第一部 見知らぬ同居人(5)
不審に思ったのだろう隣の住人が玄関の扉を少しだけ開けて、俺の様子を観察している。もちろん、わざわざこれを見逃すわけにもいかないだろう。
「俺は中央区の何でも屋だ。依頼を受けて来たんだ。ここで何か変わった事は? あー……、なんだ。その『幽霊事件』なんだが……」
そう声をかければ、住人は犬と俺を恐々見比べている。犬を殺した犯人が俺ではないかと疑っているようだ。少し悩んだ結果、俺を信用できると思ったのだろう。ゆっくりと近寄ってくる。
「光が見えるんだよ。だいぶ前から」
住人が話し出す。ずっと誰かに聞いてほしかったのだろう。とても興奮した様子で唾を飛ばしながら話しかけてくる。
「その光は昨晩俺も見た。家主は? 灯りがないと寝付けない坊ちゃんって訳でもないだろ?」
「陰気くさいジジィだよ。元は南区の住人だったみたいけど、やらかしてこっちに飛ばされたらしい」
「やらかして?」
「酒癖」
「ああ。なるほどね」
思わず間抜けな声が出る。富豪の多い南区の人間も中央区にいる浮浪者と同じような事はするのか。と心のどこかで安堵してしまう自分に嫌気がさした。
「それと、どっかの金を盗んだらしい。連れ添いが死んでの保険金だとか。聞いた話だけどね。死んだんじゃなくて殺しただとか。それで噂が立って酒に逃げてここに追いやられたとか」
「それであの謎の光で連れ添いを甦らせようって?」
俺の冗談も住人は笑ってはくれなかった。冗談はやめてくれと隈のある顔が語っている。
「あんたの数時間前にも同じような事を聞いてくるヤツがいたよ。銃声が聞こえて、そいつも帰ってこない」
「そいつは役に立てなかったんだろう。代わりに俺が解決してくる。待て。……そいつも《﹅》って事は他に帰ってこない奴がいるのか?」
「家の中に入った警官が帰って来ないんだよ。二日前の事だ。その時もやっぱり銃声が聞こえた。気味が悪くて仕方ないよ」
住人はそう言うと一度身震いし、さっさと家の中へと戻って行った。
「警官の応援は来てくれなかったのか」
恐らくそれは『元南区の人間』というところで一つ噛んでいるのだろう。
南区の人間は「自分達だけが税金を払いそれの成果が出ないのはおかしい」と金にものを言わせて警官を雇い、市役所を作り、高級住宅街南区という小さな国を作り上げてしまった。
もし警官が南区の人間に悪い方面で絡んでしまったら、被害者でも加害者でも『南区の敵』と認知されれば社会的に死ぬだろう。
昨晩、触れて怪我をしたガーデンフェンスを今度は足でそっと押してみる。カチャリと静かな音がし、それは簡単に開く事が出来た。
「あ?」
しかし、そのフェンスから何かが一瞬見えて俺は入るのをやめる。
もう一度慎重にガーデンフェンスを足で閉じる。そして、再度足で押す。
フェンスが開くと同時に、ちょうど手を置くような部分からナイフが飛びでてきた。板には微妙な切れ込みがあり、この扉を開けると同時に飛び出てくるしかけになっている。しかも、動かしている時だけ飛び出て、開ききるとしっかり収まるように巧妙にできている。
それはどう見ても人を傷つけるための悪意ある罠だ。そのナイフは錆ており、既に犠牲者が出ている事を告げている。
「昨日怪我したのはこれか。でもなんでこんな細工があるんだ?」
あえてガーデンフェンスを開けたまま物音を立てないように家に近づいた。
玄関扉を見れば、それは少しだけ開いている。
隙間から内部を覗けば動いている人も光もない。扉を指で押せば、ガーデンフェンスと同じようにノブから小さなナイフが顔を覗かせる。
「警告か?」
扉を開けたまま中に進む。内部は至って普通の独身男性の家だ。けれど、同じ酒癖あるアンヘルのように部屋が散らかっているわけでもない。掃除もされ整理整頓もされている。けれど、あまりにもそれは出来すぎているように感じられた。
「おい、誰かいるか?」
二日前に入って出てこない警官は既に死んでいるのだろうか。でなければ、普通はこんなお化け屋敷から一刻も早く出て報告をするものだ。
ミシリミシリと床が鳴く。玄関から出てすぐのダイニングに進む。テーブルとイス、そして腐りかけの果物が籠に入ってあった。小さなカウンターにはいくつかの置物があるだけで比較的整理されている。
「おい!」
ミシリミシリと鳴っていた床から不意に「カチリ」と小さな音が聞こえた。と同時にボタリボタリと音がし甘酸っぱい香りが部屋に広がる。
どうしたのかを確認する暇もなく銃声が部屋に響いた。