2・共に、逃れ・4
それと分からぬように重心を移動させ、ラディは素早く行動を起こした。
腕を伸ばし、姫のベッドのシーツを勢いよく引っぺがし、グローネスとタタラに投げつける。
ふわりと広がる布に反逆者たちが視界をふさがれているうちに、呆然としている姫の手をとりバルコニーに走り出た。同時に指笛を吹き鳴らす。これを合図にストームが来るはずだ。
「ど、どうするの?」
リラの問いに、返答はひとこと。
「飛び降りる!」
明快な返事にリラは目を丸くした。ここは三階である。
「正気なの!?」
「あいにくとね」
平然と少年は答え姫の手を引いた。
「行くぞ!」
「うそ、ちょっと待っ……」
ラディは待ってくれなかった。子供とは思えない力でリラを引き寄せ、迷わず跳ぶ。
「いやあぁあぁっ!?」
リラは叫ぶしかない。構わずラディは空中で彼女を抱きかかえるように体勢を整えた。
ザザザザッ!
耳障りな音がごく近くでして、それが止むとすぐさま衝撃がきた。
……さほど痛みは感じない。
リラが恐る恐る目を開けると、彼女の体の下でラディがぶすったれた声を出した。
「……どいてくれねーかな、ヒメサマ」
「っきゃあ!?」
どう見ても完璧にラディをお尻の下に敷いている。あわてて飛びのくリラである。
「ケガしてないか?」
立ち上がりながらラディに聞かれ、反射的にコクコクと頷く。実際にほとんど痛みはなかった。
あの高さから落ちてどうして無事だったのか。
不思議に思い、きょろきょろと周りを見渡して判断がついた。
周りには生い茂る木と、その下にはさっき二人が落ちた植木が生えている。この上に跳んだのだ。
まず上の木で勢いを殺し、さらに下の植木をクッションにしたのだろう。
おまけにラディが下になったため、リラに怪我は全くない。
「あ、あなたは大丈夫なの?」
リラの下になったのに。
「え、あぁ。たいしたことないよ」
ラディは手を回して自分の背中を軽く叩いていた。やはり下になったので多少のダメージを受けたらしい。
「だ、大丈夫?」
「平気」
短く答えながら彼は周りを見渡す。
「ストーム!」
呼ぶ声に、すぐに相棒が姿を現す。厩舎に入れられていたはずだが、合図の指笛を聞いて強引に出てきたらしい。
ラディの目がないところでは、ほかの人間に触ることも許さなかったらしく、背には荷物が積まれたままだ。馬装もそのままで、鞍や手綱がつけっぱなしである。
「さて、どうするかな」
ストームの背に乗ってこの場から離れるのはいいが、どこに行くか。
城内に安全な場所はあるのだろうか。
そう考えた瞬間に頭上から怒声が降ってきた。
「姫を捕らえろ! 小僧は殺して構わん!!」
グローネスの声だ。それに応えてそこかしこから気配が近寄ってくる。
「あー……」
どこに逃げてもダメっぽい。ラディは肩を落とす。
どうやらこの城は完全に反乱側に制圧されたようだ。
姫と少年剣士の視界内にも、騎士の死体が転がっている。
「……!」
リラは息を呑んだ。
彼女に心配ないと叫んだ老騎士だった。すぐに収まると姫を元気付けた騎士は、物言わぬ体で横たわっている。
「こっち」
声を詰まらせて遺体を見つめる姫の手を引いて、ラディはとりあえず木陰に隠れる。
「ヒメサマ、乗れ」
ストームに乗れと指示する。
「わ、わたし……馬なんて乗ったことない」
首を振って怖がる彼女に、
「おれが手綱引くから大丈夫だ! 乗れ! 早く!!」
言いながら茂みを割って襲い掛かってきた刺客を斬る。包囲されようとしているのだ。
「ほら!」
手を引き、腰を押してやってリラをストームの背に押し上げた。
以前はあれだけラディ以外の者を乗せることを拒んでいたストームが、今はおとなしい。まるで状況が分かっているかのようである。
ストームが暴れないのでちょっと安心したリラだが、高さがあって怖いので首にしがみつくのがやっとだ。とても背筋を伸ばせない。
続いてラディが飛び乗ろうとしたとき、人影が現れた。反射的に剣を向けたラディは、人物を視認して剣先を下ろした。
この城の主、(リラ曰く)三拍子男――エオス王子だったのだ。
正直言って、まだ無事だったのかと思ったラディである。まがりなりにも城の主で、リラ姫の婚約者なのだ。真っ先に狙われて殺されそうな立場だろう。
見た感じではぴんぴんしている。どこかに隠れて震えていたのか。
愛しい婚約者が狙われているというのに。
「わ、私も連れて行ってくれ。このままじゃ私も殺される」
足元の騎士の死体に、がくがく震えながら王子は懇願してきた。王子ご自慢の腰の剣は抜かれた様子もない。
「いい大人だろ、自分の身ぐらい守れないのか」
ため息混じりにそう言いつつも、この王子にそんな腕前があるとは思っていない。
「馬には乗れるだろ」
短い問いかけに、王子は首を振った。何から何までダメらしい。
「あなた馬持ってるのに乗れないの?!」
リラが声を上げる。以前会ったとき、立派な白馬を持っているのでいつかリラ姫を乗せて、自分の領土を走り、見せてあげますと自慢していたのに、あれは嘘だったらしい。
馬を持っていても乗れないのでは意味がないではないか。
ラディはもう何も言わなかった。この王子に何かを期待しても意味がないと、ためにならない学習をしている。
無言で視線を走らせる。ストームが厩舎から強引に抜け出したとき、つられて逃げてきた馬がいないかと思ったのだ。
ストームがひょいと首を動かした。まるであっちを見てというような動作だ。
「きゃあ、待って動かないで」
急に動かれて、しがみついているリラが悲鳴を上げた。
「大丈夫だって」
姫をなだめてストームがさしたほうを見る。彼の予想は大当たりしていた。
夜闇にまぎれた馬身が見える。
すぐ近くに三頭、馬がいた。
白馬、黒馬、そして栗毛。夜間なので目立たないように黒馬を選んだほうがいい。
ストームと違って、何の馬装もしていない。厩舎にいたのだから当然だろう。
荷物や馬装を解かないストームがおかしいのだ。
今回はそれが幸いし、災いしたが。
「よし、乗れ」
城内の雰囲気にやや気が立っている馬をなだめ、連れてきてラディはきっぱり言った。
「む、無理だ! 鞍すらついていないではないか!?」
鞍どころか手綱もない。ついていても乗れない王子が嫌がるのは無理もないのだろうが、だからと言って覚悟ができるまで待ってやる暇はない。
「いいから乗れって!」
また向かってきた刺客を斬り捨てて、急いで王子を押し上げる。
「お、落ちる!!」
「しがみついてろ!!」
優しくしてやる義理もない。一気に襲いかかってきた刺客を同時に三人ほど切り伏せて、ラディはストームの背に飛び乗った。
「死ぬ気でしがみついてろよ!!」
叫んで王子の乗った黒馬の尻を蹴り飛ばす。
「うひぇぇえええええ」
情けない悲鳴を残して走り出した黒馬の後を追うようにストームを走らせる。
「〜〜〜〜〜!!」
リラも声にならない悲鳴を上げた。馬車しか乗ったことのない彼女に、このスピードは速すぎる。目も開けられない。
必死で馬の首にしがみつく。背後で小さな体が何度か動いたのは分かった。
キンキンッという何かをはじくような音も。
「な、なになに?」
「ん、なんでもない」
ラディはそう答えて背負っている鞘に剣を収めた。弓矢で狙われたのだ。もっともこの闇の中で当たるわけもなく、偶然に当たりそうだったものは切り落とした。
かなり距離を稼いだので、もう矢は飛ばないだろう。
「あんまりストームの首絞めるなよ、かわいそうだろ」
苦笑が混じった声でそう言う。姫を不安がらせないために。
「だって、こわい! きゃあっ!」
不安以前に馬の背にいることが怖いらしい。
「おれがおさえてるって。あっちなんて鞍もないからもっと大変だぞ」
併走している黒馬にはエオス王子が死に物狂いでしがみついている。力が入っている顔面が恐ろしいくらいに崩れていて、見るに耐えない。
リラに見る余裕もなかったのは幸いかもしれない。見ていたらその一瞬で婚約解消を決めただろう。
「なんで怖くないのよっ!? 真っ暗なのに!」
悲鳴を上げられて、ラディは涼しい顔で答えた。
「月があるだろ。くらくないよ」
それが当然と言うように、彼は言う。
「上見てろよ。きれいだぞ」
下を見ているから怖いのだ。上を見て、月でも見ていろと少年は言う。
まるで焦っていない口調だ。
反乱が起きて、城を追われて、今まさに逃げている最中だというのに。
この子は、どうしてこんなにも落ち着いているのだろう。
ずっと年上の私と王子がこんなにあわて、恐怖しているというのに。
リラはそう思ったが、こわごわ目を開けて言われたように上を見た。
細い三日月が見えた。
「月はあんまり動かないから、速いと思わないだろ」
リラは答えずに見上げている。その瞳からぽろりと涙が落ちた。
「なんで……」
声が震えている。見上げたまま、彼女は泣いていた。
「なんで? ……どうして……?」
こんなことに。呟きは声にならなかった。
城に着いて、もう安心だと思っていた。あの中は安全で、もう襲われることもないだろうと思っていた。だからラディをからかって、嫌がらせをして、困らせてやろうとした。
ただそれだけのつもりだった。
もう全部終わったと思っていたから、安心しきっていたのに。
また人が死んだ。たくさん殺されただろう。ひとつの城を占拠されたのだ。襲ってきたのは生半可な人数ではないだろうし、抵抗したらすげなく殺されたのではないだろうか。
セリアは無事だろうか。ほかの人は? 置いて逃げてきてしまった。
自分たちだけ、逃げている。
守るべき小さな子供に護られて。
「さいあく……」
小さな剣士は何も言ってこない。ただ、リラの背にそのぬくもりが伝わってくるだけ。
小さな体。今はそれが何よりも頼もしい。
小さな体。それに頼らなければならない自分の弱さが悔しい。
リラは目を閉じた。背中のぬくもりが恐怖を取り去っていくのが分かる。
悔しい。こんなおチビさんにこんなに安心するなんて。
絶対言ってやらない。リラはそう決心した。
――いきなり静かになった姫君に、ラディはちょっと心配になる。泣き出した気配がしたので何か変なことでも言ったのかと不安になった。
姫は何も言ってこない。ただ、少しの間泣いたようだ。
いくら世慣れしたような子供といっても、まだ十歳。どうしたらいいのか分からない。
とりあえず、何か言われたら返せばいいかなと、今にも落ちそうな横の王子を気遣いながら走る。
困ったことになった。城に着きさえすれば大丈夫だと彼も思っていたのだ。
城ごと落とされるとは夢にも思わなかった。一度目と二度目の襲撃の規模の割に三度目はかなりおおごとである。緻密に計画を立て、内部事情を調べないと城を落とすなど無理だろう。おそらく手引きしたものもいるはずだ。
それを考えると、一度目と二度目は陽動だったのではないかという気もしてくる。
三度目の襲撃、城攻めを感じさせないために、わざわざ馬車を襲ったのではないか?
実際、城に入ってだれもが安心していた。もう大丈夫だと考えていた。
もし、リラ姫とエオス王子がラディを引き止めなかったら、今頃姫は捕らわれの身だ。
魔道を操る老人もいては、城の騎士たちでは太刀打ちできまい。
そして……ファージは乗っ取られただろう。
『御印』を持ちリラ姫を無理やりに娶り、諸国に宣言してしまえば、現国王が何を言おうとどうしようもない。
『御印』が持つ影響力はそれだけ絶大なのだ。
遥かな昔に『竜聖母』から与えられたという指輪。たかが指輪とは言えない。
ましてリラ姫の身柄も得てしまえば、確実に次の王だ。
それだけのことをたくらむ連中ならば、現国王の身を害する手口も考えているかもしれない。
ゲンナリしたのは今日何度目だろう。ラディは考えても仕方ないことを考えて、横を見た。
お荷物はわがまま姫だけでなく、もうひとつ、ダメ王子も増えた。
……全く……厄日なのはまちがいないよなぁ。
とにかく、この二人を安全なところまで逃がさなくては。
それが、今の自分の役目だ。
こうして、美しい姫君と勇敢な小さい剣士となにをやってもダメな王子は城からの脱出を果たしたのだった。
脱出。でもダメ王子も一緒なので苦労は倍




