手紙
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失踪していた祖父が帰って来て口にした言葉は信じられないものだった。
「もう一度会いたい人がいる。だからこそ、呼ばなければならない」
気持ちは分かる。祖父は幼い頃大切な人と離れ離れになったとずっと聞かされていた。だが、祖父はもう老人だ。その該当する人間はすでに他界しているのではないのだろうか。
皆が理由や方法を聞いても祖父は「呼ばなければならない」としか話さずまた姿をくらませた。けれど、私は聞いてしまった。見てしまった。
祖父は人を手にかけた。最初は動物を殺した、そしてホームレスを殺した。実際殺した瞬間こそ見ていない。けれど、祖父の部屋に血に塗れたナイフと服が転がっていたのだ。そうでなくても、狂気に飲まれた目と同じ事を呟くその姿は誰がどう見ても異様だ。
「呼ぶ」
それはおそらく死者蘇生だろう。口に出すのも嫌悪した。祖父の悪行を止めるとはいえ、これが最善策とは思えない。
祖父が大事にとっていた手紙を盗み出し、そして読んでからもっと自体は深刻だと知らされる。
本のように厚いその手紙は、問題解決には必要な物だ。私は手紙を掴んだまま、北区の一箇所で立ち止まり己の指をナイフで傷つけ血で文字を書いた。
文字の意味はわからないが、手紙には丁寧に説明が書かれている。
昔からこの石畳には不思議な紋様が刻まれていた。誰もがそれを一つのシンボルだと思っていたようだ。
「私が先に呼ばなくちゃいけない」
ジンジンと痛む指を押さえながら、手紙に書かれていた文字を書き終える。最悪を考えず、良い事を考える。そうしないとこれから起きることは心臓がもたないだろう。
私は立ち上がり、静かに手紙に書かれている名を呼んだ。瞬間、地面から空へとあがる強風が吹いた。砂塵が舞い目を開けていられない。
どんなに追い詰められていてもこの扉だけは開けてはいけなかったのでは……。と思った頃、ようやく風がやんで一つの人影が見えた。
危険を予想していた私とは違い、実際に現れたのは最も呼びたかった存在だけのようだ。ということはこれは成功したと言えるのだろうか。
「あの……。あなただけですか?」
恐々尋ねると生き延びた片方は、これが答えだと言わんばかりにしゃぶっていた骨をぷっと吐き出した。
服も身体もボロボロで特に上半身は服の意味をなしていない。
その体躯から細身の男性だとわかる。手には折れた剣を握りしめているが、それもおそらく機能を存分に活かせないだろう。
人通りの少ない時間帯を選んでよかったと心底思う。露出狂と被害者女性、そんな図が出来上がっている。
「私、あなたに大事な話があるんです」
私が言うとその男性は私と視線を合わせないようにしながら首を傾げた。
「読んでもらいたい物があるんです。ですが、その前に……店に案内しますね」
私は男性の手を掴む。死人のような冷たい手にぞっとしたが、それでもここで逃すわけにはいかない。
その冷たい手を離さず喫茶店の中に入れ「オープン」の看板を裏返しにした。
「コーヒーとパンを準備します。それと、タオル、ですね。読んでもらいたいのはこれです」
私はずっと握りしめていた手紙を彼に渡した。
男性が手紙を読み始めたのを確認すると私はさっさとタオルを取りに行く。
何度も読んだため、手紙の書き出しは覚えている。
この手紙は俺の息子であるお前が無事成人を迎えた日に贈る。
突然乳母をなくし、お前はひどく傷つき混乱している。
「自分を嫌いになったからいなくなったんだ」とお前はライラに言っていたがそうではない。彼女の失踪には理由がある。しかし、その理由を伝えるのには長い長い説明が必要だ。
この手紙が一体何枚必要になるかわからない。だが、お前に、この区画の人間に黙っていたことを伝えよう。