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予後不良

「やはり予後不良ですか」


 中山競馬場内の薄暗い廊下。競走馬の治療のための施設から出てきた深川剛ふかがわつよしは、柴村の問いかけに対し、うなだれるようにして頷いた。


 事故の様子から察していたことではあったが、柴村の失望は大きかった。


 これは一頭のサラブレッドの死にはとどまらない、日本競馬界全体にとっての損失なのである。



「深川さん、治療の余地はないのですか?」


 深川は大きく首を振る。

 柴村に言われるまでもなく、クレイメルタの馬主の深川は、治療の可能性をすべて検討したはずだ。種牡馬としてのクレイメルタの価値は、深川が一番よく分かっているはずである。それはオーナーである深川にも巨万の富をもたらすはずでもあった。

 その深川がすでに諦めているということは、延命の可能性は皆無ということである。



「もしよければ、最後にクレイメルタに会っても良いですか?」


 深川は柴村の顔を見ただけで、肯定も否定もしないまま、重たい足取りでその場を去っていった。



 迷っている暇はなかった。


 

 柴村は先ほど深川が出てきた部屋のドアをノックをしないまま開け放った。



 そこには医療用の照明に照らされ、胴体をベルトによって吊り上げられた「今日の主役」がいた。


 競走馬は、非常に繊細な生き物である。脚を1本故障してしまうと、他の3本の脚で自分の体重を支えることはできない。かといって床に横たえると皮膚が腐ってしまう。そのため、脚に重大な骨折等の怪我を負った競走馬は、安楽死させるしかない。


 ゴール前で柵にぶつかり転倒した様子から、クレイメルタが予後不良の怪我を負っていることは明らかだった。



 自らの死を悟っているのか、それとも麻酔が効いているのか、クレイメルタは、まるで放牧中のような、とても穏やかな目つきをしている。



 柴村は一歩一歩クレイメルタに近付いていく。


 JRAの獣医師達は、新聞社の腕章を巻いた柴村を止めることはなかった。施せるだけの治療はすべて終わっており、後は安楽死を待つだけなので、外部の者に神経質になる必要がないということだろう。



「クレイメルタ、よく頑張ったな」


 柴村は背伸びをして、クレイメルタのたてがみをなでた。もしもあと約200mの距離さえ走りきれれば、きっとグラスファームの人気者として、多くの観光客がこのたてがみをなでたに違いない。

 クレイメルタは柴村の言葉に反応して、ヒンと小さく鳴いた。



「競馬ファンは絶対に君のことを忘れないよ」


 柴村は指先に少しだけ力を入れ、クレイメルタのたてがみを数本抜いた。クレイメルタが生きた証を残したいと思ったのである。別に誰かに見せびらかすつもりはない。このたてがみは柴村の部屋で応援馬券とともにこっそり飾ることになろう。



 柴村がしばらくたてがみをなで続けていると、クレイメルタは眠るように目を閉じた。



「お疲れ様。ゆっくり休んでね」


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