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「今日もお疲れ、クラ子さん」
先程のサラリーマンで今日の仕事を終えた俺は
愛車のクラウンを駐車場に駐め終えると、
事務所のドアを開けた。
「双六、ただ今戻りました」
カランカランとドアの上部に付けられたベルが事務所内に響き渡ると中で仕事をしていた莉子さんが俺の方へ顔を向け優しく微笑んだ。
「双六くん、おかえりなさい」
「ただ今戻りました」
「お茶用意するわね、手洗ってきなさい」
「ありがとうございます」
莉子さんの姿が給湯室に消えていく。
莉子さんは俺がこの会社に来る前からここで事務員として働いている女性だ。
とても優しくて上京してきて間もない俺に料理を教えてくれたり風邪で寝込んだ時は掃除や洗濯などもしてくれた。
というか、住む所がなかった俺に、
ここで住み込みで働かない?
と、誘ってくれたのも莉子さんである。
多分俺より10いくつかは年上の人だと思うのだが、
莉子さんの外見は衰えを知らず
むしろ、2年前に出会った頃よりも若返っているのではないか?とさえ思えてならない。
俺が荷物を下ろし手でも洗おうかといったその時、
事務所の奥の方からタタッと何かが駆け寄ってくる足音がした。
反射的にビクッと体が硬直し俺は暗闇に目を凝らす。
と、キラッとした2つの光と目が合った。
そこに居たのは猫だった。
ヌラッとした毛並みの真っ黒の猫。
お世辞にも可愛いとは言い難いその猫を見て
俺は何故か運命を感じてしまった。
「おいで」
その猫は人慣れしている様で
俺がしゃがみ込んで目線を合わせると
ゆったりとした足取りで俺の目の前にやってきた。
「…ニャア」
まるでやる気がない鳴き声を出したその猫を抱き抱えると俺は莉子さんに声を掛けた。
「あの、莉子さん、これ、落ちてました…」
莉子さんは俺の声に振り向くと
腕の中の黒い塊を見つめ不思議そうに首を傾げた。
「これは……猫?」
「…猫です」
「猫ってこんなにヌラヌラしてたかしら」
「多分汚れてるんでこれから洗いたくて、えっと…」
俺がしどろもどろになっているのを見て
莉子さんはフフフッと笑った。
「飼いたいんでしょ?
いいわよ
双六くん、初めてのおねだりだ」
社長には私から言っておくね、と莉子さんは続けた。
何故か恥ずかしい言い回しをされたが
晴れてこのウナギのような猫は僕の猫になった。