではない。メンダクス殿の仕事だ」
私は温くなった紅茶を一口含んでから、再度口を開いた。
「種が既に発芽した『孫』の元の人格を取り戻す方法か…。
発芽前の『孫候補』だった時は、メンダクス殿のやり方で戻った事例はあるのだが、発芽後に戻った事例は無い。
だが…有るか無いかで言えば…可能性は有る…と考えている。
あくまで経験から来る推測に過ぎない。やった事が無いからな。
デーメーテール様なら、より確実な方法を知っているかも知れないが…
難易度が高く、運の要素が多分に絡むので難しく、その上出来るかもしれないという程度のあやふやな方法だが、ヴァネッサとの取引材料としては充分だろう」
そう言って、クラウディア達に手順を教えた。




