鏡沼5
朝日が顔を出し、陽の光が森の中を横から真っ直ぐに貫いて来た。
結局あの後、周囲を暫く捜索したが、スランは見つからなかった。
兄貴は、スランの家族になんと説明したら良いかを悩んでいた。
皆、見た。
確かに見ていた。
声も聞いた。
スランは発砲していた。
狂っていたのも分かっていた。
自殺する直前のスランの悲鳴を、皆が聞いていた。
結局自殺…したのだろうか…?
死体は見つからなかった。
俺とモーリスは石に腰を下ろした。
深夜の森を獣達を警戒しながら追跡したので、身体は泥土に浸かったかの様に重い。
「モーリス…お前も死体を見たんだよな…?」
「ああ…、自分の頭を撃ち抜いた死体…だった様に見えた」
モーリスは目頭を押さえながら、小声で呟いた。
「結局、俺達が見たものは何だったんだ?…本物としか思えなかった…よな?」
「う〜ん…結局、本物と偽物を区別するのは脳だからな。土塊を脳が本物だと判断してしまったのかもなぁ。
陽の光に目が眩んで見間違えたのかねぇ…?」
モーリスも憔悴している様子だった。
「…お前も辛そうだな。いつものお前なら、死体でなくて良かったとか言いそうだが」
「俺にも本物にしか見えなかったからなぁ…。流石にびびったよ…」
二人で、同時に溜息を吐きながら項垂れた。
「おい…ナタン。何をやってるんだ?帰るぞ…」
村長がこちらに声を掛けた。
一通り捜索したが、結局発見出来ずに引き上げる事になったようだ。
「ああ…兄貴。結局、スランの家族には何て?」
「う…行方不明…と言うしか無いだろう…な…。目の前に居た筈なのに…情けない」
いつも豪胆な村長すら、意気消沈している。
「兄貴…。俺には、あの土塊が死体に見えちまった…。リアルな死体にな…。火薬と血の混じる匂いが…う…頭が痛い」
俺は目頭を押さえた。
「無理もない。丁度、あの木の洞から発砲していたし、俺もスランだと思っていた。声もスランだった。
長時間の追跡で疲れていたし、暗かったからな…見間違えても仕方ない」
村長は疲れた顔で、俺の横に腰を下ろした。
「丁度、陽が昇り始めていたから、真っ暗では無かったがな。朝日で逆に目が眩んだのかもしれねぇ…。
俺は夜目が効く代わりに、強い光に弱いからな」
…昨年の出来事のせいで、強い光が怖いとは言えねぇ。詳しく聞かれたら、俺も鏡沼に入った事がバレちまう。
「俺達は、お前が気持ち悪そうにしている様子を見てスランが死んだと確信して覗いたからな。
俺でも一瞬死体に見えた。だから気にするな」
村長が俺の肩を優しく叩く。
「俺は、モーリスの奴が木の洞でスランを罵っている様子を見てスランが死んだと確信してしまった…。思い込みって怖いもんだな」
俺が呟くと村長は眉を潜めた。
怪訝な表情で俺を見る。
暫く沈黙した後、ゆっくりと口を開いた。
「…誰だって?」
「…何が?」
兄貴の言葉の意味が分からず、聞き返した。
「誰が、スランを罵ったって?」
「…?…モーリスだよ。俺より先に木の洞を覗いたろうが。なぁ、モーリス?」
俺は、モーリスの方に顔を向けた。
…そこには誰も居なかった。
「あ?モーリスの奴、どこへ行った?」
「ナタン?お前、何を言っている?」
「いや?さっき迄、俺と一緒にモーリスが居たろ?ここに」
「…お前は、ずっと一人で座っていたぞ?」
「…え?」
俺は周囲を見回した。
「そもそも、何処のモーリスだって?」
村長は眉間にシワを寄せて訊いてくる。
「は?…兄貴は何を…?俺達はずっと一緒に狩りをしてきたじゃないか。隣に住んでる幼馴染みのモーリスだよ」
「お前が言っているのは、子供の頃隣に住んでいたモーリスの事か?」
…住んでいた…?言葉の使い方がおかしくないか?
「兄貴こそ何を…?住んでいた、じゃなくて住んでいるだろう?」
村長の言っている事の意味が解らず、訊き返した。
「何を言っている…?
…二十年以上前にアイツは森で行方不明になっただろう?
お前が子供の頃の事件じゃないか…。
結局、もう死んでいるとして捜索も打ち切りになって。
…モーリスの両親も自殺しちまって、あそこは今は廃墟だろうが…大丈夫か…?」
その時、突然に俺は思い出した。
いや、知ってはいた。
気付かぬふりをしていた違和感を思い出した。
付いてきていた同行者の男が、モーリスの方向を一度も見ていなかった事に。
そして思い出せなかった事を思い出した。
スランや他の奴等の猟法や癖、足跡、匂い…皆思い出せるのに…モーリスだけ思い出せない。
顔も声もはっきりと思い出せるのに、それ以外の特徴が一切思い出せない。
映像と音声だけ。匂いが無い。足跡が無い。
生きている人間としての特徴を思い出せない。
「いやいや!そんな馬鹿な!
スランの追跡には初めからモーリスも居た!3人で出発するところを兄貴も見たろ?」
「何を言っている?お前達は二人で森に入ったろう?」
…モーリスは…居ない…?
『アレ』は俺が望んだ『幼馴染み』の姿だったのか…?
「そ…そんな馬鹿な!
そうだ!昨年、鏡沼から逃れた俺を見つけてくれたのは誰だと言うんだ!モーリスだろうが!」
俺は思わず叫んだ。
「昨年?何を言っている?鏡沼?ここに来たのか?」
「昨年だよ!息子が行方不明になった時!兄貴も捜索に加わっただろ!」
「息子?お前こそ何を言っている?お前は結婚もしていないだろうが!」
…兄貴は何を言っている?
「あ!おい!どこへ!?」
村長の声が森に響いた。
俺はすぐに立ち上がって、走り出した。
今迄に無い位の全力疾走だった。
肺が破れる様な気がした。
森の肉食の獣達も俺の迫力に気圧されたのか、襲っては来なかった。それどころか、道を空けて逃げていった。
嫌な汗が吹き出す。
昨年の、肺の中の重たい水を思い出す。
身体が、脚が、泥濘の中を進むかの様に重く感じる。
力を振り絞り、森の中を跳ねる。
刹那だか、一瞬だか、一刻だか分からない時間を、駆け抜けた。
◆◆◆
森を抜けた場所にある、村外れの一軒家。
いつもなら、息子が既に起きて水汲みしている筈。
いつもなら、妻が自宅の竈でパンを焼いている筈。
自宅は暗かった。
人の気配が無かった。
震える脚で、門を抜けた。
震える手で、扉を開いた。
…そこには誰も居なかった。
俺の部屋以外、埃を被っていた。
寝室には、俺のベッドしか無かった。
食堂には、俺の食器しか無かった。
長持には、俺の服しか無かった。
俺の物以外は、何も無かった。
怖さのあまり、叫んだ。
半狂乱になりながら、妻と息子を探した。
美しい妻と息子。
狩の上手い、綺麗な妻。
頭のいい、可愛い息子。
出来過ぎた、俺の家族。
二人は…大丈夫…な筈だ…
名前を呼ぼうとして、気がついた。
名前が、ワカラナイ。
顔が、オモイダセナイ。
確か、美しい家族だった…気がする。
ずっと一緒に居た筈。
抱き締めた温もりを覚えている。
撫でた髪の毛の感触を覚えている。
綺麗な顔だった…筈だ。
こんな美人が、何で俺なんかに…と。
こんな頭の良い息子が、俺の子なのか…と。
いつ、彼女に会ったか思い出せない。
いつ、婚姻の誓いをしたか思い出せない。
いつ、息子が産まれたか思い出せない。
「嘘だ…、俺は…」
俺は床にへたり込んだ。
二人は…大丈夫。おかしいのは…俺だ。
俺は…怖い。
夢から覚めるのが怖いのか、覚めないのが怖いのか。
分からない自分自身が怖い。
「夢…だな。悪夢から覚めないと…。息子に狩りを教えてやる約束がある…。早く帰らないと…」
ふらふらと立ち上がり、入口に置いてあった銃を手に取った。
…俺は銃口を咥えた。
◆◆◆
「村長!ナタンの奴は何処にも居ません」
狩人仲間達がナタンの家と周囲を捜している。
「本当に隅々まで捜したのか!?」
俺はイライラしながら、仲間達に八つ当たりをした。
「家にはナタンの銃だけが落ちていました…」
「銃を置いて一人で森に入ったのか!?」
…マズイ。いくら天才的な狩りの腕を持つ弟でも、銃無しでは猪相手でも危険だ。
「恐らくは…。ただ一つだけ、おかしな事が…」
「何だ!?」
「ナタンの家の中には土の塊が…銃の側に…」
「土…?」
「乾燥していて、扉を開けたら風で飛んで行ってしまいましたが…かなりの量でした」
銃に土塊?スランの時と同じ…?
「…よくわからんな。
とにかく、銃無しで森に入るのは無謀だ。
スランが行方不明な今は、狩人頭候補はナタンしかいねぇ!
森の中も捜索範囲に加えろ!村人総出で捜し出せ!」
◆◆◆
「…はっ!あれ?」
「おう、ナタン!やっと起きたか!」
「貴方、全然起きないのだもの…心配したわ」
「父ちゃん、寝坊助だねー。僕より寝てるなんて珍しい」
モーリスと妻と息子が家の居間に居た。
「あ…あれ?ああ…何だか嫌な夢を見た様な気がする…」
俺は、痛む頭を抑えた。
「道理でな。お前は子供の頃から、時々酷くうなされては飛び起きていたっけな」
「夢は夢よ。気にしなくて良いのよ。顔を洗ったら外で食事でもしましょう。用意出来てるわ。」
「そうだよ父ちゃん。お外に行こう、いい天気だよ。今度、狩りの仕方を教えてくれる約束だったでしょ?」
…何か忘れた気がするが、思い出さない方が良い気がする。
「ああ…そうだったな。お前を一流の狩人にするのが俺の夢だった…。モーリス手伝ってくれ。ご飯を食べたら森に行こう」
「やったー。モーリスおじちゃん、宜しくね」
「しょうがねえなぁ…未来の狩人頭の為に一肌脱ぐか!」
「いつも悪いわね。モーリスさん…いっぱい食べて行って下さいな」
俺は妻を抱きしめ、息子の頭に手を置いた。
…暖かい。
目頭が熱くなる。
何故か理由が分からない。
家の窓から外を覗くと、空は揺らめきながら銀色に光り輝いていた。
水面を透過した無数の光の粒が星の様に煌めいて、我が家を明るく照らしていた。
「ああ…明るいなぁ。今日も良い天気だ…」
俺は射し込む光に目を細めた。
ハロウィン企画『鏡沼〜土塊の見る夢〜』
自分の記憶も存在も、他の『何か』によって創られたものだったら、面白いかなぁ…と。
流石に二万文字位の話をハロウィン一晩で読むのは辛み。
なので、5等分させて頂きました。花嫁か?
時間も稼げたし…ね|ω・`)




