物は使いよう。大事なことはちゃんと伝えようという話
広場から家に戻る道を行こうとしたときに、脇道があることに気づいた。昼間は草が被っていて気づかなかったが、やや急な階段があるようだ。人が上がってきて、思わず声を上げた。
「ひぃぃ、え!!!えっ?あっ、と。こ、ここ、ここんばんは…へへ…」
上がってきた男はバツが悪そうな顔をしたが、その後舌打ちをしてこちらを睨みながら言葉を返してきた。
「ちっ…。出待ちか?そんな事しなくても下りゃあ誰でも入れるよ。」
「え、どこに。何が…ですか?」
「あ?いやだから、玉手市に入るのに紹介が必要って言われてるだろ?ありゃタダの一般人除けだからその気のやつは誰でも入れるようになってんだよ。」
用がないなら行くからな。と言いながら、ぼくの事をジロジロと訝しんでいる様子の男。
違和感だ。なんで要領を得ない男だと思われているのか、原因が分からない。深夜に土手を登ってくる男のほうがよっぽど要領を得ないだろうに。
吊り目に、明るい黄色の短髪。シルバーアクセサリーが耳と唇に光る。青白い街灯がよく似合う外見だ。正直怖い。ちょっと日焼けしてる感じも、下級区の治安悪い人のそれだ。
やや親切というか、面倒事を避けようとしている節があるが、下級区生まれ下級区育ち、スクラッチワンツーブチアゲな人間にしか見えない。チャラい。
というか、タマテイチ?なんだそれは。半年間、一度も聞いたことのない名称だ。
「なあ。まじでもう行くぞ?行き方わかるか?」
「えっいや、はい!!家に帰るところだったので…!!」
「そうか?ならいいけどよ。まあ、下れば誰でもわかるようになってからよ。」
じゃあな、と言って男は去っていった。
ここで心の中にはある2択が浮かんだ。帰るか、行くか。行ってみたいが、さっきの男のような奴らばかり集まる場所だったら、そう思うと身がすくんで、足が向かない。
だが、普段一般人除けをするような場所。入ってみたくない訳がない。
ごくりと唾を飲み込んで、階段下を見下ろす。暗くてよく見えない。恐る恐る、一歩前へ出る。草と砂が一緒に靴の下敷きに。苔が生えているのか少し滑りそうになるが、踏みとどまる。
「いやいやいやいやいやいやいや」
ないね。行かない。行ったら人身売買オークション直行だもん。こんなぼくを2億で買い取ってくれる知り合いに心当たりなんてないし、そうなったら人生終了だ。行くわけない。
そう思って、慌てて家に帰る道に戻った。
背中につうっと汗が流れて、下着の緩んだゴムが吸った。反対側では、コークの缶から結露した水分を吸って、上着が濡れていた。
汁もすっかり冷めきったおでんの汁を林に捨て、道の脇にある屑籠に放る。軽くなった容器は風に持ち上げられ、軌道を変えながら、最後には草の上をカサカサと転がる。汁は道は捨てたのにゴミは屑籠にいれるのはせめてもの良心だ。そして、その屑籠がゴミを拒んだのだから、ぼくが追いかける道理はない。
「…。」
遠くに飛んで行けば良いのに。屑籠の周りを転がり続ける空容器を傍観している。風が拾い上げて屑籠に入れてくれよ。そもそも風が吹かなければ、こんな事にはならなかったはずだ。草木は栄養たっぷりの出汁を吸ってすくすく育ち、空容器は屑籠に収まって然るべき機関が回収し、再生資材として次の世に生まれ変わる。たった今その輪廻が風によって乱された。あるいは自然がそれを望んでいるのか。
「これも神のご意思かな…」
風が騒がしい。泣いているのか。
そうであれば、ぼくの善良な行いへの感涙だろう。拾おうと一歩近づく。中腰になっ手手を伸ばそうとしたところで、風に空容器が持ち去られるように屑籠を離れる。コロコロと。
「おっ、とっ、と。」
大股に3歩跳ねて、地面を這う空容器を掴む。むんず。と運動不足を痛感させる鈍な動きだった。
屑籠に向き直って、前に出そうと左足を前に出したときに気づいた。右足がなにかを踏んで滑ったのだ。
急転直下、身体は地面に吸い込まれるように落ちていくが、視界だけはやけに明るい星空に向いた。
「お」
手を着こうと地面を捉えたが、雑草が生えて高さが読めない。右足が一瞬視界の隅に映って、ぼくに攻撃を仕掛けた敵を確認した。コンビニのポリ袋だ。白く、つるつるとしたアレが、この戦況で先手を取ったのだ。
時に、猫や犬、未確認飛行物体にまで化ける幻惑を得意とし、さらに今回のような搦め手のようなこともできる。
最近アップデートされ実装されたバージョンではMP消費が大幅に増え、使用プレイヤーをついに見ることがなくなった遺物に思っていたが、機を伺っていたのだ。虎視眈々と、ぼくのような神の使徒を屠るために。邪神め。次の世で一足先に待っているぞ。
「おおおおおおおおおっ!!?」
背中からの着地と共に転がり落ちる。どこまでも。神よ、ぼくは何を違え、何を正せばよいのでしょう。
風が、ぼくの手から空容器を掠め盗っていった。