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短編集1

雨の日の蝸牛

作者:

誤字脱字がどこかに隠れています。見つけたら迷字センターまでお願いします。



 あめ、あめ、ふれ、ふれ。

 有名な童謡のように、お母さんが蛇の目でお迎えに来たことなんて無いけど。

 私は雨が好きだ。






◆◆◆




 さあああ。

 雨が降っている。どしゃ降りほど強くはないが、傘をさしていても微妙に服が濡れる程度の量である。

 部活が休みだから、ついつい教室でのんびりしてしまった。普段一緒に帰っている友達はさっさと帰宅していったので、一人で階段を降りる。ホームルームが終わってすぐでなければ昇降口の人気は少なく、落ち着いて靴を履き替えられる。靴下越しでも、下駄箱前のすのこは冷たい。

「傘! 忘れた!」

「まじかよ、ちゃんと天気予報見なよー。入ってく?」

「いれてーー!」

「ちょっと待って傘盗まれてる。無いわ」

 傘を盗むなんて。まったく、ひどい奴が校内にいるものだ。 

 とんとんと爪先をリズムよく床に打ち付けながら昇降口を出るが、雨音はそこまで気にならない。けれど、トタン屋根の真下にある自転車置き場なんかは、ばらばらばらばら、そう大きくない雨粒でもうるさい。

 でもつい近づいていってしまう。佇んでいたくなる。

 私は邪魔にならないように、植木のすぐ側に寄った。

「やべー。自転車びしょぬれ」

「どんまーい」

「屋根ついてる意味ねーじゃん!」

 今日は風が吹いているから、スカートなんかはもうしっとりと湿っている。

 風向きが悪かったな、同級生よ。

 雨の日は、髪はぼさぼさふくれるし、ひどい大雨だと靴下までぐしゃぐしゃになる。あれはもう濡れるというか、一度水に浸かってきたレベルじゃないだろうか。実際、水たまりにはまることもあるし。

 雨が好きなのは、恋人と相合い傘をさして帰れるから、なんて理由ではない。雨の日の割引が嬉しいからとかでもない。

 目を閉じて雨粒の立てる騒音に聞き入る。


「こんにちは」

 瞼を開けた。

 突然声をかけてきたその子は、私よりも身長が低くて、緑色の傘をさしていた。

「雨、好きなの?」

「好きだよ」

 そう答えると、その子は意外そうに、もともとまんまるな瞳をさらに丸くする。

「へー。変わってるって言われない?」

「他の人に言ったこと無いから。言われないかな」

「そっかぁ」

「なに」

「なんか、意外で。わたし以外にも、雨好きな人いるんだなって」

 私は少しだけその子に近づく。なにせ、その子の傘は小さすぎて、背中が濡れてしまっているのだ。

 私の傘のかげに入ると、その子は笑う。

「ありがと」

 どういたしまして、とそっけなく返す。

「大雨のときって、雨がぶつかるとけっこう痛いよねぇ」

「そう? ……傘ささないでいたこと、あんまり無いからわかんないな」

 私はいつも折りたたみの傘を持ち歩いているから、ささない時がない。

「試してみるといいよ。痛いから」

「うぇえ……」

 そう言われると、あんまり、やりたくないような。

「あ、細かい雨のときなら、傘ささないでいたこともあるよ」

「こまいのかぁ。あれって降ってるって言えるかな」

「微妙だよねえ」

「ね! 風が吹くと飛んでくるし」

「眼鏡かけてると面倒らしいよ。水滴があちこちから襲撃してきて」

 眼鏡が濡れるのは細かい雨に限ったことではないけど。

 大きな水たまりに足がはまり、きゃあきゃあと騒ぐ女子グループが通り過ぎる。

「へええ。初めて知った」

 その子にとっては未知の情報だったようだ。

「さっき目を閉じてたのってさ、なにかしてたの? もしかして、邪魔しちゃった?」

 その子は申し訳なさそうにこちらを窺う。

「あれはただ雨の音聴いてただけだから。気にしないで」「雨の音、うるさくないの」

 そう訊いてくるその子に、私は頷いた。

「世界から自分だけ隔離されたような気分になって、好きなんだ。大きい音だと特に」

 私が雨を好きな理由だ。

 家の中にいるときよりも、傘をさしているときの方がこの感覚を直に受けとめられる。小雨だと少し物足りない。

 理解されにくいだろうことはわかっている。

 雨の日は憂鬱になるから苦手という人が多いし。隔離された感じがつらい人もいる。

「そっかぁ…………、確かに、守られてる、包まれてるなって思うときあるね」

 わたしだけじゃないんだねぇ。そう言うと、その子は茶目っ気のある笑みを浮かべた。

「それはこっちの台詞だよ」

 私の口角も上がる。

 その子と私は初対面ながら、妙に話がはずんだ。






◆◆◆





「知ってた?マイマイは紫陽花の葉っぱ食べないって」

 その子はまた、唐突に話しかけてきた。

 私はというと、傘をさしながら学校前のバス停で遅れぎみのバスを待っているところだった。寄らなければならない所があるのだ。

 空は厚い雲に覆われていて、もうすぐ夏になろうという季節の夕方とは思えないほど暗い。

 ベンチは細かい雨粒によって濃く変色していて、座ろうとは到底思えない。

 居たのか。と驚きつつも、それが表情に出ることはないまま返事をする。

「知ってるよー。有名だよね」

「え。そうでも無くない?」

 その子はちょっと意外そうに言う。

 しとしと雨が降る中、その子は大分色のあせた茶色の屋根の下にいる。傘は持っていない。

「テレビでやってたから、きっと有名になったよ」

「そうなんだ。葉っぱならさ、キャベツとか、もっと別の植物の葉っぱのほうがおいしいよねぇ」

「……キャベツには同意するよ」

 桜の葉なら食べたことはあるが、それ以外の葉は食べたことが無い。

「むしろ、かたつむりが夜行性って方が知られてない気がする」 

 最近仕入れたかたつむり知識を披露する。

 私が小さい頃、かたつむりを見かけたのが昼間だったから、まさか夜行性だったとはと驚いた。

「えぇ? そっちこそ知られてるって!」

「そうかなー?」

 私は笑いをおさめて俯いて、足下の影を見つめる。アスファルトと同化するほど薄くぼんやりとしていた。

 向かいの歩道を、同じ学年の男子四人組が流行りの芸人のモノマネをしながら歩いていく。げらげら笑う声が大きい。話している内容がまる聞こえだが、気にする様子はない。

 迷惑そうにちらちらと視線を送る女子もいる。言っておくが、あんた達の声も響くときは響いてるからな?

 ちら、とその子は私を見上げてきた。

「今日は元気無いね。なにかあったの?」

「……中間テストが近くてね」

「…………………てすと」

 存在を忘れていた、みたいな声色でその子は呟く。

「うん。テスト。成績は大丈夫だと思うけど、テストって単語を聞くだけで憂鬱になる……」

 条件反射のようなものだろうか。もしくは刷り込み。

 登場人物の感情に合わせて天気を変える表現技法があるけれど、今の私ほどそのサンプルとしてもってこいな状態の人間はいないだろう。

 どんより沈んだ気分と、見ているだけで溜息が出そうな暗い空と。個人的には、人間が勝手に天気に感情移入して、勝手に重ね合わせているだけな気もするけれど、それでも、天気が私の感情に合わせてくれている錯覚は拭えなかった。


「憂鬱か。……わたしも、少し憂鬱」

 スピードを出して走り去っていく車を、なんとなく数え始めようとしたところだった。

「何かあったの」

「これからあの道を通らなきゃって考えると、憂鬱になる」

 あの道とは、私のいる歩道の向かい、反対側の歩道のことだ。 

 特に変わったことや、怖いものはいないと思う。が、その子にとっては重大な問題らしい。

「あの辺さ、鳥が、いるんだよ」

「鳥? スズメとか、カラスとか?」

「そう! 怖い! つつかれそうで怖い‼」

 やけに力がこもっている。ふぐぅうう、と頼りなさげに呻いているが、私にはどうもその感覚が理解できない。

「そうかなー。可愛いじゃん。ちまくて」

「かわいくないよ! あのくちばしを見てもそう言えるの⁉」

「言えるね」

「つ、強いねぇ……わたし無理…………」

 重苦しいため息をつくと、その子は「走って行きたいけどさ」とぼそぼそ言う。

「足速くないから、すぐ追いつかれちゃうんだよ。しかも相手は飛んでくる。無理ゲーってやつ」

 忌々しそうに喋っていた、と思ったらしゅんと肩を落としたその子に、私は提案してみることにした。

「違う道を通ってみたらどう?」

「知らないところはもっと不安。………………でも一理あるね」

 案外あっさり受け入れられた。単純な子なのかもしれない。

 見たところ、スズメは住宅の屋根を行ったり来たり跳びまわるのに忙しそうだし、カラスも生ゴミの日では無いからそこまで多くはなさそうだ。

 健闘を祈ろう。


「あ、バスやっと来た」

 車通りのまばらなこの道路で、バスのエンジン音はよく目立つ。私は一歩前に進み出て到着を待つことにする。

「たまには挑戦も必要だよね。探検していくことにする」

「うん。気をつけてね」


 音質の悪いブザーが鳴って、乗車口の扉が開いた。






◆◆◆





 私は今公園にいる。

 所々ペンキの剥げたベンチに座って、ビニール傘に阻まれ地面に還り損なっている水滴をただ眺めていた。雨はとっくに止んでいる。

「こんな時間にどうしたの?」

 その子は、心配そうに私の顔を覗きこんできた。その子の顔は見ていないけれど、声色でわかる。

 私の顔は未だに上を向いたまま。しかしいつの間に隣に。

 辺りはだいぶ闇に沈み、しんと静まりかえっている。数歩先にある街灯には、虫が群がっているから近寄りたくない。

「塾帰り」

「塾⁉ そうかぁ、そんな年齢なんだねぇ……」

「親戚みたいなこと言うね」

 思わず笑ってしまう。

「なにしてるの? 星見ですか?」

「ううん。ぼーっとしてただけ」

 さっきまで雨を降らせていた雨雲は風に乗って流れていったものの、灰色の雲が宵の口の空を覆い隠している。そのせいで星はひとつも見えない。

 その子が再び声をかけてくることも無く、しばらく私はぼーっとビニール傘を見つめていた。


「あーあ。やっぱり無理か」

「やっぱり、って、なにか試してたの?」

「うん。………………私ね、雨が怖かったの。昔」

 私も大概唐突だなと心の中で苦笑する。

「そうなの?」

 不思議そうに返すその子に、私はひとつ頷いた。




 その日は、高速道路を使って親戚の家に行く予定だった。確か小学五、六年生頃のこと。

 家を出たときは太陽が隠れて薄暗いだけだったのが、ほどなくして小雨が降り始めた。

 当時、私は雨が嫌いだった。怖かったとも言えるだろう。

 小雨であればうっとうしいで済ませられたけど、雨粒の打ちつける音が意識せずとも耳に入ってくるくらいの雨量になると、不安で不安でたまらなかった。

 特に車に乗っているとき。

 車内だけ現実から切り離されたようで、今ここで何が起こっても、世界の誰も気付かないのではないか。そのまま何年も何十年も誰にも気付かれないのではないか。そんな錯覚にとらわれていた。


 その時はまだ雨は本降りではなかった。傘をささなくてもそこまで濡れないだろうな、と思えてしまうくらいだったのを覚えている。

 しかし安心はできず、これからもっと雨足が強くなりそうな予感がして、溜息がこぼれた。

 窓の外に目を向けても、水滴に邪魔をされた景色は綺麗に見えなかった。外が暗くなってきたこともあって、余計に見えづらい。

 車内のラジオからは、気分を上げる名曲特集とかで、数年前に流行ったJポップが控えめに流れていた。控えめと言っても、雨音のせいで霞んでいるだけだが。

 外気に冷やされた窓から顔を離して、今度はフロントガラスをぼーっと見つめた。

 細かい水滴が、ものすごい速さでフロントガラスに散らばっては、ワイパーでかき消されていった。五秒とたたずに散っていく雨粒と、ワイパーの届かない場所でしぶとくひとまわりずつ大きくなっていく雨粒の境目を視線で追っていた。

 ぱらぱらぱらぱら。うぃぃ。

 ぱらぱらぱらぱら。うぃぃ。

 ごとん、と車が弾んだ拍子に、フロントガラス全体に対向車のヘッドライトの明かりが当たって、雨粒が光を反射した。

 それらは満天の星空のように煌めいた。

 ワイパーによってかき消された後も、また一から星空が生み出されては消えていった。

 道路照明灯に照らされて、重さに耐えきれず流れ落ちていった一筋の跡は流れ星。天の川を拡大したみたいだ、と思った。

 小さな子供が創ったプラネタリウムのように、位置も星座も正しくないけれど、きらりと輝くちいさな星空はとても美しかった。

「……きれー」

「ん?」

 隣に座っていた姉は、私が吐息にまぜて呟いた言葉を微かに聞き取ったらしく、視線を私へ向けた。私が何でもないと首を振ると、姉は手元のスマホへ視線を戻した。


 私はじっとフロントガラスを見つめ続けた。

 母は運転席で曲に合わせて鼻歌をうたっていた。……たまに音程が外れている。

 父は助手席で、雨なんて気にもとめずに寝入っていた。確か、前日は夜遅くまで仕事だったはず。

 姉は暇そうにスマホに親指を滑らせていた。友達とメッセージのやりとりをしていたようだ。

 雨粒が強く打ちつけて、滝のようにフロントガラスへ水が流れてくるようになっても、単純なことに、私はそれすらも綺麗だと思い始めていた。



「へぇ。そんなに綺麗だったんだぁ」

 途中で飽きて逃げ出すこともせず、その子は話を聴いてくれた。

 雨上がりの風は涼しくて、ベンチの上で三角座りをして身体を縮こまらせた。

「苦手意識が薄くなる程度には」

「さっき試してたのは、そのちっちゃい星空の再現?」

「そう。ちょっと思い出したからさ」

 その子に笑いかける。

 予想はできていたから、しょげるほどのショックは受けていない。

 さしていた傘は閉じた。ベンチに寄りかからせるように置いてある。

 傘で試そうといっても、カーブに沿って雨は流れていってしまうし、そもそも街灯の明かりだけでは光の量が足りない。車ぐらいの速度がなければ、雨粒が細かく敷き詰められないし。

「しょうがない。今度車に乗せてもらおうかなー」

 両親は雨の日に出かけたがらないけど、前もって約束しておけばどうにかなる。天気予報の確認を怠らないようにしよう。どこかに行く予定はあっただろうか。

「いいなぁ。わたし車乗ったこと無いや。見てみたいな」

「いいよ。一緒に乗ろうよ。連れていく」

「えぇ、ほんと⁉」

 その子を乗せるくらいどうってことない。私よりも小さいから、窮屈にもならない。

「ありがとう!」

「いーえ」

 くふふと笑いながら、その子はゆらゆら体を横に揺らす。嬉しそうな笑い声に、私も嬉しくなった。

「満天の星空なんて、見たことないなぁ」

「私も無いなー。この辺住宅街だからね。街灯も多いし」

「うん。…………森の中とか、きっと綺麗なんだろうなぁ」

 その子はまた目を細めた。

 期待に目を輝かせているようで、どこか寂しげな色がちらついていた。


 ふと聞こえてきた赤ん坊の泣き声に急かされるように、この日は家に帰ることにした。

 家に帰ってから調べたところによると、今後しばらくは晴天が続くらしい。






◆◆◆





 顧問の先生の都合で、他の部活より少し早めに部活が終わった。

 下駄箱で靴を履きかえる。昇降口を出ると、目に見える範囲すべての空が灰色のグラデーションに染まっていた。今にも雨が降りだしそうだ。

「なんか、嫌な天気ですね」

「ねー。急いで帰ろっか」

「あああーつかれたぁあー」

 同じ部活の後輩達も、それぞれに靴をひっかけて出てくる。

 冷たい風が吹いて、むきだしの腕にぼつぼつと鳥肌が立つ。半袖ではなく長袖の制服にすればよかった、と後悔する。

「なんか今日寒いね」

 私は腕をさすって、涼しさをごまかそうとする。同じく半袖の制服を着てきた友達も、ぶるぶるっと身震いをした。

「わかるー! 昨日まであったかかったのに」

「……もうすぐ梅雨明けか。夏は夏で嫌だなー。汗かくし服はりつくし」

「それな……下着とか特にね」

「外でそういう話はやめんか」

「ごめんごめんー」

 本当に思っているのかいないのかわからない謝罪を受けながす。さて帰ろうか。

「急にごめん。…………お取り込み中かな?」

 聞き覚えのある声に足を止める。

 その子は所在なさげに、昇降口のわきに立っていた。

 私は何度か瞬いた後、顔を上げて友達へ手をあわせる。

「ごめん。ちょっと帰れそうにない」

「どーした? 先生に呼び出しでもくらってたの?」

 何て言おうか。ラブレターをもらっていたから、なんてどうだろう。いや、今のいままで忘れてたならとんでもなく最低な人間だ。却下。

「ぶ、部室に忘れものしてきた」

 結局よくある言い訳になった。

「そーなの? 待ってようか」

「いや、大丈夫。時間かかりそうだから先帰ってて。雨降ってこないうちに」

「了解。じゃーね、また明日!」

「またね」

 友達に手を降って別れる。

 その子に目配せをして、昇降口から数歩歩けば到着する花壇へ向かった。そして花壇と校舎の間の段差に、私は座った。


「どうしたの?」

 私が座ってからしばらくたった、帰宅する生徒の姿もまばらになってきた頃に、その子は話を切り出した。

 その子の様子はいつもと違っていて、視線を泳がせ、言い淀んでいる。

「あのね、わたし…………」



「お別れを、言いに来たの。もうここには来れなくなるから」



 思考が停止した。

 急だな、と思うけれど、そんなものだ。ドラマやアニメなんかでもよくある、急な別れ。

 まさか、私が経験しようとは。

「引っ越しでも、するの?」

 絞りだした言葉は、呆れるほどに頼りなかった。始業式前日になって、夏休みの作文がひとつ残っていたことに気付いたときよりも情け無く、途方に暮れた声色。

 その子は困ったように笑って、ゆっくり話しだす。

「……たくさん調べたなら、知ってるよね」

 私は、その子が言わんとしていることを理解した。

「調べた、けど…………」

 調べたけど、種類にもよるって言うし、その子が本当に、本当にそうなのだと信じたくなかった。

「………ほんとに?」

 冷たくてざらつくコンクリートの基礎に掌をつく。直接言葉を口に出したわけではないのに、どうやらその子には通じたらしい。




 私の身長の半分の半分の半分の半分にも満たない大きさのその子は、こくりと頷いて言った。

「うん、わたしもう死んじゃうの」

 小さなかたつむりの目の前に、一粒の塩水がこぼれた。




「うわぁ! 危ない」

 ふぅぅ~~と、額に汗でも浮いているかのようにその子は深く息を吐く。

「ごめん、だいじょうぶ?」

「へいきへいき」

 微笑むその子はちょっと後ろに下がり、「楽しかったよ」と照れくさそうに話し始める。

「秋に生まれて、冬を越して、春を迎えて。梅雨に入って、もう夏になる。

 楽しかったぁ。返事なんてこないってわかっていたけど、声をかけてみて。そしたらびっくり、お話ができた。あなたがわたしの声を聴いてくれた。ありがとう」

 ありがとうなんて。悲しくなるから言わないでほしい。

 その子の瞳に私は映っているだろうか。私の瞳の中のその子はぐちゃぐちゃに歪んで、茶色いかたまりにしか見えない。

 楽しかったのは私だって同じだ。

「じゃあ、蟻さん十匹連れてこようか」

「それは、みでみだい、ようなきがする」

「そう?」

 その子のジョークにもうまく笑えない。

 うぐ、えぐ、としゃくりあげることしかできない。どうしよう。私にとって、初めて雨の話ができた、友達なのに。

「あなたはまだまだ生きるでしょ? それにさ、わたしが、またこっちに戻ってくるかもしれないし」

 すん、と鼻をすする音が聞こえた。

 おかしい。さっきまであんなに寒かったはずなのに、目頭が熱くて仕方がない。

「もう二度と会えないわけじゃないからね。きっと」

 私は、その子が優しく目を細めた気がした。




 部活終了のチャイムが鳴る。

 私の学校は、原則として居残り練習を禁止している。もうじき、体育館や校舎から人が溢れだしてくるだろう。

 お別れだ。

「ばいばい」

 そう言って、その子は私に笑いかけた。私は短い袖をのばして、視界をクリアにする。

 しゃがみこみ、その子に顔を近づける。

「私こそ、ありがとう。すごく楽しかった。ばいばい」

 小さく手を振る。その子は私に背を向けて、花壇の葉と葉の隙間にもぐりこんでいった。

 梅雨が明けたら行動が制限されるから、今日会いに来てくれたのだろう。優しいな。


 ずっと背負い続けていた大荷物を下ろして、そのまま置いてきてしまったような気分だ。身体がふわふわして落ちつかない。心にぽっかり穴が空く、まさにそれだ。

 学校前のバス停を通り過ぎると、鼻の奥がぎゅうっと痛む。

 奥歯に力をいれてこらえた。

「…………あ。雨降ってきちゃった」

 ぽつり。ぽつり。

 頭に水滴が垂らされた感覚がある。

 私は走らないで、そのまま歩き続けた。

 そのうち、雨はアスファルトをつぎつぎに叩き始める。制服も背負い鞄もサブバックも、雨粒に叩かれてどんどん重くなっていく。

 傘をさした高校生が、訝しげな様子で私を追い抜かしていく。

 近くのアパートのベランダから、ばらばらと雨が弾ける音が聞こえた。




 あぁ。

 雨って、本当に痛いんだ。











『ふたりは確かに友達だった』



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