◆4-26 ヴァネッサの暴走
第三者視点
次の日、馬車は快調に進んでいた。
これからの予定ルートは、以前クラウディア達が遠征訓練で向かったパエストゥム村に通じる街道。
聖教国東側、最後の街を出て帝国国境に向かう。
この先は、パエストゥム村より小さな村が点在しているだけで、貴族の宿泊出来るような宿のある街は無い。
この先の道は、ボガーダンの獣が出ていた頃は交通を控える様に通達されていたが、オマリー神父の活躍後は解除されている。
舗装されていない道ではあったが、連日の快晴のお陰で道は程よく固まり、砂利や礫もほとんど無いので馬車の揺れも少なかった。
「この周辺がボガーダン地方ですの?本当に何にもありませんわね…」
フローレンスが、馬車の窓から外をボーっと眺めている。
「…噂のボガーダンの獣は、この辺りに出たのでしょうか?」
リヘザレータは思い付いた様にマリアンヌに尋ねてきた。
「も…申し訳ありません…。私達は遭遇致しませんでしたので…」
昨日、アデリンにした様な説明を繰り返した。
「被害が多発したのは、こちらの街道ではありませんよ。パエストゥム村から帝国までの途中の街道です。
私達はパエストゥム村で引き返してますので、見てませんね」
と、クラウディアが補足した。
「そうですわね…。もし、遭遇していたらタダでは済みませんものね…」
皆この数日で、流行のファッション、化粧品、装飾品、所持している絵画や家具、好みの画家や楽団、果ては食事の愚痴で話は盛り上がった。
しかし、デミトリクスやマクスウェルの手前、馬車の中では一番大好きな話に関する耳語・密語が出来ないので、話も尽きてきていた。
大して興味のない獣の話題を振るくらいに、話す事が無かった。
デミトリクスに何かの話しを振れば、その話題に関して無難に肯定否定はするが、本人が自分の趣味嗜好を一切話さないので、皆は彼との距離を決めかねていた。
クラウディアもデミトリクスとの間に入って橋渡しをしたりする事がほとんどなかった。そもそも、ずっと外を眺めていて、皆の話にはあまり入って来なかった。
結果的にフローレンス達は、下手に男女間の話題や女性の好みに関する話をして、下品な女性と思われたり否定的な感情を持たれる事を厭って、どうしても突っ込んだ話を振れなかった。
そのお陰でヴァネッサは、デミトリクスとの仲を詮索される事は無かった。
実際のところ二人の間に特別な進展は何も無いので、聞かれずに済んでホッと胸を撫で下ろしていた。
フローレンス達は、何かデミトリクスと仲良く話せる話題はないものかと考えながら、遠く迄広がる草原地帯を眺めていた。
会話のきっかけになる話題を探しながら、連日の食事の不味さに関して考えていたフローレンスが、ふと、ミランドラ卿が先日発表した『小型携帯冷却機』について独り言ちた。
「…あの商品があれば、こういう旅の途中でも新鮮なお食事を頂けるのでしょうか…?」
その言葉を聞いた途端、デミトリクスが語りだした。
「…元々あった大型の魔導モーターを利用した冷却機ではなく、手持ちで運べるサイズの冷却機の事ですね…よくご存知ですね…」
「…ミランドラ卿の発明は、相変わらず素晴らしい…。そうは思いませんか?」
「…販売が間に合わなくて、この馬車に設置出来なかった事が、実に悔やまれる…」等など。
相変わらず抑揚は乏しいが、急に饒舌になったデミトリクスを見て皆は目を丸くした。
「デミトリクス様は、ミランドラ卿のファンでしたの?」
「ファン…?ええ…ファン…です。あの方の発明は世の中を一変します。とても素晴らしい物です」
その言葉に込められた彼の感情の高揚は、ヴァネッサでも初めて聴いた様な感覚だったらしく、彼女は驚愕して固まってしまった。
ヴァネッサのその様子を横目で見たフローレンスは、彼女の心情をすぐに理解して、このチャンスを逃すまいと、自分の知っている限りの『ミランドラ卿』に関する話題を提供する事にした。
フローレンスの家は家具事業が中心だったが、ミランドラの魔導具が綺麗に納まる様に制作依頼を受ける事も良くあったので、彼の発表する魔導具に関しては他者より早く情報を集める様にしていた。
なので、他の貴族がまだ知らない様な魔導具に関しても常に調べて、家族間で情報を共有する様にしていた。
加えて、フローレンス自身も、新しい事の出来る今までに無い魔導具を知る事は好きだったからだ。
デミトリクスは表情は平坦だったが言葉がとても多く、ミランドラ卿をフローレンスが褒めると、その度に同意する頷きを、いささか大袈裟と思えるくらいに表現した。
その様子は、一見すると少々滑稽だったが、デミトリクスが初めて自分の話に興味を持ってくれた事が嬉しくて、フローレンスの話はどんどんエスカレートした。
その間、クラウディアはデミトリクスを横目で見ながら緊張していたが、退屈そうな表情は崩さずに外を眺める振りを続けた。
ヴァネッサはクラウディアの心音を聴きながら色々と想像をした。
そして、今迄の情報とデミトリクスの珍しい反応を視て、すぐに真相を理解した。
デミトリクスがフローレンスとの会話を楽しんでいるのではなく、自分の姉を褒められている事に対して興奮し、『嬉しい』という感情に戸惑いながらも、その感覚を手放したくなくて会話を続けようとしていると解った。
解ってはいても、デミトリクスがフローレンスと仲良く喋る事に苛々とする。
ヴァネッサが苛々としていると、本人は無意識に魔素の波形魔術式を不協和音にして放っていた。
人間には聞こえない高音域の不協和音だったので誰も気付かなかったが、馬車を牽引する馬には届いてしまった。
馬は、今迄聴いたことのない不快な音にびっくりして、突然走り出した。
「な!なんですの?何が起こりましたの?」
フローレンスが驚いて立ち上がったが、馬車の激しい振動の為、よろめいてデミトリクスの胸の中に倒れ込んだ。
丁度、デミトリクスがフローレンスを抱擁する状況に見えた。
「あ…」
それを視てしまったヴァネッサの『音』はいきなり大きくなった。同様に馬の混乱も大きくなった。
ガタン!ガタン!
馬車が激しく揺れた。
激しく揺れる馬車の中、ヴァネッサは半分無意識に二人に飛び掛かり、フローレンスの髪の毛に掴みかかっていた。
馬車の暴走とヴァネッサの暴走で、内外とも酷く混乱した。
御者は必死に馬を止めようとするが止まらない。
状況を瞬時に理解したクラウディアが、横の扉からスルリと抜け出して御者席に移動した。
御者から手綱を奪い取ると、落ち着かせる様に優しく操縦した。
その際に、ヴァネッサからの不協和音の波形魔術式が馬に届かないように自分の魔術式で細工をした。
馬は、少しづつ速度を落として、パエストゥム村への木道に入る辺りで落ち着いて止まった。
その頃には、馬車の中でもヴァネッサは落ち着いて、波形魔術式の発動も止まっていた。
「だ…大丈夫ですか?ヴァネッサ様…?」
「ご…ごめんなさい…。髪の毛を掴んでしまって…」
「仕方ありませんわ。あんなに激しく揺れたのですもの。私も立っていられませんでしたし…」
フローレンスが勘違いしてくれた事に安堵した。それと同時にとても悲しくなった。
「ごめんなさい…ごめんなさい…」
ヴァネッサは馬車の中にへたり込み、涙を零しながら謝った。
「そ…そこまで謝罪される程では…あれだけ馬車が揺れればしょうが無い事ですわ。ヴァネッサ様が責任を感じる必要は…」
何故こんなに謝罪されるのかが解らなくて、オロオロとするフローレンス。
ヴァネッサは嫉妬の感情に流されて、いきなりフローレンスに飛び掛かった淑女にあるまじき自分の行動を恥じた。
自身の感情を抑えられなかった事が理解できなくて、どうしようもなく混乱していた。
一瞬目の前が真っ赤になり、自制心を放棄した。
その直後、今迄に感じた事のない位の強い衝動に身を任せた自分自身が情けなく、不甲斐無く感じていた。
その為か、今度は落ち込み始めたら、立ち上がる事すら出来なくなる位に身体に力が入らない。
泣き崩れるヴァネッサを、フローレンスは混乱しながらも立ち上がらせて、椅子に座らせた。
馬車の中に戻って来たクラウディアがヴァネッサの様子を凝視した後、彼女の頭を撫でた。
その途端ヴァネッサは泣き止んで、そのまま眠ってしまった。
皆は、ポカンとしながら二人の事を見ていた。
いきなり暴れた先頭馬車を追って、他の馬車も集まって来た。
御者達の話し合いの結果、恐らく馬が疲れて暴れたのだろうという事になった。
その為、急遽予定を変更して、この先にあるパエストゥム村で休憩を取る事が決定した。
◆◆◆
馬車が木道をゆっくりと進む。
先程の様な事があれば木道から外れて馬車が湿地帯に落ちるかもしれないと考えて、御者は慎重に馬を操った。
「な…何ですの?この匂いは…」
「ピートの香りですわ!
つい、この前の事だったのに、久しぶりに帰ってきた気分ですわ!」
「マリアンヌ様は、パエストゥム村での生活が楽しかったのですか?」
「マリアンヌが楽しかったのは、生活よりパンよね?」
「パン?」
「お…お姉様…その言い方ですと、意地汚く聞こえますわ…」
クラウディアが、村のパンがどれ程美味しいかを説明すると、皆は喉を鳴らした。
「妹よ…お前は滞在地での頑張った話や苦労話しかしなかったのに…本当はそんなに良い場所だったのだな…」
マクスウェルが、羨ましそうにマリアンヌに視線を向けた。
マリアンヌは何も言わずに顔を背けた。
御者は村人達が集まる広場に入ると、馬車の速度を緩めて馬を止めた。
すぐに降りて厩舎の場所を尋ねると、馬具を外して馬を休ませる為に連れて行った。
通り過ぎる馬車を見送ろうと広場に集まって来ていた村人達は、皆の前で停止した馬車に訝しげな表情を見せていた。
しかし、馬車からマリアンヌとクラウディア、そして、目を覚ましたヴァネッサが降りてくると、一斉に歓声が上がった。
「おお!
マリアンヌとヴァネッサじゃないか!久しぶりだなぁ!
クラウディア、どうした?何かあったのか?」
サムエルとララムが近寄ってきて、二人の頬にキスをしながら抱き上げた。
意気消沈していたヴァネッサも、二人に抱き着かれて嬉しそうに微笑んだ。
フローレンスやリヘザレータ達は、貴族らしくないその様子を見て、とても驚いていた。
「少しトラブルがあってね。休憩がてら少し腹拵えしたくて…。お昼過ぎているけど、余ってる?」
クラウディアがサムエルにパンの在庫を確認する。
「ああ!晩食用のがある筈だ。すぐに用意させるよ」
「悪いわね」
「妹達の為なら、誰も文句は言わねえよ。おい!パン窯のトッドに話を通してくれ!」
サムエルが一声掛けると、村人の一人がパン焼き竈の方へ走った。
「どんなトラブルか知らないけれど、ゆっくり休んでいってくれ!」
馬車から降りてきた貴族達を、サムエルが集会所へ案内した。
何人かはピートの香りに顔を歪ませていたが、田舎出の貴族達は、どこか懐かしそうな顔をしていた。




