血統地図
「いやあ、実家に帰ってきたって感じですね」
「『感じ』じゃないですよね。ここは姫野さんの実家ですから」
「分かってますよ」
柴村と姫野は、北海道にある姫野勝彦の邸宅に訪れていた。
200坪近くあるお屋敷である。「豪邸ですね」と柴村が言うと、姫野は「田舎の家なんてみんなこんなもんですよ」と謙遜した。
「それにしても、なんと声をかけていいか分からないですよね」
家のインターホンを鳴らした後で柴村は逡巡する。
「娘さんを僕にください、で良いんじゃないですか?」
「そういうジョークを飛ばしているような場合じゃないんです」
「柴村さんが冷静沈着すぎて私はちょっとショックです」
「だから、そういう場合じゃないんです。これから悲しい話をするんですから」
柴村は所属する新聞社から、クレイメルタの落馬事故について取材するように命じられたのである。クレイメルタの生産者、調教師、騎手などの関係者を取材し、栄光から転落までのストーリーを文字化して欲しいというのが編集部のオーダーだった。
柴村が最初の取材先に選んだのは、生産牧場であるグラスファームの牧場主である姫野勝彦であった。
柴村が要請したのはグラスファームの敷地内での取材だったが、勝彦氏は、娘である姫野瑠花を連れて夜に自宅に来ることを提案してきたのであった。
玄関まで出てきて直接応対したのは、勝彦氏だった。
長い髭がトレードマークの、いかにも動物に好かれそうな、優しいおじさんである。
競馬新聞の記者の仕事をしている都合、勝彦氏には何度も会ったことがある。セレクトセール、生産馬の長期放牧、生産馬のG1制覇。そういったイベントがあるごとに、勝彦氏は記者の取材を快く引き受けてくれたのだ。
「遠路はるばる北海道まで足を運んでもらって悪いね」
これが勝彦氏が柴村を迎えるときの決まり文句だった。
「いえいえ、こちらこそご自宅にお招きいただいて大変恐縮です」
「柴村さんには、瑠花が日頃お世話になってるからね」
それに、と勝彦氏は続ける。
「年末くらい瑠花と食卓を囲いたいという想いがあってね。去年は年末年始ずっと東京にいたから」
「なんかすみません」
「柴村さんが謝ることではないんだ。競馬に年末年始休みはないからね」
中央競馬、地方競馬を合わせれば、1年365日のうち、日本中でレースが一切開催されない日は存在しない。中央競馬に関していえば、12月末のホープフルステークスから1月頭の中山金杯まで数日間のブランクはあるが、その間、地方競馬の大きなレースが控えている。もちろん、希望をすれば年末年始休みを取ることはできるが、去年の姫野は東京に残って働くことを希望したのだ。
勝彦氏に通されたのは、中央に掘りごたつのある部屋だった。広い屋敷には襖で仕切られた部屋がいくつもあったが、その中でも一番広い部屋である。
こたつのテーブルの上では、石狩鍋が用意されており、バターの芳しい匂いを部屋中に充満させながら、コンロの火によってグツグツと音を立てていた。年末の寒い時期には本当にありがたい。
こたつの中で足を伸ばした柴村には、競馬新聞の記者として、鍋よりも先に触れなければいけないものがあった。
「いやあ、すごいですね」
柴村の目線の先にあるのは、部屋の隅に置かれたトロフィーや盾が所狭しにディスプレイされた棚である。
「全部過去の栄光だよ」
たしかにトロフィーや盾に刻まれた年度は2000年代以前のものがほとんどであった。最新のものは牧場に置いてあるのかもしれないが、柴村には勝彦氏の言わんとしていることは分かった。
「それは毎年のようにG1馬を輩出してた頃はすごかったですけど、今だってグラスファームは業界の最先端です」
「そんなことないよ。うちみたいな昔ながらのやり方ではもう通用しない時代なんだ。そろそろ潮時かもしれないな」
たしかに最近では巨大資本を背景とした新興の生産牧場が著しい成果を上げている。それらの牧場では、科学的に裏打ちされた配合理論や最新のトレーニングマシンなどが駆使されている。
「お父さん、そんな下向きな発言はやめてよ。コツコツと努力してれば、また名馬を輩出できるって」
「瑠花、そんなに甘い世界じゃないんだよ」
「でも、最近だってグラスファームでダービー馬が出たじゃないですか。その……まあ、その、あれですけど……」
「柴村さん、そんな気を遣って話さなくてもいいよ。レースに出る以上は覚悟していることだから。それよりも気の毒なのは椋原騎手だ。本当に申し訳ないことをしたよ」
クレイメルタもろとも柵の向こうに投げ出された椋原騎手は、地面に頭を強く打ち付け、意識不明の重体となっていた。事故から2日経った今も未だ意識は取り戻していない。
柴村が発すべき言葉を探していると、勝彦氏は、
「それに、今日はクレイメルタの取材なんだろ」
と、柴村がしたかった話を代わりに切り出してくれた。
「ええ、まあ…」
姫野がカバンの中から手帳を出し終わるのを待ち、柴村はさっそく本題に入る。
「今日はクレイメルタについて伺いたいんです。落馬事故の話ではありません。誕生からのヒストリーです」
「ああ、最初からそう聞いてたよ」
「はい。まず、種付けなんですけど、サクラフローラにプラメルを種付けしようとしたのはどうしてですか?」
サクラフローラはグラスファームが所有する繁殖牝馬で、ノーザンテーストの血を引く日本の名牝系に属する馬である。他方、プラメルはフランスのG1を勝った馬であるが、日本にはほとんど馴染みのないヨーロッパ血統だ。
「たまたま安く種付けするチャンスがあったからだよ。海外の知り合いの紹介でね」
「それだけですか。血統のバリュエーションなんかも考えたんじゃないですか?」
「もちろんそれもあるよ。サンデーサイレンスの血を引いていない種牡馬を探してたんだ。あまり血を濃くするのは好きじゃなくてね」
サンデーサイレンスは競馬ファンにはその名を知らない人はいない、日本のサラブレッドの血統地図を作り変えてしまった名種牡馬である。1995年のタヤスツヨシから2005年のディープインパクトに至るまで、11年間で6頭のダービー馬がサンデーサイレンス産駒であることからも明らかなとおり、サンデーサイレンスの子どもは多く生産され、多くの重賞で良績を残した。そのことは偉大なことではあったが、功罪があった。
種牡馬にも繁殖牝馬にも多くサンデーサイレンスの血が残ってしまったことから、一種の近親交配が避け難くなってしまったのである。
あえて近親交配をするクロス交配によってあえて血を濃くし、競走馬の能力を高めようという配合理論もあり、ラムタラやフサイチコンコルドなどの成功例もあるが、基本的には濃いクロスは、体の弱い競走馬を生みやすいものとしてあまり好まれない。
そのため、非サンデーサイレンス系の血脈が日本では重宝されるようになってきた。ディープインパクトとリーディングサイヤーの座を争い、同年に亡くなったキングカメハメハなどはその典型である。
「しかも、プラメルは、ヨーロッパの超良血馬だ」
「深川オーナーもそのことをよく理解して、セレクトセールで3億1000万円もの価値をクレイメルタにつけて落札したわけですよね」
「そうだ」
3億1000万円はこの年の最高額だった。
「以前、深川オーナーにインタビューして、なぜクレイメルタに3億1000万円もの価値を付けたのか質問したことがあるんです。このとき、深川オーナーは『勝彦さんの熱意に負けた』と答えてました」
「深川オーナーとは飲み友達でね。飲みの席でパラメルの血統の良さについて語ったことがあるんだ。俺なんかは飲むと記憶があまりないタイプなんだが、深川オーナーはしっかり覚えててね。そのときの話を参考にしてこれだけの金額を付けたらしい。ありがたい話だよ」
結果として、クレイメルタの生涯獲得賞金は3億1000万円をはるかに上回っている。深川オーナーの投資は無事成功したといえる。
「とにかく、プラメルの血を日本競馬に上手く導入できれば、日本競馬はさらに進化する、俺はそう思ったんだ」
「そして、クレイメルタはダービーまで勝ってしまったわけですね。まさに姫野さんの狙い通りだったということですね」
競走馬のうち、引退後に種牡馬になれる馬は、現役時代に良績を上げたごく一部に限られる。
種牡馬としての価値を決める大きな要素も、現役時代の成績なのであるが、その中でもダービーを勝つということはもっとも重要だ。しかも、ダービー以降にもG1を連勝していたことから、クレイメルタの能力は疑う余地のないところまで証明され尽くしていた。
引退後、クレイメルタは種牡馬として重宝されるはずだったのである。これは噂のレベルであるが、引退前から大型のシンジケートが組まれることが予定されており、種付け権の具体的な保有先もすでにいくつか決まっているという話も聞いたことがある。
「ああ。そうだな。仮に有馬記念のコースを無事走り抜けられていれば、初年度の種付け依頼は殺到しただろうな。実は引退前からもかなり具体的な話がいくつも来てたんだよ。仮に有馬記念のコースを無事走り抜けられていればの話だがな」
コトコトと鍋を煮る音を除き、部屋から音がなくなる。今クレイメルタの話をすると、どうしてもしんみりすることは避けられなかった。
「でも、これで良かったんだと思う」
「え?」
「ダービー馬はうちの牧場には分不相応だったんだよ」
「お父さん、下向きな発言はやめてって!! 地道な努力を続けてたら、これから先、またダービー馬に巡り会えるかもしれないんだから!!」
勝彦氏は、熱っぽく話す娘とは目を合わせることなく、天井を見たままぼやいた。
「うちの牧場でダービー馬はもう現れないさ。金輪際な」