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神代の魔導具士 豊穣の女神  作者: 黒猫ミー助
ソルガ原書
125/287

鏡沼2




 「おう!皆、呑んでくれ!俺の奢りだ。ナタンの奴が仕留めた大熊のお陰で報奨金もタップリだ。暫くは飯に困らない。

 女神マイア様とナタンに感謝を!乾杯!」


 村長の号令で、酒場は大盛り上がりとなった。


 「ナタン!相変わらずスゲーな」

 「そんな端の席でしけてないで、こっち来て呑めや!」

 皆が声を掛けてくる。


 「いや、俺は少し呑んだら帰るから。お前達はゆっくりやっていってくれ」


 「そうかぁ?わりぃな。お前の分まで呑んでおいてやるよ」

 ガハハと笑いながら、猟師仲間が店の中央で騒いでいる。

 早くも酔っ払って、腕相撲を始める奴等まで出てきた。


 …ああ…うるせぇなぁ…。


 そんな連中を見ながら酒をチビチビと呑んでいたら、向かいの席にモーリスがドカッと腰を下ろした。


 「おう、今日の主役が随分と暗いな!一緒に盛り上がろうぜ」

 「…俺は良いんだ…適当に切り上げて、早く帰らないとな…」


 「『大切な家族が待っているから』だろ?」

 モーリスは俺の言葉にピタリと同じ言葉を被せた。


 「相変わらずの愛妻家か…つまらんな。昔は朝まで飲み明かしたもんだが…。わかってるよ、昨年の事があってから心配なんだろう?」

 「ああ…やはり俺が側に居ないとな」



◆◆◆



 昨年、息子が行方不明になった。


 その日俺は、朝からモーリスと一緒に猟に出ていた。

 猟から帰り、モーリスと別れ、家の扉に手を掛けたら、取り乱した妻が飛び出してきた。

 罠の確認に行き、そのついでに晩御飯を取って来ると言って出た息子が、夕刻を過ぎても帰らない。

 彼女は酷く慌てながら捲し立てた。

 私が一緒について行けば…と泣きながら縋り付いてきた。

 俺は一気に血の気が引いた。


 すぐに俺は隣家のモーリス宅に飛び込んだ。

 家で道具の手入れをしていたモーリスに村長への連絡を頼み、俺は一人で森に入った。


 追跡は得意技だ。

 子供の頃から毎日狩りをして暮らしていた。

 焦ってはいたが、同時に俺なら見つけられるという自信もあった。


 雲のない夜だということが幸いした。

 枝葉の隙間から差し込む月と星の光で充分『見える』。


 体重の軽い者が残した踵の跡。

 身長の低い者が通った時に折れた枝。

 微かに空気に残る息子の匂い。

 僅かな手掛かりから行方を予想して、先回りするように動く。

 後から追いかけて来るであろうモーリス宛の手掛かりを残しながら、森の中を疾走した。


 途中から小さな足跡の沈み込みが深くなった。

 そして、そのすぐ後ろを追う狐の足跡。


 …まずい…


 俺は、焦る気持ちを押し殺し冷静に痕跡を辿った。


 浅い川を越える。

 深い草むらの中の、判りにくい足跡を探す。

 途中、木の幹を駆け上がって崖上に登った様だ。

 その後、急斜面を駆け下りている。

 子供の足で、狐の通り難い場所を選択しながら駆け抜けている。

 幼少期から鍛えたお陰か…。

 狐と息子の足跡は、縮まった様子はなかった。



 そのまま追跡すると、木の種類が変わった。

 幹は細く、木の根は浅くなり地面に表出する。

 土が段々と柔らかくなり、空気が重くなる。

 自重に耐えられなく倒れて腐った木が疎らに転がっていて、その表面を深い緑色の苔が覆っている。


 はぁ…。息がし辛い。


 気温が下がり冷たい空気が漂う。

 空を覆う葉は目に見えて少なくなり、月と星の明るい光が地面を照らす様になった。

 真夜中であるにもかかわらず、かなり遠く迄見渡せる。


 その辺りになると、狐の足跡は困惑した様に一箇所でグルグルとまわってから、横道に逸れていった。

 しかし息子の足跡は、同じ歩幅、同じ深さのまま、まっすぐ先に続いていた。


 狐の追跡は逃れたか。

 しかし…この方向は…?


 澱んだ湿気で重くなった空気が、乾燥した肺の中の軽い空気を押し出す。

 脚に僅かな重りを付けられた様な、嫌な違和感を覚える。

 自然と鳥肌が立つ。

 心臓に無理矢理押し出された血液が、頭の中の鐘を打ち鳴らし、酷く五月蝿い。


 『鏡沼には近づくな!』


 兄貴が、小さい頃から口を酸っぱくして注意してきた事を思い出した。


 …まずい!この先は鏡沼だ!

 

 慌てて茂みを掻き分けて飛び出すと、一面が光に照らされた様に明るい沼が現れた。


 風を受けても一切波立たない湖沼の水面が、明るい星月の光をそのまま跳ね返している。

 空の光と水面の光が周囲を照らし、この場所だけ昼間より明るい。


 沼と言うのに、腐臭はしない。

 銀色に輝く水に、泥濘の重さは感じられない。

 我が家にある銅板を磨いただけの鏡よりも、周囲の景色を綺麗に写し取っている。


 「…美しい…なんだこれは…」


 鏡沼…確かにこれは鏡沼と言う以外に呼びようが無い。


 ほんの僅かな時だったのか、それとも数刻の間だったのか分からないくらい湖面を見つめていたが、突然ハッと我に返った。


 沼畔(ぬまほとり)…いや、沼の中の端に子供が立っているのを見つけた。

 湖面の光が逆光となり、こちらからは容姿が分からなかったが、背格好は息子だった。

 俺は沼に飛び込み銀色の水を掻き分けながら、夢中で駆け寄った。


 「…あ…?父ちゃん?」

 「無事だったか!怪我は無いか?」

 「…うん…」


 泥だらけの息子は一瞬俺の方を見たが、すぐに沼に向き直って、光り輝く鏡沼を凝視し続けた。


 「無事で良かった…早く帰ろう。母さんが待っているぞ」

 「うん…」


 空返事で相変わらず湖面を凝視する息子に僅かな違和感を感じながらも、俺は息子の手を取って、ゆっくりと沼畔に連れて行った。


 ボーッとして自分から動かない息子を、何とか沼から引き上げた。

 その時、突然強烈な悪寒を感じた。


 俺が、沼に飛び込み息子の下に行った時も、

 俺が、息子の手を取って、沼畔に連れて行った時も、

 俺が、息子を抱き抱えて、水から上がった時も、

 水面は、ほとんど波立たなかった。


 なのに…今は…


 鏡沼の中央辺りから畔に向けて、波紋が拡がっている。

 波紋の原因である湖沼の中央の、鏡の様な湖面が揺らいでいる。


 水面の月が歪に揺れ、月が二つ、三つと別れて輝く。

 波立つ水面の星が、すぐ隣の水面の星を幾重にも反射して、空の光を周囲の闇にばら撒く。

 水はこんなにも揺らいでいるのに、一切の音が無い。

 その異様さに全身の毛が逆立った。


 …やばい!何か…何か来る!怖い何かが目を覚ます!


 俺は息子を抱き抱えて、脇目も振らずに駆け出した。


 …あれは、遭ってはいけないモノだ。

 見てはいけないモノだ。想像してはいけないモノだ。


 本能が警鐘を打ち鳴らす。


 息子の目を手で覆いながら、背後から激しく照らし出す光を自分の意識から外に放り投げながら…、力の限り走った。


 いつもは何頭もの獲物を抱えて走る俺にとって、息子程度の重さは羽根の様な物なのだが、何故か…凄く重い。

 いや…重いのは自分の身体か?

 脚も腕も頭も重い。

 肺の中にタップリの水が詰まっているかの様に、息苦しい。


 獲物を追って何時間も駆け回る時も、獲物を待ち伏せして何時間も土の中で息を殺す時も、こんなに自分を重く感じた事は無かった。


 息をするのも辛くて、息を止めたまま走った。

 後ろから追いかけて来る光が怖くて怖くて…。


 咄嗟に丘を駆け上がり、鏡沼の光から逃れる為に岩陰に飛び込んだ。

 目も眩む明るい世界から、いつもの落ち着く闇の世界に飛び込めた事で、俺は安堵した。


 途端に、肺の奥から何かが迫り上がってくる。


 「うっ…!ごぼ!ごぼっ!ゴホゴホゴホ…」


 口から大量の沼の水が飛び出て来た。

 俺は激しく咳き込んだ。


 ゴホゴホゴホ…!

 抱き抱えたままの息子も、酷く咳き込んでいた。


 息子の顔を横向きにして口に手を突っ込み、口の中の水を掻き出した。

 ごぼっ!ごぼっ!

 息子の口からも大量の水が溢れ出した。


 はぁはぁ………


 息子と俺は暫く咳き込み、その後に、改めて空気を肺いっぱいに吸い込んだ。


 「あれ?父ちゃん?」

 息子の目が俺を見た。

 「あれ?あれ?ここは?」

 焦点のあった目は、辺りをキョロキョロと見回した。


 「た…助かった…のか…?」


 俺は安堵の息を吐いた。

 とても軽い空気だった。




 

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