◆4-6 変人教授、再び
クラウディア視点
大学部の教員棟の入口前で、私はイルルカと一緒に馬車から降りた。
入口の両開きの豪華な扉を開くと、ステンドグラスの窓から射し込む色とりどりの光が、ロビーの豪華な薄赤色の絨毯に反射して、私は目が眩んだ。
教員棟だからかロビー自体はそれ程広くはないが、奥の磨り硝子の扉の向こう側に広い談話室が透けて見える。
それ以外にも商談室の扉が複数並び、高等部の寄宿舎よりもかなり豪奢な造りとなっていた。
正面の受付では、派手ではないが一目で高位貴族と分かる佇まいの受付嬢が書類仕事を片付けていた。
彼女はこちらに気が付くと、子供二人を見てキョトンとした後、表情を直して挨拶をしてきた。
「初めまして。こちらは教員棟で御座います。
教員の親族の方でしょうか?」
……制服着てくれば良かったわね。
私は背筋を伸ばして名前を名乗り、貴族としての挨拶をした。
イルルカも緊張しながら後に続いた。
「突然の訪問失礼致します。
本日は当校高等部教師、アルドレダ=バルバドスの代理として参りました。
カーティ=ウンブラ=ルトベック教授に御相談したい事がございます。どうぞ、お取次お願い致します。
また、所要により時間が取れない場合は、先触れとして面会予約を取ってくるよう申し遣っております」
そう言って紹介状を渡しつつ取次を頼む。
受付の女性はニコリと笑い、「畏まりました、少々お待ち下さい」と話して、部屋の奥へ消えていった。
奥からは、入れ違いに代わりの女性が出てきて私達にロビーのソファを勧め、受付を引き継いだ。
私達は革張りソファでくつろぐ。
いや、イルルカだけは、相変わらず平民丸出しでキョロキョロしていた。
「いい加減慣れなさいよ…」
「いや、でも、ね…?怖くない?」
「なんで?」
「だって…このテーブルもソファも…高級過ぎて…触るのも怖い…」
「貴方の家の応接間の前室にもある程度の物でしょうに…」
「こんな高級な物、無いよ…?」
「貴方の実家の話じゃないわよ…はぁ…少しはイリアス様に顔を見せてあげなさい…」
「イリアス様は…ちょっと…何ていうか…」
「はっきり言いなさい」
「…あの…ちょっとだけだよ…?ちょっと…顔が怖くて…」
ぶ…
私は顔を抑えながら俯いて、笑いを堪えた。
受付の女性は、不思議な顔をしながら私達の様子を見ていた。
そうこうしていると、廊下の奥から誰かが走って来る足音がした。
「クラウディア〜!イルルカ〜!」
カーティ教授が飛び込んで来た。
私はさっとイルルカを盾にした。
カーティ教授の頭突きがイルルカにクリーンヒット&ノックダウン。
走るカーティ教授を追いかけて来た受付嬢は、貴族女性とは思えない行動をとる教授に驚いて啞然としていた。
「もー!久しぶり!!
なんか?集団遠足とか?そんなので、二人共2週間も居なかったから、授業に張り合い無くて〜。
いや、他の子達も優秀なんだよ?
気位ばかり高くて、全くやる気のないクソ馬鹿な大学部の生徒達より、皆よっぽど優秀なんだけどね!
やっぱり君達には敵わないというか、ね?
私は、ほら、…ちょこっと怒られて、高等部になかなか行けないじゃない?
君達はこっちに来てくれないし〜!
今日はどうしたの?大学部に入学したの?
大歓迎だよ〜!
あれ?そう言えばルナメリアちゃんは?
今日は、実験のイケ…手伝いに来てくれたの?
それとも討論する?」
「カーティ教授、イルルカが気絶してますよ」
「あれ?何で?」
私達とルーナは、カーティ教授の選択授業を受けている。
週に一回しか無いが、その少ない時間を利用して私と新しい理論について討論したり、イルルカやルーナの能力を測定、実験したりと、授業そっちのけで楽しんでいた。
授業初めの頃に、授業中以外でも私と討論をしたくて寄宿舎に無許可で侵入したところを捕まった。
その為、彼女は授業以外での高等部立ち入りを禁止されていた。
仕方無いからと、彼女は授業時間いっぱいに私と討論や実験ばかりする。
周りの生徒達は、私達の討論内容について来ようと自主勉強をするので、今では大学部の生徒以上の知識を有するようになっていた。
ルーナは元々知られていた様にとても優秀で、私達の討論にも教授の実験にも、良く勉強して理解し、協力していた。
そのおかげで、理論を理解してからは凄まじい早さで細かい魔力操作も習得した。
先日の『ボガーダンの獣』退治の時にルーナが使用した技術、『複数の竜巻を起こす事』や、『狙った場所に気流を発生させる事』が出来るまでになった。
そしてイルルカも、自分が生きていくのに必要な事だと理解している為か、知識の吸収がもの凄く早かった。
少し前までは魔素研究の分野には素人同然だったのに、今では授業の内容についてこられる程になっていた。
理論を学んだおかげで、触るだけでは魔導具を爆発させないように出力を抑えられるようになった。
「どうしたの?イルルカ〜?
遊ぼ…実験しようよ〜?」
カーティ教授がイルルカの頭を思いっきり揺さぶる。
「は…?あれ…?ここは…?」
ようやくイルルカが目を覚ました。
「ロビーで騒ぐと受付のお姉様達に迷惑を掛けますわ。
教授の研究室に移動しましょう」
私が提案すると、カーティ教授だけでなく受付嬢達まで賛成して退室を促した。
◆◆◆
「それで?今日は何を聞きに来たの?」
研究室に移動した教授は、意外にも冷静に質問をしてきた。
「キミがアルドレダの代理程度の用事で来るとは思ってないよ。
何か相談したい事があるんじゃないの?」
カーティ教授が鋭く質問をする。
「残念ですが、今回は私の用事ではなく、先日アルドレダ先生が黒の森で拾った物について、質問をしてくる様に言われて来ました。
アルドレダ先生から、私とイルルカが訪ねた方が食いつきが良いだろうと言われまして…」
イルルカは空気を読んで何も言わなかった。
「なんだー、キミの用事じゃないのかー。
期待してたのに〜、残念…。で、何?」
「恐らく魔導具だと思われますが、どの様な効果があると思いますか?」
私は自作した『魔素マスク』を見せた。
マスク自体は、私が転げ落ちた時に破けてしまっているが、繋がる『糸』や魔石は無事。
カーティ教授は、しげしげとマスクを検分した。
裏返したり、ろ過部位をピンセットで掻き分けてみたり、『糸』の部分に魔素抵抗器をつけて数値を測ったりしてみた。
「これは…軍が使う防毒マスク…に似ているね。
もしくは疫病が流行った時に医師が使う防菌マスクか?
でも、目を覆うカバーが無いね…」
カーティはブツブツと呟きながら、マスクを分解していく。
「それに…ろ過した毒を分離・貯蔵する場所が無い…。
対毒用の装備ではないのかな…?
しかし…気になるのは、この『糸』だけど…。
何の素材で出来ているのかな?」
ピンセットで糸を抓みながら、じっくりと観察する。
「ろ過部分は…普通の防毒マスク素材を高密度に圧縮しただけの様ね…。
ここに繋がっている糸の魔素抵抗値があり得ない位に低い…。
見た事のない数値が出てる…。
この先に付いているのは…かなり高品質な魔石だねぇ…。
売ったらいくらになるんだろう…?」
ブツブツと独り言を言いながらバラバラにして調べている。
「恐らくは…魔素を分離して貯蔵するマスクじゃないかな?
黒の森に落ちていたと言ったね…
高濃度の魔素を吸入しなくて済む様に…?
魔素酔いや、魔素中毒を避ける為の物じゃないかな?
しかし…これでは…」
ずっと一人でブツブツ喋った後、カーティ教授は急に黙って考え込んだ。
暫く黙った後で、急に尋ねてきた。
「ねぇ…、この魔導具の側に死体は無かった?」
「え…死体?
聞いてませんが…。
恐らくは無かったと思いますが…」
想定外の質問に驚いた。勿論、表情や言葉には出さない。
「そうだよね…あったら子供に持たせて来ないよね…」
教授は、再びブツブツと独り言を言い始めた。
「何か分かったのですか?」
質問すると、教授は驚きの発言をした。
「これは、さっき言ったように魔素を分離し貯蔵する事を目的としたマスクだけれど…、これは不完全だね。
こんなマスクを着けて高濃度汚染されている黒の森に入ったら、着けた人は死ぬよ。
だから、死体が近くに無いと絶対におかしい…」
「大型の魔獣にでも食べられたのでは?」
私は、知っている事を知られない様に誤魔化した。
「黒の森の魔獣?ふふ…今話題のボガーダンの獣かい?
それでも衣服程度は残ってると思うけれども。
衣服も死体も無いのに、マスクだけ残されているのは不自然だねぇ…
着用した人が失敗作と気付いて、外して捨てた…?
でも、失敗なら気づく前に死んでるよねぇ…?
それとも、この破けた部分にろ過装置の要があったの?
もしくは…」
カーティ教授は、う〜ん、と唸りながら考え込む振りをして、視線を向けずにこちらの様子を伺っていた。
…疑われてるわねぇ…私が作ったと思ってるみたいね…。
『糸』の事を知られるのはマズイのよね。
「成程…アルドレダ先生からは、側に衣服が落ちていたかは聞いてませんでしたね…。確認して来ますか?」
分からない振りを押し通す!
「……いや、いいよ」
暫く黙った後、教授は溜息をつきながら答えた。
「教授は、これを不完全と言いましたが、どこに問題があると思われますか?」
「ろ過装置の部分」
即答した。
「これは防毒マスクや疫病マスクを参考にしたのだろうね。
でも、魔素の粒子は毒や病原体よりずっと小さい。
このマスクは防毒マスクよりは高性能だけど、魔素の分離は良くて半分。…いくらこの『糸』の魔素誘導が高性能でもね。
それ以外は、ろ過装置を素通りしてしまうと思われる。
軍の防毒マスクを遥かに超える、もっと密度の高いろ過装置、若しくは魔素を誘導吸着か選別排気させる素材が必要。
これでは…恐らく駄目だろうね…」
カーティ教授は断言した。




