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紅蓮の漿

作者: 萩原 サユリ

1年前に母親が他界、眞鍋家は4人。父親、姉、弟、妹。父親はリストラされ、無職。借金取りに追われ、水道代も払えない状況に。そんな中、父からある提案がある。



▫️登場人物紹介▫️

父 眞鍋

長女・成美(なるみ)

長男・慎一(しんいち)

次女・美奈(みな)





















1.








「_____もう、死のうか」








父親の言葉に、慎一は思わず、



「は?」


と声をあげてしまった。反射的に隣をみれば、姉・成美も同じような反応を見せている。

まさか父がそんなことを言い出すとは思っていなかった。が、当然だろう。日常生活で頻繁に死ぬ提案があるはずもない。

二人とも、かける言葉を失った。


慎一が生まれて23年のうちに、何がそんなに父の心を弱らせていたのだろうか。母親の死か、債務か、はたまたこの堕落した生活か…。幸せだった日々は、昔と言えるほど遠くなり、今ではおぼろな思い出に過ぎない。水道もガスも止められ、そろそろこのボロアパートからも追い出される。そうなればとても生きていけない。それに加えて、つい3年前に生まれた次女・美奈がいる。彼女にはまだまともな生活が必要だ。


慎一は、狭い空間で遊んでいる妹を見た。何の屈託もない笑顔。それが3人の胸をきつく締め付ける。人間、窮地に立たされると自ら命を絶とうとする生き物だ、父がそういう道を選んだのも無理はない。


しかし、生まれて3年しかこの世に存在していない妹はどうだろうか。彼女はまだ外の世界を知らない。友達も、海も、犬さえも。そして、生死の意味も。


暫くは誰も口をきかなかった。ただ、重苦しい沈黙があるだけ――――それこそ本当に「黙」が「沈」んだようだった。







「――――それしか方法はないの?」



漸く、成美が口を開いた。



「ああ」



父は短く言い、口を閉ざす。そして、また沈黙。時間だけが流れていく。



「―――――どうやって?」



また成美が静寂を破った。



「そうだな…」




父は黙り込む。

慎一は思い切って言ってみた。



「うちには銃もないし、睡眠薬を大量に買おうったって金がないし、首をくくる紐もない。あるとしたら包丁だけだぜ」

「そうだな…じゃあ、包丁で。きっと難しいと思うが、俺がやれば何とかなる」

「ダメ。お父さん気が小さいから任せられない。多分、私たちだけ殺して、自分は逃げるわ」

「うん、ぐうの音も出ないな。成美には敵わない」


父は笑った。死ぬ話をしている時に笑うとは少々おかしいが。



「私も無理。最後に自殺なんてできっこないもの」

「でも――――」

「俺がやるよ」



慎一ははっきりと言った。





「俺が…やる」



父と成美が、彼の顔をまじまじと見つめた。



「な、何だよ」



慎一は恥ずかしくなり、そっぽを向いた。すると、父は感心したように、



「いや…お前、男らしくなったな」

「本当。今の、かっこよかったわよ」

「やめてくれよ、姉ちゃん!」

「とにかく、だ」



父が話を戻した。2人がしゃんと背筋を伸ばす。



「いつ死ぬかが問題だ。できれば今夜がいいと思うが…それでもいいか?」

「そうね…寝ている間にだったらいいんじゃない?」

「ああ」

「じゃあ、慎一…しっかりやれよ」



自分の家族を殺すのに、しっかりやれとは場違いだ。そうは思っても、頷いてしまう俺はいったい何なのだろう。

人生で最悪な日に、微笑んでしまう自分は、何なのだろう…。












2.





『おやすみ』という言葉が、こんなにも重いものだったとは知らなかった。

普通の家庭であれば、『いい夢見てね』と付け加えるだろうが、眞鍋家は違う。『永遠に』と加えなければならないのだ。冗談じゃない。全く笑えないが、この日の3人はおかしかった。


おやすみ、永遠にと言った成美は、なぜか笑っていた。それを見て、父も、慎一も笑った。なぜ笑ったのかは、慎一自身、分からなかった。



月が煌々と夜空を照らす中、慎一は包丁を手に取った。鋭利とまではいかないが、十分にその役目を果たしてくれるだろう。刃が月明かりに映えて青白く光っていた。


これが今から悪夢を見せる。これが、命の糸を切るのだ。悪い気しかしない。彼はやめようという衝動に駆られながらも、一歩、また一歩と父のほうへ歩み寄った。


そっと屈みこみ、様子をうかがう。

父はこれから殺されると知らないかのように、半ば口を開けて眠っていた。



「父さん…俺、父さんの子でよかったよ」



これが、今の彼にできる精一杯の親孝行だった。


刃を下に向け、柄を両手でしっかりと握る。

任されたんだ。これも、家族を守る方法なんだ。やれ、俺!

早まる鼓動に身を任せ、慎一はとうとう腕を振り下ろしてしまった。


鈍い音が数回。

黒っぽい液体が床に広がっていく。



「父さん…これでよかったんだよね…後悔なんてしないから。これが、俺たちの運命だから…」



彼は涙ながらに呟くと、次の目標のもとへ歩み寄った。



次は美奈。



まだ幼い自分の妹。


小さい体の傍に膝をつき、血で染まった刃を彼女の喉元に突き付けた。



「美奈、ごめんな、酷いお兄ちゃんで。天国で一緒に暮らそうな。母さんもいるだろうから」



彼女は低い呻き声と共に絶命した。


手がぬるぬるしている。暗いから手がどんな色をしているか分からない。だが、テカっているのは分かった。






最後になった。

最後?自分を含めれば最後から2番目だ。



姉、成美の番がきた。



慎一はふうっと息を吐き出し、成美の傍に座る。

と、



「―――――とうとう私の番がきたのね」



成美が、諦めたようにそう呟いた。

慎一はハッとして、思わず包丁を床に置いた。



「姉ちゃん…起きてたのかよ」

「当り前よ、お父さんじゃあるまいし」

「そうだよな」



反射的に彼は言って、閉口した。



「何やってるのよ、早くやりなさいよ」





成美は寝返りを打ってそう言った。慎一は、「うん」とだけ頷き、包丁を持つ。

しかし、なかなか踏み切れなかった。







「何してるの!?早く!もう後戻りはできないのよ!」





突然、彼女が声を張り上げた。

慎一はびくっと肩を震わせ、その調子に涙が1つ床の上に落ちた。


「分かってる…じゃあ…いくよ」

「何で言うのよ。そんなこと言われたら死にたくなくなるじゃない。…黙ってやればいいのよ、黙って」

「だけど―――――」

「慎一」






成美が優しい声で呼びかけた。




「…何」

「大好きよ、愛してる。お母さんたちのところで仲良くしようね」

「―――――俺も、姉ちゃんのこと大好き。愛してるから」




慎一はこらえきれず、涙を流した。

それと同じように、成美も涙を流した。



そして――――――――――――




















慎一は1人、バスルームへ行った。そしてふと思いつき、水道の蛇口をひねってみた。が、水は出ない。1滴も。

でも、それでいいんだ。だって…もしここで水が出たなら、自分はきっとこの手にへばりつく紅蓮の漿を洗い流し、ここから逃げ出す。それじゃ、何の意味もない。ただの人殺しだ。殺人犯となって牢に入るのは御免だ。それなら潔く死にたい。

慎一は最後の覚悟を決め、自分の首の根元に刃先を突き付けた。皮膚に冷たいものが当たっている感覚が、まだ生きていることを証明している。このまま力を入れたら、俺は死ぬんだ。





「俺、結局彼女できなかったな…」




恐怖を紛らすために、どうでもいいことを呟いてみたが、怖いものは怖かった。



「母さんの手料理、美味かったよな…」


昔を思い出すたびに、涙が溢れてくる。





「あ、そういや、まだ富士山に登ってなかったな」




父さん、母さん、今からそちらに行きます。






「プールで美奈が溺れかけたりさ」



美奈、今までありがとう。








「姉ちゃんの下着を盗んでみたり」




姉ちゃん、愛してるよ。今も、これからも。




「こうやって人を殺してみたり。もう覚悟の上だよな?」



彼は涙を拭いもせず、壁に背中を押し付けた。そして、














「さよなら、俺」







































朝の光が小さく開いたカーテンの隙間から差し込んできた。


しかし、誰も夜が明けたことを喜ばなかった。











彼らの夜は、始まったばかりである。









眞鍋一家心中事件。父・長女・次女は殺害され、犯人である長男も風呂場で自殺。眞鍋家の葬式には、誰一人参列しなかったという。※フィクションです

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