19,→↓↘+P
楓から情報提供を受けた数日後。
俺は今、隣街のとある雑居ビルの、地下一階に来ていた。
それは、地下格闘技団体【覇道昇竜会】の格闘技イベントが行われる予定だったからだ。
前座の試合は終わり、会場は既に温まり切っている。
異様な熱気に包まれた会場に、馬鹿みたいに騒々しいBGMが流れて、選手が入場する。
会場の中心にある円形のリングは金網に囲まれていた。
今しがた入場した二人の選手は、そのリングに入り、中心で睨み合っていた。
片方は上半身にタトゥーを入れている若い男。
もう片方は脇腹に古い刺し傷がある、30手前程度の男。
レフェリーを務める金髪の小太りなおっさんが、二人に指示をしてから……ゴングが鳴った。
はなっから全力で殴り合う、二人の男。
会場の観客は大盛り上がりだ。
殴られたら殴り返し、蹴られれば蹴り返す。
そして、掴まれたら掴み返す。
彼らは表のプロの格闘家に比べて動きが洗練されていない。
というか、どちらかというと……。
「まるでチンピラ同士の喧嘩だな」
「そうですね」
それはリングに上がっているモノだけじゃない。
「ぶっ殺せー!」
「ビビってんじゃねぇ、殺せー!」
「へばってんじゃねぇ、殺せー!」
どちらを応援しているのか全く分からない声援を選手に送り続ける観客。
観客のほとんどもチンピラのようだ。
中世の公開処刑は娯楽だったと聞いたことがあるが、今周囲にいる奴らほど殺人を欲していたとは思えない。
傷跡の男が、タトゥーの男のマウントを取り、容赦なく拳を叩きつけた。
リング上を、鮮血が舞う。
それは、殴られた男が折れた歯と共に吐き出した血だ。
そこでようやく、レフェリーのストップがかかった。
負けたタトゥーの男は担架で運ばれていく。
……医務室なんて上等なものがあるかは不明だが、少なくとも控室で簡単な治療を受けることになるのだろう。
勝利者インタビューで、傷跡の男は頭の悪いマイクパフォーマンスを披露する。
観客もそれに合わせて、大盛り上がり。
その中でも、両隣に若い女を侍らせて一際喜んでいた男がいた。
「あのバカみてぇに笑ってる大男が、ここの代表……鬼道隆矢か」
スキンヘッドと鼻ピアスが特徴的な、強面の大男を俺は睨む。
楓が調べたところによると、年齢は32歳。身長192センチ体重105キロ。
分厚い筋肉を、適度な脂肪が覆う。
素手で立ち向かって勝てる人間は、ほとんどいないだろう。
鬼道は学生時代は空手、柔道、レスリングをしていたらしい。
それからその喧嘩の腕を買われ、ろくでもない連中とつるむようになり、怖いもの知らずの性格と子分たちの面倒見の良さから慕われるようになり、今はこうしてお山の大将を気取っているらしい。
リングから降りた選手を、鬼道は笑顔で迎え入れた。
リング上で暴れまわっていた凶暴な男は、微笑みを浮かべて会釈をしていた。
「……情報によると、鬼道は毎回、勝者と一緒に飲みに行くらしいですね」
「祝勝会ってんなら、普通に休ませてから後日すればいいのにな」
俺は呆れたように答える。
「我々も、もちろん後をついて行きますよね?」
「ああ。シマの見回りは組のモンに任せているし、問題ないだろうからな。こっちは、できるだけ相手さんの情報を手に入れときたいからな」
俺と葛城は、席を立つ鬼道の後を追う。
時刻は22時過ぎ。
俺はふと、楓の淹れたココアが飲みたくなったが――これから向かう飲み屋には、そんなもんおいていないだろうなと、こっそりと溜め息を吐いた。
☆
【歌音視点】
「どうして私たちは留守番なんでしょうね?」
今日は仁先輩が【櫻木會】にちょっかいを出そうとしている半グレが主催している格闘技イベントを観に行っているため、私は楓さんと部屋で二人きり。
「若は、歌音さんに野蛮な試合を見せたくなかったんでしょう」
楓さんは微笑みを湛えながら、そう答えた。
多分、本気で言ってはいない。
「私がいたら、いざという時足手まといになりますもんね。……楓さんまで私の面倒を見るために留守番になっちゃって、ごめんなさい」
軽めの偵察、ということになっているけど、もし仁先輩が【櫻木會】にゆかりある人物だと相手にバレれば、多分トラブルになる。
そうなった時に、間違いなく私は足手まといになる。
「どうでしょう。若と葛城がいれば、そこらの半グレが束になっても敵じゃないですからね。……単に、情報収集をし続けていた私に休みを与えてくださっただけかもしれませんよ」
楓さんの言葉に、私は
「だとしたら、私のお世話は良いから休んでくださいよ」
という。
楓さんは「趣味みたいなものなので。お気になさらず」とクスリと笑った。
その笑顔が可愛らしくて――。
私は、これまで気になっていたけど聞けなかったことを、聞いていた。
「楓さんって、普段男装してるのは何でですか?」
眼帯を外し、男物のスーツも来ていない、誰がどう見ても美女の楓さんは、私の質問を聞いて。
もう一度、クスリと笑っていた。