◆4-20 いたずら
第三者視点
一行の乗った馬車は、首都から少し離れた小川近くの広場に辿り着いた。
そこで昼休憩となり、連れてきた料理人や料理補佐が手早く簡易的な竈を組み上げ、すぐに料理を始めた。
「デミちゃん、行くわよ」
クラウディアが、デミトリクスをヴァネッサから引き剥がして、自分達の釣り竿を持って川の上流に向けて歩き出した。
ヴァネッサは自分の侍女に声を掛けて、簡単なテーブルセットを用意させて、久しぶりの馬車の旅で疲れた腰を休めた。
同じ様に侍女にテーブルを用意をさせていたフローレンスは、目をパチクリさせて、クラウディアとデミトリクスの後ろ姿を目で追った。
丁度そこを通り掛かったマリアンヌに、デミトリクス達は何をしているのかを尋ねた。
「お姉様の事ですから、お昼ごはんの為に魚を釣りに行ったのではありませんか?」
「お昼ごはん…?魚?釣り??」
釣りの事を知らなかったフローレンスは、マリアンヌの言っている意味が分からなくて、再度質問した。
「お姉様は凄いのです。ご自分に必要な物は全てご自分で用意してしまいますの。
私もやらせてもらった事があるのですが…一匹も釣れませんでした…」
マリアンヌは恥ずかしそうに笑った。
「…自分で…?ヨーク家の料理人達は、何をしていらっしゃるのですか?」
「お姉様達は料理人を連れてきておりませんわ」
フローレンスは、え…?と言って固まり、マリアンヌは、ふふ…と笑って続けた。
「やはり皆様、同じ反応をしますわ。
私も以前迄は、貴族が自分自身で自分の食事を用意するなんて信じられませんでした…。
でも、やってみると意外と面白いものでして、私も初めは…」
「伯爵家の子息が…?
なんて事でしょう…!もしや、お二人は冷遇されていらっしゃるの?」
マリアンヌの話を遮り質問を重ねた。
「お姉様達は金銭に困っておりませんから、そんな事は無いのでしょうけれど…。
詳しくは存じ上げませんが、お姉様曰く、『自分の食べ物くらい自分で用意出来ないと、いざという時大変よ…』と。
…遠い目をしながら、おっしゃっておりました」
フローレンスはそれを聞いて興味が湧き、立ち上がってクラウディア達の行った方向へと歩いていった。
◆◆◆
「あら…?
確か…こっちの方に行ったと思ったのですけれど…」
小川の周囲は、足場の悪い林になっていた。
似た様な高さの木が等間隔に立ち並んでいる。
歩ける場所がうねっていて、小川から離れた所を通ったせいもあり、上流や下流、そして方角が分かりづらい。
鬱蒼とした緑が、フローレンスの距離感を狂わせる。
「…だ…大丈夫ですわ…来た方向は分っておりますもの…」
道と呼べるようなものは、既に無かった。
周囲は膝丈程もある雑草が地面を覆い隠していて危険。
仕方なく足元の見える、岩肌の露出した場所を気を付けながら進んだ。
動きやすい平底靴を履いているとはいえ、ゴツゴツとした灰色の岩や礫が露出した地面は歩き難かった。
地面を見ながら歩かないと足を挫きそうで、遅々として歩を進めなかった。
「く…動きやすい服に着替えて来るべきでしたわ…」
お気に入りのドレスの裾を岩肌や木の枝に引っ掛けないように気を付けながら歩くと、今度は袖周りを引っ掛けそうになる。
幹の『茶色』と、岩の『灰色』と、葉の『緑色』が目に煩い。
酔った様に目が回る。
「デミトリクス様とお話ししたかったけれど…仕方ありませんわ。引き返しましょう…」
フローレンスは振り返り、来た方向を確かめると、えっ?と、呟いた。
越えたはずの岩や礫の道が見えなくなっていた。
全部『濃い緑色』の苔に覆われ、『茶色』も『灰色』も『緑色』も見えない。
左手の小川の音を頼りに歩いて来たが、小川の音も虫の声もプツリと途切れて、静寂が辺りを包み込んでいた。
「…まさか…、迷った…?」
想像したくない事が頭の中でぐるぐると巡る。
周りを何度見回しても、見たことのない『濃い緑色』だった。
「…そ…んな…」
信じたくない気持ちになり、冷や汗が吹き出し脚が震える。
目が潤み、叫びたくなった。
日差しは暖かく、気持ちの良い濃い緑が、『自然』を知らない少女には恐怖を与えた。
虫の声もしない静けさが逆に耳に残り、怖さを増幅させた。
フローレンスは怖さから逃げる為に、耳を抑えてしゃがみ込んだ。
どれ程じっとしていたか分からなかった。
涙がポタポタと落ちた。
叫べば助けが来るかもしれないと解っていても、貴族令嬢としてのプライドが邪魔をして声を出せない。
「どうしよう…どうしよう…」
頭の中では、プライドを捨てて泣き叫ぶかどうか、何度もシミュレーションした。
ただ、高くなりすぎたプライドが、叫ぶ自分を押し留めてしまう。
「フローレンス様…」
突然声を掛けられて、肩に手を置かれた。
フローレンスは、バッと振り向いた。
そこには、男物の軽装に着替えたヴァネッサが居た。
「フローレンス様が林に入っていくのが気になって、すぐに追い掛けようと思ったのですが、着替えに時間が掛かり遅くなってしまいました」
フローレンスは溢れた涙を袖で拭き取り、弱みを見せないように立ち上がろうとした。
しかし、ずっとしゃがんで居たせいで脚が痺れてよろめいてしまった。
フローレンスが転びそうになった時、ヴァネッサが咄嗟に彼女を支えた。
「あ…」
フローレンスはすぐに身体を起こし、気まずそうに黙った。
「あ…ありが…」
御礼を言おうとしたけれど、言い慣れない気恥ずかしさと、ライバル視していた相手だと思うと、上手く声が出せなかった。
ヴァネッサも、何を言えば良いのか分からず、二人して俯いたまま黙ってしまった。
「こんな所で何してるの?ヴァネッサ?」
二人から少し離れた場所に、クラウディアとデミトリクスが通り掛かった。
デミトリクスは釣り竿と、蔓で縛った数匹の魚を肩に掛けていた。
「で…ででデミトリクス様!…クラウディア様…」
「デデデミトリクス?」
「あ…いえ…えっと…」
フローレンスは突然デミトリクスに会った為に、何を話せば良いのか分からなくなり、言葉を詰まらせた。
彼等を追い掛けてきて、道に迷って泣いていた、なんて言いたくない。
何て言い訳をすれば自然だろうか…
どうすれば自分の自尊心を傷つけずに、この場を切り抜けられるだろうか…、そんな事ばかりを考えていた。
「クラウディア、デミトリクス。
僕が二人を追い掛けようとしたのだけれど、足場が悪くて危なかったから、フローレンス様に付き添って貰ってたんだ」
フローレンスは、ヴァネッサが何を言ったのか分からなくて、混乱した。
思わず目を見開いてヴァネッサの方に振り向いた。
ヴァネッサは指を、フローレンスの唇に軽く当てた。
「そ…そうですわ!
ヴァネッサ様だけだと危なっかしかったから、手を引いて差し上げていたのですわ。
ヴァネッサ様がお二人にどうしても会いたいと言うので、仕方無くですわ!」
フローレンスは、デミトリクスの方を向いて誤魔化し笑いをした。
ふーん…と言いながらクラウディアは、二人の方に歩いて来た。
「ん…?」
クラウディアは、一定の距離までフローレンスに近づいた時、何かに気付いた。
彼女は、足元の見えない何かを拾い上げて、いきなり木と木の間の何も無い場所に向けて投擲した。
「きゃあ!」
ゴン!!
クラウディアの投げた何かが空中の何かにぶつかった音がすると、空中に突然小石が現れた。その途端、周囲の風景が一気に変わった。
苔の濃い緑に覆われていた風景に、『茶色』の幹と、『灰色』の岩肌と、『緑色』の葉が戻ってきた。
虫の声と小川のせせらぎが聞こえ、フローレンスは一気に現実に戻った様な気がした。
「え…?え…?」
フローレンスがキョロキョロするのを、ヴァネッサは不思議な顔で見ていた。
石が出現し落ちた場所の近くで、クラウディアが何かを拾い上げた。
「パックの親戚かしら…?」
それは羽根の生えた青い髪の小さな少女。妖精だった。
妖精は、鼻血を垂らしながら白目をむいて気絶していた。




