◆1-1 お祭りの準備をしましょう 1
第三者視点
プロローグ
外からは、溶け残った雪で遊ぶ楽しそうな子供達の声がしている。
南に面した窓からは、朝よりも暖かくなった柔らかい光が射し込んできている。
…カチャカチャ…コト…
朝は、寒さで手がかじかみ動かし辛かったけれど…
朝よりも、少しずつ暖かくなってきた部屋の中で、作業着を着た少女が、一人黙々と作業をしていた。
眼鏡とマスクを着け、頭は白い布で覆い、黒い髪の毛が材料に落ちない様に気をつけているようだ。
少女が向かい合う作業机の上には高級そうな白磁器で出来たお皿が何枚も並べられていて、そのお皿の上には小さくて細かな部品が種類別に綺麗に整頓されていた。
少女は、子供の親指より更に小さな四角く切った磁器の板に、ピンセットで細かい部品を規則正しく重ねて貼り付けていく。
僅かな埃も入らないよう慎重に、慎重に。
小さな四角い箱を何個も作っていた。
廊下の外からは、讃美歌を歌う子供達の綺麗な声が響く。
しかし、手元を凝視し続ける彼女には、外の子供達のはしゃぎ転げ回って遊ぶ声も、廊下から聞こえる讃美歌も、全く耳に入らない様だった。
張り詰めた糸のような緊張感と共に部屋の中で動く唯一のモノは、少女の大きくて綺麗な赤い瞳と小さくて華奢な白い手だけだった。
◆◆◆
少女が作業をしている小さな部屋の中に入る陽の光が傾きはじめ作業机の上からその光がずれ落ちると、その少女はようやく手を止めた。
細かく軽い小さな部品が飛ばないよう、埃が混ざらないようにと少女は気を付けながら、ゆっくりと息を吐いた。
少女は凝り固まった身体をほぐして大きく伸びをした。
とても小さな残りの部品と、出来上がったいくつもの小さな立方体の箱を、細かく仕切りのついた箱に綺麗に正確に分け入れてから蓋を閉じた。
そして、髪を覆っていた布を脱ぎ、後ろに纏めていた髪を解いて、少女の長くてまっすぐな美しい黒髪を解放した。
…コンコン…
少女が身体を解していた丁度その時、部屋のドアが外側から軽く叩かれた。
…カチャ…外から鍵を使って扉の鍵は開けられる。そして扉は小さく開かれた。
小さく開いた扉から顔を出したのは、修道女の服を着て首元に赤いリボンを付けた、赤い髪の少女だった。年齢は部屋で作業をしていた黒髪の少女と同じ位に見える。
扉を開けた少女は、綺麗に手入れをされた波打つ赤い髪と大きな灰色の瞳をしていた。
そして、幼い顔に似合う愛らしい雰囲気を醸し出していた。
赤髪の少女は、黒髪の少女が作業を始めると、扉をいくら叩いても気付かない事を知っている。だから、黒髪の少女から部屋の鍵を渡されている。
「クラウディア作業は終わった? 司教様がお呼びよ」
「わかったわ、ジェシカ。今、着替える。ちょっと待ってて」
クラウディアと呼ばれた黒髪の少女は了承の返事をして立ち上がると、素早く作業着から修道服に着替え、胸元に赤いリボンを付けた。
着替えを終えてから、大事な部品を入れた箱を鍵のかかる棚に仕舞い、しっかりと鍵をかける。そうしてから、ジェシカと呼ばれた赤髪の少女と一緒に部屋を出た。
部屋を出て石造りの冷たい廊下に出ると、右手の奥から讃美歌を歌う子供達の声が響いてきた。
「練習してたのね、気が付かなかったわ…子供達に見に行く約束をしてたのに。忘れてたわ…」
と、クラウディアが呟くとジェシカが、
「皆、午前の礼拝の後からずっと練習しているじゃないの。もう夕方よ」
と言われ、クラウディアはバツの悪そうな顔をした。
二人は話しながら、歌声の聞こえる右手の礼拝堂の方向とは逆の左手方向へと歩き出した。
作業部屋の並ぶ南東側廊下を抜け、狭い反省室、祈祷室や物置部屋が並んでいる西側廊下を北方向へ通り抜けると、男子棟に、孤児院を併設した女子棟、そして食堂に通じる広めの北側廊下に出た。
廊下では数名の修道女や修道士達が、夕食の為の食材を運び込み、灯明皿に油を足し、燭台に灯りを点けていた。その側をクラウディアとジェシカが通り掛かる。
話しながら歩く二人の幼い少女達。それと対照的な年のいった大人である修道士達。
相手が年下にも関わらず、修道士達は二人を見ると脇に避けて、膝を軽く曲げ、両手を胸の前で交差させて目を伏せた。目上の者に対する礼の姿勢だ。
「礼はいいわ。私達の事は気にせず、仕事を続けて頂戴」
赤髪の少女が一言発すると、修道士達は作業に戻った。その様子を横目に、二人は通路の先にある階段へと進んだ。
二人は食堂と女子棟の間にある、地階から一階に通じる修道士達だけが使用できる内階段を上った。
階段を登り一階に出ると、綺麗に掃除された毛足の短い絨毯が敷かれた美しい通路に出た。
地階のあまり明るくない灯明皿と燭台だけの灯りとは違い、一階で点灯している魔導灯の光は、廊下に敷かれた赤い絨毯や隙間風を避ける為に飾られた金糸の入った複雑な紋様の黄色いタペストリーの色を反射していた。
その廊下はまるで昼間の様だった。
明るい一階廊下を東の方へ進むと、廊下の北側に装飾の施された扉がいくつも並んでいた。その中に一際立派な装飾の扉があった。
その立派な扉を前に二人は足を止め、ジェシカが胸元から鈴を取り出して鳴らす。すると、扉が小さく開き修道士が顔を出した。
「ジェシカです。クラウディアを連れて参りました。エレノア司教に取り次ぎを願います。」
顔を出した修道士が一度頷き、扉を閉める。暫くして同じ修道士が、再び扉を開けて顔を出し、二人を招き入れた。
二人が扉の内側へと入って行く間、クラウディアは今通って来た通路の階段の方向を気にしていた。
◆◆◆
部屋は大きな執務室兼応接室になっていた。
部屋の西側は、執務をする場と事務をする場になっていた。
四つの事務机と一つの立派な執務机があり、執務机には高価な羊皮紙が何枚も、うず高く積まれていた。
全ての机の周りでは、十人程の修道士や修道女達が忙しなく働いていた。
部屋の北側には薪と暖炉があり、火が入っていた。
暖かな暖炉の火が、まだ肌寒い季節の冷たい石造りの教会の中で、この部屋だけは違うと主張するかの様に、部屋の中に春を作り出していた。
部屋の東側は貴賓用応接室になっていた。
応接室には、二人が入ってきた扉とは別に、応接室専用の扉があり、その扉のすぐ横の壁には来賓の目を楽しませる為の美しい水槽が置いてあった。
貴族にとってすら余りに高価な為に、所有している者はほとんど居らず、そして所有している事自体がそのまま財力を表す指標となっているアクアリウムだ。
この部屋の主にはそれだけの力がある事を示していた。
応接室中央には貴賓応接用の豪華なローテーブルがあり、上座側には豪華な装飾の長椅子が置いてある。
そして下座側には、それ程には格の劣らない装飾の施された一人掛け用の椅子が5脚、テーブルを囲んで置かれていた。
それぞれの椅子には、金糸で刺繍が施された、羊毛の入った緩衝用のクッションが置かれていた。
5脚の内、2脚には既に先客が座っていた。
机の脇には大きめのカートが置かれていて、6客の高価な白磁の茶器と、ティーコゼーのかかったティーポット、クリームジャグに高価な砂糖の入ったシュガーボウルまでも用意されていた。そして、ティーポットの口からは紅茶の良い香りが漂っていた。
二人の先客達は、部屋に入ってきたクラウディア達二人を見ると軽く手を振ってきた。
クラウディアと同じく大きな赤色の瞳と漆黒の髪をした、感情の読めない無表情な少年と、金色の髪と灰色の瞳を持った優しい雰囲気の年上の女性だった。
二人共、クラウディアやジェシカと同じ様に、修道服の目立つ場所に赤いリボンをつけていた。
◆◆◆
クラウディア達二人は部屋の左側の事務机の間を進み、書類の山の一部と化している立派な執務机の前で立ち止まる。
二人は膝を軽く曲げ、両手を胸の前で交差させる礼の姿勢を取った。
書類の山の向こうの人物が周囲に声を掛けると、部屋で作業をしていた修道士達が集まってきて、山と積まれた羊皮紙の書類を執務室の西隣にある保管室へと運び出した。
そうして書類が片付くと、光を纏い輝く波打つ金髪と芯の強そうな鋭くて赤い瞳を持つ、美しくて若い女性が顔を出した。
女神を表す教皇の金糸白絹、太陽を表す枢機卿の黄色に次いで、教会内でも高位の「赤いウィンプルと修道服」を纏うことが許された存在、エレノア司教である。
エレノア司教は部屋付きの修道女達に目配せすると、彼女達は軽く頷き、優雅な動きでカートのティーセットをローテーブルに準備した。
準備が終わると他の退室作業をしていた修道士達と共に、5人を残して部屋を出て行き、扉をしっかりと閉じた。
「クラウディア、ジェシカ、急に呼びつけて悪いわね。そちらで話をしましょう。そろそろオマリーが帰って来る頃よ」
その言葉を聞いて、ジェシカは目を大きく見開いた。
エレノア司教が応接室のローテーブルを指差し立ち上がった丁度その時、応接室側の扉がノックされてから静かに開けられた。
そこには筋肉質で褐色の肌を持ち、綺麗に整えられた顎髭を生やした、身体の大きな壮年の男性司祭が立っていた。
「司教様、お待たせ致しました」
「いいえ、丁度良かったわ。お帰りなさい、オマリー神父」
エレノア司教はそう言うと、3人に応接室の椅子に座るように促した。
先客の二人はすぐさま立ち上がり、クラウディアと一緒に、「お久しぶりです」とオマリー神父に軽い挨拶をしてから礼の姿勢をとった。
ジェシカだけは彼に「お父様、お帰りなさいませ」と、貴族令嬢の様にカーテシーをした。
オマリー神父は「……ただいま。良い子にしていたか?」と、ジェシカを優しく撫でた。そうしてから「先に司教様に報告がある」と言い、エレノアの前へ行き、礼の姿勢をとりながら帰還の挨拶を述べた。
◆◆◆
「ノーラ、悪いけどお茶を入れてくれるかしら」
全員が席に着いたところでエレノア司教は、席に着いていた金色の髪と灰色の瞳の修道女に紅茶の用意を頼んだ。
ノーラと呼ばれた修道女は了承し、ローテーブルに準備された紅茶を全員分用意し、懐から取出した銀匙でかき回した後、自分の分を先に口にした。
彼女は暫く口の中で動かし、充分に確かめた後に嚥下した。
続けて、砂糖とクリームを銀匙に乗せて、凝視した後、残った紅茶に混ぜて同じ様に口の中で確かめた。
「エレノア様、問題ありませんわ」
「ありがとう。皆、いただきましょう」
「「「マイア様の恵みに感謝を」」」
全員が両手を胸の前で組み、感謝の祈りを捧げて紅茶に手を付けた。
「お父様、北の村はどうでしたか? 危険なことはございませんでしたか?」
「ああ…野盗や腹をすかせた獣が増えている様だ。北の国では近年稀に見る不作で難民が流れて来ているらしいな。私も村人と共に獣や野盗退治をしてきたよ」
「まぁ! お怪我はございませんでしたか? お父様…危険な事はお控えくださいませ…」
オマリー神父が、出向していた北方の村の食糧事情や村人の様子などを説明し、皆が、無事に帰って来たことを喜び、エレノア司教が北の国の事を心配していた。
そうして暫く皆で話していた後、クラウディアが唐突に、
「…皆、もういいわよ」
と、言った。
文字数を減らそうとすると、意味がわかりにくくなってしまったので、文字数を増やして修整しました。読みやすい文って難しい…