◆4-11 メンダクスの深慮と二人の隠し事
エレノア視点
「存外面白いかも知れません」
突然、私達の他は誰も居ない筈の部屋の中から男の声がした。
私とクラウディアが振り返ると、そこにニヤニヤしている赤髪の男と、全身を覆う白い服に大きなフードで顔を隠している女が立っていた。
「また、アンタか…」
「また、私です」
意地の悪そうな笑顔を浮かべる赤髪の不審な男が、答えた。
クラウディアはこちらに目配せして警戒している。
「大丈夫よ。
コイツはメンダクス。
一応味方だから。変態だけど」
「へ…変態?」
クラウディアは何と応えて良いか分からず、眉を顰めた。
メンダクスはむっとした振りの、嘘臭い表情を造る。
「近頃、皆様からそう呼ばれるのですが…流行っているのですか?
エレノア嬢が流行らせているのですか?困ったものです」
片手を額に当てて頭を振り、わざとらしく大袈裟な演技をしている。
…相変わらず、全てが嘘臭い男。
これでいて、あまり嘘をつかないのだから、たちが悪い。
私は、無言でメンダクスの隣の女性を指差した。
女性がフードを脱ぐとクラウディアが、うぇ…、と小さく悲鳴を上げた。
「クラウディアちゃん…おひさ…」
セルペンスが舌なめずりしながら、妖艶な笑みを浮かべた。
「不本意ですよ、セルペンス。
主に向かって『変態』呼ばわりとは…」
「私を…こんな身体にして、ニヤニヤ笑ってる変態…。
毎晩…私の身体を嘗め回す様に…うぅ…」
うわぁ…
一瞬で全身に鳥肌が立った。
クラウディアも両手で腕を擦っている。
メンダクスは肩をすくめて首を振った。
「全く…無駄な知能や知識まで身に着けて…。
言い訳しても良いですが、このままにしておいても面白そうですね。
変態呼ばわりされるのも、中々に乙なモノですし」
「やっぱり…変態じゃないの…」
「それで?何が面白いの?」
私が不満気に尋ねると、メンダクスは無駄に大袈裟な動きをしながら話し出した。
「クラウディア嬢の提案した『学校交流会』ですよ」
「内容は兎も角、ウチの娘を出す気は無いわよ」
「いえいえ…ヨーク伯爵令嬢という立場と、クラウディア嬢の能力で、帝国を掻き回…ん゙…」
そこまで言って、メンダクスは咳き込んだ。
「帝国と交流を図って頂きたいとも考えまして」
わざとらしく言い直した。
現在の帝国と王国の関係を憂いているのは教皇も同じ。
根本的な解決の為にも聖教国、帝国、王国の三者会談を開きたいが、帝国がホーエンハイム領の問題を解決する譲歩提案でもしない限り、王国が首を縦に振る事は無い。
帝国としての譲歩提案を王帝が示唆した場合は、帝国タカ派貴族達が反発する。
王国国王としては、譲歩提案すらされず、または、されたとしても納得出来るような物でも無い限り、王国タカ派貴族が許さないだろう。
話し合いをしないでホーエンハイム領の問題を解決するには、戦争しかない。
それはエレノアが考えた事と同じ理由で、教皇としても絶対に避けたい。
「今現在、危ういバランスの上で成り立ってます。
魔素の冬が終らず、そのまま戦争になれば、ホーエンハイムの領民達は全滅してしまいます。
それは、マイア様の望みに反します。
現在は聖教国から秘密裏に送っている食糧で、領民は命を繋いでいる状況です。
その現状を解決する糸口として、クラウディア嬢には王国の代表として帝国貴族と対談をして来て欲しいのですよ」
「わ…私が?王国代表?」
クラウディアが珍しく戸惑っている。
「ちょっと待て!
ウチの娘を表舞台に上げようと言うの?
この娘の価値がどの位のモノか解って言ってんの!?」
「モチロン知ってますよ。
だからあくまで、『ヨーク伯爵令嬢』としての顔のみ、ですがね。
本当の身分も価値も、当然出しません。
そろそろ、表の顔をはっきりと造って貰った方が、今後の活動にも、色々と理由をつけて動かし易いという考えもありますが…」
「駄目よ!危険よ!大体、一体誰と対談させると言うの?
この娘、ハダシュト王国の内情はほとんど知らないわよ。
そんな娘が、政治的な話が出来ると思うの?」
「政治的な話は必要ありませんよ。
あくまで、『ハダシュト王国の国王から預かった話を持って来たであろう高位貴族令嬢が、帝国の高位貴族と秘密裏に対談したそうだ…何か密約があったのではないか?』と、周囲に思わせたいだけです。
こういう機会でもないと、堂々と王国の高位貴族を帝国に送り込めませんから」
※ハダシュト王国の高位貴族が、帝国の高位貴族と秘密の対談!※
対談を行った帝国高位貴族は、内容を頑なに公にしない!
実はホーエンハイム領を巡る裏取引?
王国のセントゥム大公家と帝国のレヴォーグ大公家の間に密約あり!
コルヌアルヴァ辺境伯は関わっているのだろうか!?
この見出しの記事や噂が飛び交えば、王国や帝国で良からぬ事を考えている連中は、その噂の真実を確かめたくなるだろう。
両国の貴族達は、ハダシュト王国の国王や帝国高位貴族達が裏で何かを図っていると考える。
たとえ誰かが戦争を煽っても、下位貴族達は誰につくのが正解か判る迄は容易に動けなくなる。
貴族達の動きを牽制するのは、教皇にも帝国王帝にも都合が良い。
一部の高位貴族が戦争を煽っても、多数の下位貴族達や更にその下につく領民達が動かなければ、煽った本人が醜態を晒して表舞台から消えるだけ。
それが分かるから、貴族達は不用意に目立つ行動は取れなくなる。
メンダクスが狙うのは、両国民の疑心暗鬼だと説明した。
下位貴族達が疑心暗鬼になっている中に、疑わしい取引情報を紛れ込ませ、両国の中立派貴族達を聖教国側に引きこむ算段。
万が一戦争があった場合、まず教皇の動向を気にする様に仕向ける。
確定的な離叛では無くとも、消極的サボタージュをさせるだけで、聖教国にとっては有利に事を運べる。
「噂を流すのは両国の協力員にお願いしますから、クラウディア嬢は、その貴族とお茶でも楽しんで来れば宜しいかと」
「…帝国高位貴族で協力してくれる人が必要でしょう…?」
「エルフラード様は如何でしょう?
エレノア嬢も、久しぶりに里帰りしてきたら如何ですか?
学校行事の保護者枠として、ねじ込みますよ」
「御父上様と…?それなら確かに…。
でも、帝国タカ派貴族や、諜報部の『目』達にクラウディアが狙われる危険は?」
「私の方から護衛を付けましょう」
そう言って、セルペンスを差し出した。
クラウディアが、うぇ…と言って苦い顔をした。
…性格は別にして、実力は申分無い…。
ノーラ特製の香水も持たせているから、余計な味見はしないだろう。
「緊急時の国外脱出方法は?」
「それも想定してあります。ご安心下さい」
「内容は…?」
「その時まで、ヒミツです♪
大丈夫、誰よりも安全にクラウディア嬢をお送り出来るでしょう」
「東方教会区の準備は?それに、ここの運営が滞るわよ?」
「それに関しては、教皇猊下からマジス神父に、一時的な高位職権を与えて処理させます。
私の所からも補助要員を付けますので、問題ないでしょう」
「デーメテール様の依頼の責任者としての仕事は?」
「それに関しては、ノーラ女史を教皇直属とします。
彼女の本来の資格を利用して、研究所所長補佐に任命致します。
表に出る所長は名前だけの傀儡ですので、実質的な所長ですね。
それに、クラウディア嬢の魔力を貯めた魔石を幾つか用意して頂ければ、彼女とベネフィカ殿で依頼は達成出来るでしょう」
「研究施設の準備は?」
「東方教会区の外れに、亡くなったミハウ=アントン枢機卿が所有していた研究所が御座います。
今は廃墟になっていますので、それを再利用致します。
色々と因縁のある場所ではありますが…。
人家も離れていて、秘密の研究にはとても都合の良い建物ですので」
「…ヘルメスとヘルメスの黒幕容疑者達については…?」
「現状、彼等の不利益な行動で無い以上は、余計なちょっかいをかけては来ないと考えます。
自分の手駒と考えているオマリー殿が、英雄として帝国に凱旋する事は彼等の利益にもなる筈。邪魔はしないでしょう。
少なくともヘルメス自身は…。
国内に残る容疑者達も『遠目遠耳』で監視させております。
これを期に、何かボロを出してくれないかと、期待しております」
私は黙ったまま、暖炉と水槽に目をやった。
「…それもご安心下さい。私が取り扱いましょう。
間違った時に使用されない様に、監視も付けましょう」
私の意図を悟ったメンダクスは、即座に応答した。
「やらなければならない課題は、アンタが全部代わってくれると…。
それなら、久しぶりに羽根を伸ばして来ようかしら…」
私は、息を吐きながら背伸びをした。
肩に手をやったら思っていた以上に固くなっていた。
気付かない内に、かなりの披露が溜まっていた様だ。
「エレノア嬢には、羽根を伸ばすついでに仕事を頼みますので…」
「結局、休めないの!?」
「万が一の保険としての仕事です。何事も無ければ休日を楽しめますよ」
「アンタがそう言う時に、休めたためしが無いのよ…」
…ああ…温泉に浸かりたい…帝国には無いけど。
クラウディアが、あの…変態…様?と、言いながら、ビクビクしながら話に入って来た。
「一応、メンダクスという偽名が御座います。
変態様でも構いませんが、他者がいる場所ではメンダクスと呼び捨て下さいませ」
「偽名だとバラすんだ…」
クラウディアは、メンダクスとどう接して良いか戸惑っている様だ。
「…どの程度…ご存知ですか?」
クラウディアは、何がとは言わずに尋ねた。
メンダクスは何を訊かれたのかを、すぐに理解した。
「エレノア嬢と同程度には…
いえ、エレノア嬢以上に知っていますよ。
バルバトス卿とルキナ様は、私の旧知で御座いました」
二人の名前を聞いた途端、クラウディアの目から涙が溢れた。
「お救い出来ず、申し訳ありませんでした。
クサントスを遣わすのがやっとでした」
メンダクスが、珍しく巫山戯ずに頭を下げた。
クサントス…?誰?
『笛の仲間』にそんな呼び名の者がいたっけ…?
「クサントスを…やはり貴方は…」
クラウディアは何事か呟いた後、姿勢を正し、メンダクスに対して貴族令嬢としての最敬礼をしてから礼を述べた。
「メンダクス様、あの日、あの時のご助力に感謝を。
エレノア姉様に会わせて頂けた事、結果、弟の命が助かった事、一生の恩とさせて下さいませ…」
メンダクスは珍しく真面目な顔をした。
「あれは私の贖罪でございます。ただの自己満足です。
どうぞ、恩など忘れて助かった命を大切に。
生死一如の心構えさえ忘れなければ良いのです。
貴女達の望みは、私達の望みとも合致致します。
貴女達の行く道を私達が均しましょう
その時が来る迄、御身お大切に…」
そう言ってメンダクスは跪き、貴族として、下の者が上の者に対して行う作法で礼をした。
その二人の姿は、教会の聖典ソキウスに出てくる、巫女と神殿騎士の教会での謁見の場面の絵姿と、瓜二つだった。
私とセルペンスは、呆気に取られた顔をした。
「クラウディアが…」
「変態主様が…」
「「まともな人間の真似をしている!?」」
私とセルペンスの言葉がピタリと重なった。
二人がムッとして、「「失礼な!」」と言葉を重ねて返した。
◆◆◆
その夜、クラウディアは私の寝室で一緒に寝た。
私は広いベッドの上で天井を見つめたまま、今日の事を反芻していた。
ベッドの反対側では、クラウディアが寝た振りをしている。
「フレイ…起きてる…?」
「…うん…」
クラウディアは静かに返事をした。
私は、どうしても聞きたい事があり、彼女に質問をした。
「フレイ…疑い深い貴女がメンダクスを信用するなんて、一体どうしたの…?」
彼女はベッドの端で、私とは反対側を向いたまま、小声で応えた。
「…あの人、クサントスを知ってたからね…」
「その…クサントスって誰?私、聞いた事ないのだけど…?」
クラウディアは暫く黙った後で、躊躇しつつ口を開いた。
「…ごめんなさい。約束だから言えない」
そう言って、黙ってしまった。
私は、そう…と言って、会話を切った。
今夜の教会は耳が痛くなる位に静かに感じた。
時折来る、夜の見回りの足音だけが、遠くの方で小さく反響していた。




