家出人掲示板
「家出・・・にん・・・掲示板? ねぇねぇ、お客さん、もっと詳しく教えて」
僕の腕の中で眠っていたカノジョが矢庭身を乗り出して、僕の顔をまじまじと覗き込んでくる。その表情はとても好奇心で満ち溢れていた。
僕たちはついさっき出会って、そして服を脱いだり、他愛のない話をしたり、11分間の行為を終えたところだった。(引用:パウロ・コエーリョ)
別れの時間までにはまだ30分以上あった。
そんなわけで僕らはベッドの中で、空中に浮遊する有線の音を耳にしながら、さっきから他愛の無い会話を続けていた。
「どうしてこの世界に入ったの?」
「家出したの。泊まるあてもなくて、フラフラしてたらAVのスカウトに合ったんだ。それでノコノコ着いて行って、気が付いたらいつの間にかこの世界にいたって感じ」
「ふ〜ん家出か・・・。今なら家出人掲示板ってのがあって、泊まるところぐらいなら即席で探せるんだけどね」
そして冒頭のくだりになる。
それから僕は家出人掲示板の実態について、知っている限りのことをカノジョに話した。
「ある程度の覚悟は必要だよ」
「ある程度の覚悟って?」とカノジョはキョトンとする。
「カラダだよ」と僕は答える。
「あ~、ヤリモクの男ね。それは仕方ないよね~。でも、私が泊めてあげればいいんだよね~」
「君が?! 止めておきなよ! 何されるか分かったもんじゃないよ」
「やっぱり? 部屋のモノとかいろいろ盗られちゃうかな。でも、私も家出して苦労してきたから、その苦労が分かるんだよね」
一瞬瞳に暗い影を落として、再びカノジョは僕の腕の中に潜り込んできた。
そしてボンヤリと天井を眺めていた。しばらく沈黙・・・。
「私ね、一歳半になる子供が居るの」
僕は苦笑しながら、それは君のおっぱいに触れた時から分かっていたよと応じた。
「そして、旦那は居ないんだよね?」そう僕は続けた。
頷くようにカノジョは瞳を閉じて体をすくめる。長い付け睫毛が踊った。
「でも、お客さん、いろいろ詳しいんだね」
「ハハ、ありがとう。仕事柄ね、手当たり次第なんだよ。そして今日も一つ勉強になった。ごく一部なんだろうけど、家出人少女を泊めてあげたいという女性が居たということ。それはほんの小さな感情でありシーズなんだろうけど、とても興味深いものだよ」
「そうなのかな・・・、難しくてよくわかんないや。それよりもういいの?」
「ナニが?」
「二回戦・・・」
「ハハ、もういい。僕は意外に淡白で、それよりこうしている時間の方が好きなんだ」
「ふ〜ん、紳士なんだね~。でもありがとう、こんなまったりした時間が持てて私も久しぶりにリラックスできたわ」
それから二人は浅い眠りについた。
どれぐらい時間が経ったのか、テーブルに置かれたリンゴの形をしたキッチンタイマーの電子音で二人とも目が覚めた。
「先に行くといいよ、僕はもう少しここにいるから」
全裸で部屋を歩き回るカノジョをベッドの中からぼんやり眺めていた。
「君たちは本当に垢抜けてるよね、羨ましく思うよ」
「ふふ、そうよ、私たち裸一貫の商売だからね」
そう言うと一際明るい表情を浮かべて、カノジョはクスクス笑った。
そして着替えを済ませてしまうと再びベッドに戻ってきて、僕の唇に軽く唇を重ねた。別れのキスだった。
「今日は私を選んでくれてありがとう、元気でね」
「うん、君も元気で」
古めかしいホテルの重いドアをギーーッと押し開けて、カノジョは部屋を出て行った。枕元のデジタル時計に目を見やると、午後5時15分を表示していた。ちょうどこれから夕刻のラッシュアワーが始まろうとしている時間帯だった。
僕もまもなくその雑踏に紛れて家路に着く。この淡いピンク色に彩られた小さな部屋での出来事は、誰一人知る由もない。僕は現実に戻り、そして存在感を逸するだけ。