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神代の魔導具士 豊穣の女神  作者: 黒猫ミー助
ソルガ原書
126/287

鏡沼3




 俺と息子は鏡沼から漏れ出す光から逃れる様に、影の濃い場所を渡り歩きながら、姿勢を低くして慎重に歩いた。

 湖面の揺れは不規則な筈なのに、月や星の反射光は俺達の居た辺りを照らしている。

 『奴』が俺達を捜し回っている。そんな確信があった。


 こちらの視線に気付かれそうな予感がして、鏡沼の方向を見れない。

 息子もそれは同じだったらしく、沼とは反対の闇の中をずっと凝視して居た。


 幸い、滑り込んだ場所が丘の影になっている所だったので、影を伝って逃げ帰るのに問題は無い。

 しかし、いつ『光』が丘のこちら側を覗き込んで来るかと、ひやひやしていた。

 相手は『沼』なのだから、そんな事ができる筈無いと分かっていたのだが…。


 『奴』に耳が無い事は何故か理解していた。

 しかし俺達は、出来る限り足音を立てない様に、慎重に濃い影を選んで進んだ。


 沼の水で濡れた服が重い。

 水の滴る足音を聞かれないかと、ビクビクしていた。

 息子には、狩りで使う手信号で『一切の音を出さない』様に指示をする。

 自分の身体の影に息子の身体を隠しながら、ゆっくりと鏡沼から離れて行った。



◆◆◆



 「はぁ…」

 「もう…大丈夫?」

 「ああ…湿地は抜けた。奴からは見えない筈だ」


 俺と息子は草木の生い茂る深い森に戻って来た。

 狼や熊が出没する森だが、鏡沼のある湿地より安全だと、今でははっきりと理解していた。


 「兄貴の言う通りだな…初めて見たが、あれは()()()()モノだ…」

 「僕、何があったか覚えてないけど、背中の方から凄く怖い何かが這いずって来ている様な気がしたよ…」


 緊張が解けた事で、俺達は少し饒舌になった。

 今頃になって手足が震えだし、二人して地面に座り込んでしまった。

 獣達に見つかるといけないので、木の(うろ)を探して二人で隠れた。幸い、沼の水を被ったおかげで匂いは消えている。

 震えが鎮まるまでの間、俺達は家の事や家で心配している母さんの事を話して、気を紛らわせた。



 「おーい!ナタン!どこだ!?」

 遠くから、自分の名を呼ぶ声が聞こえた。


 「おう!モーリス!ここだ!」

 「モーリスおじちゃん!こっち!」


 自分達の隠れている木の洞を、見慣れた剽軽(ひょうきん)な顔が覗き込む。


 「良かった。無事だったか…」

 「ああ、息子も無事だ。少し服が濡れたんでな。ここで乾かしてたんだ」

 「濡れた…?川にでも落ちたか?」

 「ううん!違うの、…んぐ」


 俺は息子の口を咄嗟に抑えた。


 「…どうしたって?」

 「ああ、息子が足を滑らせて流されたのを必死に引き上げたんだ。

 引き上げた川辺が粘土層だったんでな。転んで泥だらけになっちまった」


 『鏡沼には近づくな』

 兄貴に鏡沼に入った事がバレると面倒だと思い、つい、嘘をついた。


 「そうか…大変だったな。しかし、二人共無事で何よりだ。

 …二人だけで戻れるか?」

 「ああ、服が乾いたらすぐに帰る」

 「分かった。じゃぁ俺は捜索を手伝ってくれてる奴等に撤収の連絡してくるわ。

 …あ!ついでに奥さんに風呂を沸かしておいてくれる様に話しとくな」

 「すまねぇ。助かる」


 モーリスは軽く手を振ると、風のように走り去って行った。


 「…鏡沼の事はモーリスおじちゃんにも内緒なの?」

 「ああ…。村の掟だからな。母さんにも内緒な。心配かけるからな」

 「うん。わかった。二人だけの秘密だね」

 そう言って、息子はニカッと笑った。


 …ああ、この笑顔を失わなくて良かった…。

 俺は息子を強く抱き締めた。



◆◆◆



 「あの時は、大変だったよなぁ…。良く出来た息子だったから過信していたって事かねぇ?」

 「そうだな…。慣れた裏庭が、突然息の出来ない沼の底になる。森とはそういうもんだ…。」

 「ほぅほぅ…村長が口を酸っぱくして言っている鏡沼とかけて例えるか。良く似た兄弟だなぁ」


 …良く似た兄弟か。

 昔は、言われて嫌な気持ちになったもんだが、今は何にも感じないな。


 鏡沼は怖い。決して近づくな。

 兄貴が昔から煩く言っていたっけ。

 若い頃はこの言葉にも反発して、沼を見つけてやる!って、モーリスと二人で森中を駆け回ったもんだったな。


 まさか、歳とって初めて発見して、この歳になる迄感じた事の無い恐怖を味わうとはなぁ…。


 ボーッと考えていたら、いつの間にか向かいの席を離れたモーリスは、皆の輪に加わって騒いで居た。


 …相変わらず、チョロチョロと…。人の話を聞く気があるのか無いのか…。


 俺は酒の椀を空にすると立ち上がり、兄貴に先に帰る事を告げて酒場を出た。




 虫の声が響く夜の村を、一人で歩く。

 太陽が沈んでも、月と星の灯りが眩しい。


 以前は夜明けの光に安堵したものだった。

 だが昨年の経験のせいか、今は闇の中を貫く眩し過ぎる光が怖くなった。

 夜明けに射し込む太陽の光を見ると、鏡沼の光を思い出してしまう。反射的に木や建物の影に隠れてしまう様になった。


 各家から蠟燭の薄暗い灯りが漏れている。

 この位の明るさの灯火(あかり)が丁度いい。

 今では、この明るさ(くらさ)に安堵する。


 酒場に居る旦那の帰りを、文句を垂れながら待っているのかな?なんて事を考えながら、俺は村外れの我が家へと向かった。


 「あなた、お帰りなさい」

 「父ちゃん、お帰り」


 家に着くと、妻と息子が起きて待っていた。


 「まだ、起きていたのか?先に寝ていれば良かったのに」

 「あなたこそ、こんなに早く帰って良かったの?モーリスさんが、あなたのお祝いだって言ってたわよ?」

 「そうなのか?モーリスの奴、余計なことを」

 「父ちゃん、大熊を倒したんだってね。凄いな。僕も狐ばかりじゃなくて、熊も狩れる様になりたいよ!」

 「もう少し大きくなったらな。狩りを教えてやる。お前なら俺より凄い狩人になれるぞ!」

 「やったー!」


 俺は笑いながら、はしゃぐ息子の頭を撫でた。



◆◆◆



 ドンドンドン…


 まだ日も昇らない時間に、誰かが戸を叩く音で目が覚めた。

 俺は眠い目を擦りながら、扉の(かんぬき)を外した。


 「ん…兄貴?どうした?」

 「ああ、朝早くにスマンな。今日位はゆっくりさせてやりたかったが緊急事態だ。悪いが、すぐに追跡用の支度をして村の中央広場に来てくれ。当たり前だが武器を忘れるなよ」

 「追跡の…?ああ分かった、すぐに行く」


 それだけ言うと、兄貴は慌てて引き返して行った。


 俺は、いつもの装備を用意して猟銃を背負った。

 妻と息子はまだ寝ている様子だったので、俺は音を立てないように家を出た。


 周囲はまだ暗い。

 だが、後数刻しない内に夜が明けるのが感覚的に解る。

 夜目に慣れている俺には、このくらいの時間は昼間より見やすいので問題は無い。


 中央広場には、追跡の得意な猟師達が集められていた。

 モーリスの奴も居たが、珍しく真剣な表情をしていた。



 「こんな時間にスマン。実は、スランの奴が帰って来てないと家族から連絡があった…」


 村長の話では、俺が帰った後の酒場で喧嘩があったそうだ。


 この村には狩人頭という、村一番の腕利き猟師が成れる職がある。

 単純に言えば村のエースだ。発言力は村長を凌ぐ。

 昨夜の飲みの席で今の狩人頭が、歳で夜目も効かない、だからそろそろ引退したいと、話したらしい。

 そこで、次の狩人頭を誰にするかとの話が出た。


 この村には、狩人頭候補が二人居る。

 俺と、スランという俺より若い猟師だ。

 スランは、追跡の能力は俺に劣るが、頭が良く、罠を駆使して狩りをする事を得意としていた。

 ただ、罠は『待ち』の狩りの為、獲物を獲る量が安定しない。

 俺より多く獲る事もあるが、獲物の僅かな跡から追跡出来る俺みたいには安定して狩れない。


 そこで、俺を推す連中とスランを推す連中が揉めたらしい。


 …安定して獲物を間引けるのはナタンだ。お前等の罠猟法は獲物を無駄に獲り過ぎる。必要な時に必要な量が獲れる方が森にとっても良い。


 …無駄に獲って何が悪い。罠で取れれば未熟な奴等も安全に狩りが出来るだろう。スランの罠猟法だと危険を避けられる。


 お互いがお互いの猟法の方が良いと、言い争いになった。


 問題は、俺が居なかった事で誰も彼等を止められなかった事。

 その場に俺が居て話を止めれば、スランの奴も挑発に乗らなかったのだろう。

 俺を過大評価している奴らが、スランに対して馬鹿な事を言ったらしい。


 『ナタンの奴を超えたいなら、明け方迄に夜の森で獲物を仕留めて来てみせろ。夜の森で狩りも出来ない奴を、俺達は担ぐ気は無い』


 スランは馬鹿馬鹿しいと言って帰ったのだが、夜中に目を覚ました家族から、「旦那は酒場で寝ているのか?」と確認に来た事で、彼が夜の森に狩りに行った事が判ったらしい。


 …いくら夜目が効く猟師といえども、夜の森は獣と魔物の世界だ。

 流石の俺でも躊躇する。


 「だから、夜の狩りを得意とするお前等に来てもらった。

 もうすぐ夜が明けるが、夜の森は僅かな時間で取り返しのつかない事になる可能性が高い。

 夜が明けて死体を探すより、今すぐ生きた仲間を探したい」


 そう言って、手分けしての捜索を依頼してきた。


 「もし、跡を見つけたら笛を吹いて知らせろ」


 そう言って号令を掛けると、複数人でチームを組んで、すぐに捜索を開始した。

 俺には、昨日俺に声を掛けてきた奴と、モーリスの奴がついて来た。


 お互いにハンドサインを決めてから、緊張しながら森に入った。



 

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