◆4-30 泉に落ちた宝石
ジェシカ視点
「当商会で仕入れた本は、一度全て修復してから店頭に並べております。
修復は、当商会が専属契約した修復家達が、一冊一冊心を込めて丁寧に行っております。
本によっては、修復に数年かかる物もございます」
『知識の泉』のオーナー、ヴァレンティは店の商品説明をしながら、二階の修復室へ私達を案内した。
一階部分の天井が高かったから、二階まで上がる階段が結構長い。
私やクラウディア、イルルカは平気だが、ルーナやマリアンヌ達、ひ弱お嬢様連中は階段途中で息を切らして立ち止まっている。
サリーやマクスウェルは、ルーナ達に手を貸そうとして断られてから、心配そうに二人の後をウロウロとつけ回している。似たもの同士ね。
ひ弱連代表のヴァネッサは、デミトリクスの腕にギュッと掴まりながら、最後尾をゆっくりと上がっている。
エスコートされている体なので、公然と長時間デミに抱き着いていても何も言えない。
顔がニヤけているのが、少しみっともない。
「ご存知とは思いますが、古代文書類は未知の紙や未知のインクを使用しているものが多く現代には残っておりません。なので、近い素材を一から作成して修復しております。
途切れた文字や線も、古代文字一文字毎に丁寧に調査した後に修復を行う為、非常に時間がかかります。
それ故、古代文書は本ではなく遺物扱いとなり、本よりも遥かに高い値段となってしまうのです」
ヴァレンティの説明に、クラウディアが素直に頷いて聞いている。
…何度も、高価だけれど本当に払えるの?と聞いて来るわね…しつこい。
「取り敢えず、手持ちで帝国兌換紙幣10枚持ってきたわ。足りなければ後で追加分は持ってくるわよ?」
私の言葉にヴァレンティが息を呑んだ。
「わ…私も…20枚程度…持って来た…から、それで…足りるかしら…?足りない…なら…すぐに追加…持って来るわ…」
ルーナが、階段途中で息も途切れ途切れに追加ベットした。
今度はイルルカ達まで息を呑んだ。
…私達の手持ち資金だけで、小さい貴族の家が一棟丸ごと買える金額だからね。追加すれば伯爵家でも買ってみせるわ。
帝国兌換紙幣は、一枚で聖教国金貨約10枚分を保証する。
聖教国兌換紙幣と違い絵画の入っていない簡易的な造りだけれど、最低限必要な潜像模様もパール印刷も所有者管理コードもある。それに、小さい分持ち運びに便利。
所有者管理コードは16桁の番号。ランダムに見えて、其々の桁に知る人が見ると分かる意味が隠されている。
その意味と、定期的に更新される管理コード台帳を照らし合わせると、その兌換紙幣の歴代所有者が判明する。
その所有者記録と使用者が適合しない場合、騎士団の取り調べが待っている。
使用する際は聖教国兌換紙幣と同じ様に、書類での手続きが必要。
その移行手続きは面倒だけれど、価値を考えると当然の措置。
私達は交流会に参加する事が決まってからすぐに、数十枚単位の移行手続きは済ませてあった。
普通の本は、高くても金貨10枚分程度なので、私の今の手持ちだけで10冊は買える計算。
古代文書が高くても2〜3冊程度は買えるでしょう。
マクスウェルとマリアンヌまで、目を丸くしている。
『笛』に居るとかなりの手当が出るけれど、私はお金を無駄に使う事が嫌いだから、貯まる一方。
馬鹿な貴族が喧嘩を売ってきた時用に、無駄に貯金してる。
喧嘩は金の強い方が勝つからね。
ヴァレンティは安心したように歩を進めた。
◆◆◆
二階に着くと、一階同様の広大な部屋が広がっていた。
ただ、一階に比べて天井はそこ迄高くはない。
そこには10人程の修復家達が活動していた。
ヴァレンティと私達が顔を出すと、皆が手を止めて無言で立ち上がり、こちらに軽く礼をした。
礼をした後すぐに仕事に戻り、こちらには視線も向けなかった。
「無礼をお許し下さい。
この者達には、修復に全ての時間を注ぐ様に契約してありますので、お客様対応は仕事には含まれておりません」
ヴァレンティは申し訳無さそうに謝罪した。
「いえいえ!とても好感の持てる対応ですわ!」
何故かクラウディアが嬉しそう。
ヴァレンティも吃驚している。
人に注目される事が嫌いで、合理性の塊みたいなクラウディアには理想的な職場ね。
「お嬢様がお求めの古文書類はこちらで扱っております」
ヴァレンティが案内した席では、くすんだ赤髪をひっつめ髪にして眼鏡を掛けた、いかにも真面目そうな女性が修復作業を行っていた。
服は上下つなぎの、小さいサイズの男性用作業服に前掛け。
何度洗っても落ちなかったと言い訳するかの様なインク汚れが全体についていて、斑模様になっていた。
色気も全て捨てて仕事に専念している女性っていうカンジ。
「メイナ、御客様に修復中の品を紹介しておくれ」
ヴァレンティが声をかけると、メイナと呼ばれた女性は顔を上げた。
メイナは訝しげにクラウディア達を品定めしている。
「…構いませんが…。この様な子供に、この本の素晴らしさが理解出来るのでしょうか?」
メイナはクラウディアに堂々と喧嘩を売った。
「詳しく見せて頂けますか?」
クラウディアは、全く気にせずに修復中の本を覗き込んだ。
クラウディアはメイナから手袋を借りて、修復中の本を慎重にめくった。
口にハンカチを当てて、意味の解らない図形をじっと眺めた。
一通り眺めた後、次のページを開く。
唾が飛ばないよう息を止めてから、ゆっくりと丁寧に扱った。
クラウディアの修復家の様な所作に、メイナもヴァレンティも驚いた顔をした。
少し興味が湧いて横から覗き込むと、見た事の無い言語で書かれた本だった。
本の中央には妙な模様の入った六角図形が全てのページに描かれている。
凄く緻密な模様に目がチカチカする。
ざっと全てのページを確認した後、クラウディアが徐ろに口を開いた。
「こちらを頂きます。いくらでしょう?」
一瞬、何を言われたか分からなかったヴァレンティは、え…?、と応えた。
メイナも、ポカンとした顔をして、クラウディアの顔を覗き込んだ。
「ちょっ…ちょっと!まだ修復中よ!
欠けている文字や図形も多くて、翻訳もまだ途中よ?
内容は判読出来るような状態じゃないわ!」
メイナは慌ててクラウディアを止めた。
「構いません。…ヴァレンティ様、おいくらですか?」
ヴァレンティはハッと我に返り、帝国兌換紙幣5枚と答えた。
流石の高額さに、修復作業中の者達は手を止めてこちらを見た。
クラウディアは持っていたポーチから帝国兌換紙幣10枚を取り出し、「一階にあった、これと似た本も含めて頂きますわ」と応えた。
見た目子供のクラウディアが、修復家5年分の給金同額をポンと吐き出し、修復家達も内容の分からない本を二冊も購入した。
「クラウが買うなら、私も…。
一階に展示してあった、手から糸を出す魔人の絵が描かれた本。あれが欲しいわ!」
「…あ、あれも兌換紙幣5枚です…。しかし、まずはもう少し内容を確かめてからお買い上げ頂いても…?」
ルーナはサリーに目配せすると、サリーはすぐに兌換紙幣を取り出しヴァレンティに手渡した。
高価な品の取引に慣れているであろうヴァレンティも気後れして、苦笑いしていた。
それを見た私も購買欲が疼き、買おうかどうか迷っていた魔物と野草の図鑑を購入した。
そちらは古代文書類ではなかったので、2冊で兌換紙幣1枚で済んだ。
高価な品を、まるで市場で野菜でも買うかのような気軽さで購入している子供達を見て、修復家達もヴァレンティも啞然としていた。
流石に、つい先日まで借金に右往左往し自炊までしていたマクスウェル達や、イリアス枢機卿に引き取られるまで日々の暮らしにも苦労して、食料確保の為に時折危険な森に入って死にかけていた元平民のイルルカは、購入しなかった。
「デミ…欲しい本があったの?」
デミトリクスの様子に気付いたヴァネッサが声を掛ける。
「欲しい…?そうなのかな…?そうかも?」
そう言いながら、架台に開かれて置かれていた修復前の古代文書をじっと見ていた。
覗き見ると、馬の居ない大きな馬車に大筒が取付けられている、意味の分からない精密画が描かれている本だった。
金属光沢のある鳥やドーナツ型のモノが空を飛んでいる絵が描かれているページもあり、隣のページに精密図形が描かれていた。
他にも、デミトリクスの持っているクラウディア式魔導銃にそっくりな絵の描いてある本もあった。
相変わらず見たことの無い文字が書かれていて、内容は分からない。
…これ、クラウの創った物にそっくり…?何故?
「欲しい…のかな…?」
「それなら、取り敢えず買っておきましょう」
そう言って、ヴァネッサはヴァレンティを呼んで、即金で購入した。
そちらも、2冊で帝国兌換紙幣10枚だった。
…自分は読めないのに、彼氏の為に『取り敢えず』で金貨100枚分の本を購入するとか…。駄目だコイツ、早く何とかしないと…。
「お…お嬢様方…、取り敢えず購入契約書を作成致しますので、一階の契約室にご案内致します…」
そう言って、若干疲れた様子でヴァレンティは階段を下り始めた。
◆◆◆
ヴァレンティが部屋の隅で古代文書類売買契約書を作成している。
私達はお茶を啜りながら、古代文書を運んで来て、中身の状態を確認しながら丁寧に梱包しているメイナ女史に色々と尋ねた。
「こういう本はどうやって入手しているのですか?」
「…一概には言えないけれど、多くは流れて来た物です」
「『流れ』?」
意味が分からなかったらしく、ルーナが首を傾げる。
「『流れ』というのは、質流れの事よ。
借金の担保に本を預け入れていたけれど、お金が返せなくて本がこの店に『流れ』て来たのね」
「左様でございます」
書類を作成しながらヴァレンティが答えた。
「質ではなく、直接の持ち込みもありますわ。
出自がはっきりした商品には買値が上乗せされますから、質流れになるくらいなら…って考えて持ち込む方もいらっしゃいます」
テキパキと梱包作業をしながら答えるメイナ女史。
「へぇー。他には?」
「他は、裏とか…」
「こら!メイナくん!」
ヴァレンティがいきなり怒鳴った。
メイナはハッとして、失礼致しました。と、謝罪した。
「裏?」
「こちらは盗品も扱うの?」
マリアンヌとルーナが顔を見合わせた。
「いえいえ!誤解なきよう、お願いいたします。
私共は盗品は扱いません…が…間接的に盗品になってしまう物もございまして…」
ヴァレンティがあたふたしながら言い訳をする。
「言い方が悪かったですわね。
私共の言う『裏』とは、騎士団流れの商品ですわ」
メイナが補足する。
「騎士団流れ?」
「ああ…聖教国でもあるわね。犯罪組織壊滅時の収集品。
持ち主も相続人も死亡していて返却出来ない商品を、各商会に流して軍の経費に充てる事よ。窃盗なら兎も角、強盗だと一家皆殺しも普通にあるからね。
大々的に売却すると批判が出るから、騎士団も軍もこっそりやってるわ」
解説しながら、包まれた本を大事そうに抱えるクラウディア。
…そう言えば、ベネフィカ達も私達が本を持っていたから狙ったんだったわね。
本当は犯罪組織からも買ってるのだろうけど、言うわけ無いわよね。
「…詳しいですね。
騎士団も表門から堂々と売却出来ない品は、裏門からこっそり売りに来るのです。
だから私達は『裏』と呼んでおります」
「そう言えば、カニス家が取り潰しにあったでしょう?
ここに売ってたりして…?」
私が冗談を言うと、ヴァレンティの視線が揺らいだ。
…あら、図星。
ま、アイツ等の蒐集品なんかに興味は無いけどね。
聖教国金貨一枚100万円
帝国兌換紙幣一枚1000万円
10枚で一億円くらいのイメージ。




