ホラー映画ほどタイトルと内容にズレがないものはない、という話
気を失っていたわけではなかった。
が、どのくらいの高さから転げ落ちたのか分からない。放心していた。頭も何度か打ち付けたし、右腕も背中は雑草が絡んで、皮膚はささくれ立っていた。顔を守るように左手で覆っていたが、鼻も熱を持ったような感覚がある。打撲したのだろう。
立ち上がりながら、軽い火傷のようにひりひりとする背中を、左手で軽く払って土と草を落とす。汚れたろうか、気に入りだったのに。
「はあっ、はあっ、…あぁ…、ふぅ」
呼吸を整えて、ぷっ、と口に入ってきた草を吐き出す。コークを開けると、もこもこと泡が出てきた。上着の中でシェークされたからだ。水分を取り込んで一息。見上げて現在地を確認する。
「んん…っと、あちゃあ」
宵闇に目を凝らして、土手の頂上を探す。どうやらかなり高くから落ちたようだった。ここをそのまま戻るのは難しそうだ。
「階段があったよな」
自宅に向かった道中、踏み外したのだから少し戻ったところに階段があるはずだが、落ちてきた道には傾斜はない。というか、舗装された道ではないようだからどちらに下っているのか判断ができないでいた。
土手の下は一層暗かったが、次第に目が慣れると落ちてきた道の遠く、白く光るものがあった。コンビニの明かりよりも騒がしくないが、街灯よりは、落ち着かない。そんな光だった。自分の身に起きたことを考えても、それが何であれまずは向かおうと、そちらに足が向いていた。
妖しい光が、手招いてぼくを待っていた。
どれだけ歩みを進めても光は強くならず、まるで僕の警戒を解そうとして、あえてそうしているようだった。
目の前まで来て、顔をしかめてツバを飲んだ。
「トンネル…?」
光っていたのは道路照明だったわけだ。
とはいえ、廃隧道なのだろう。こんな道、使ったことはない。それに、この光の下へ来る途中で気づいたが、ここも先刻転げ落ちて来た場所も、舗装路だった。地面を割って草木が生え伸びて、本来の道を崩していた。
もしも、普段から使われている舗装路に落ちていたら、怪我の程度はもっと酷かったかもしれない。
とにかく、この廃隧道、出口が見えない。果てしなく長いのか、下ってるのか曲がってるのか。検討もつかないが、部屋にたどり着くものではなさそうだ。隧道の右側に換気扇がゆるく、テンポを守らず回っている。こん、こん、かりかりかり。歪んだ羽が何かを叩いているのか。壁を爪でひっかくような音が聞こえる。
その壁には数字や記号、矢印。かすれて読めなくなっている部分もあるが何かを指し示すように書かれていた。
白い光が、じいーっとぼくを見つめている。
その視線を壁に誘導しながら、かすれた文字を読み取ろうとした。
もしこの先で分岐していて、部屋の近くまでいけるなら、それも儲けだ。普段誰も使わないなら、中級区住まいの時から愛用している立ち乗りのスマートスクーターでも飛ばせる。基本坂道で、階段の多い下級区では自転車ですら乗っている人間は少ない。区域としても小さいし、徒歩で困ることはないけれど。
掠れた文字は読めなかった。
昼間なら、もう少し読めるようになっているだろうか。ここへの道順はわかっている。まずは土手を転がり落ちて、自然と足の向いた方に歩けば、岐路はなく真っ直ぐやってこれる。
トンネルの入り口、その直ぐ側にブロック塀が立っている。金網のフェンスもあるが、一面、荒々しく大胆に、こじ開けられたように針金が引きちぎられている。ブロック塀もよく見ると上の方は屋根と隙間ができており、全体的にも崩れそうな程だ。
指でツンと押してやれば、だめだこりゃと言わんばかりに。
廃隧道に廃墟、誰も使わない道。
明日、面接が終わったら探索に戻ろう。
下級区からは早く出たいけど、折角なら二度と戻ってこないように思い残しは少ないほうが良い。
「さて、階段はこっちじゃなかったから。戻らないと」
こん、こん、かりかりかり
こん、こん、かりかりかり
換気扇の羽が音を鳴らしている。
じめじめとした廃隧道。時折、雨垂れのような、水音も聴こえる。
ぼくはオカルトや霊現象は信じないようにしている。見えていないものは、存在しないのと同じだし、存在しないものを恐れると生きていけなくなる。それが幽霊、生きていないものなら尚更、生きている人間が向き合ってはいけないものだ。
ぼくはホラーが苦手だ。今言ったように意識していれば大抵の恐怖に打ち勝つ事ができるが、怖いことは怖い。和らげたり、動じないほど強くなれるということはない。
このシチュエーション、映画なら目を摘むってやり過ごすシーンだ。
蛇足に馳せていると、換気扇の羽が、一定のテンポを刻むようになった。かっ、かっ、かっ…
足音にも似た音。少し急ぎながら、それでも慌てず根拠を明らかにしているような。獲物を捉えた獣が、突進してくるような、迷いと理性を感じない音。
廃隧道、その奥の闇から、男のような太い声が、地を這うように響いてきた。差し迫る、そんな圧力を感じて、思わず身を屈めた。
「うわあああああああああああああ」
一旦の静寂。一帯の音の粒は、ぼくの情けない叫び声に掻き消された。その後からまた、廃隧道はゆっくりと呟くように換気扇を回し始めた。
こん、、こん、、こん、、
全ては終わって、ぼくは無事。実際には何も行われなかったんだろうし、ぼくがこの廃隧道の空気に飲まれて、混乱していただけなのだ。ぐっと、手と膝に力を入れ頭を高く持ち上げる。廃隧道の奥の闇には目を合わせられなかったが、代わりに白い光と目があった。
じいい、っとぼくを見ていた。
ぼくはその視線を背に受けながら、足早にその場を去ることしか出来なかったのだった。