2・共に、逃れ・2
本当の災難はこれから襲いかかろうとしていたのである。
爆音が、響いた。
「なに? 何が起きたの!?」
寝着に着替え、侍女たちを下がらせようとしていたリラはあわててそう叫んだ。今の音はなんだろう。どこかが爆発を起こしたような音。だが、今は夜で、ここは城だ。
それなのに爆発するような危険なものを置いてあるのだろうか。
ここは自分の城ではないので分からない。エオス王子に火薬で何かするような趣味があれば珍しくも無いことなのだろうが、どうやらそうではないらしい。
階下からざわめきが聞こえてきたからだ。事情を尋ねに侍女の一人が廊下に飛び出していった。
窓の外から切れ切れに声が聞こえてくる。
「……から火が……」
「……爆発……いきなり……」
そんな声。リラはバルコニーに出て眼下に叫んだ。
「何が起きているの!?」
「あぁ姫様! ご心配には及びませぬ、すぐに収まりますゆえ」
年老いた騎士がそう答えて走り去った。
心配するなといわれてもしないわけにはいかない。安心も吹き飛んだ。今日これまでに二回も襲われているのだ。城の中ならと安心していたが、もし刺客がこの城の中に潜り込んでいたら、通じているものだとしたら。
お忍びで移動していたのに、待ち伏せされていたのもそのせいかもしれない。内通者がいたのなら説明できることだからだ。
ありとあらゆる可能性がリラの頭の中を駆け巡った。
その中には『命の恩人』の姿もあった。まさかという思いもあるが、怪しいことは怪しい。
年端も行かない少年だが、剣の腕は騎士を遥かにしのぎ、年齢不相応に聡い。
今までの行動は全て芝居で、もしやラディが刺客を率いていたのではないか?
馬鹿らしいとは思いながらも一旦考え付いてしまうと疑惑は膨らんだ。
いきなり現れ危機を救い、実は刺客の首領だった――伝承歌や物語でよくある展開だ。
ただ、刺客の首領が十歳の少年だったというのは聞いたことがない。
そこまで考えてから、リラは我に返った。我ながらあほらしい事を考えていると。
考えを改めた。真実がどうであれ、今は目前の出来事に神経を使うべきだ。
そうかと言って今のリラにできることなどない。彼女は護る者ではなく、護られる立場の者なのだ。下手に動くとかえってほかの迷惑になりかねない。
それは今日の襲撃で学んだことだ。じっと待っているほうがいい。
リラは箱入りの世間知らずな姫君にしか過ぎないのだから。
たとえ危険が人の形を以って近付こうとしていても。
爆音でラディは目が覚めた。
そして著しく機嫌を損ねた。
眠りの波にさらわれる直前、うとうとして一番気持ちがいいときに起こされたのだ。
一体なんなんだ。
ガリガリと頭をかいてラディは起き上がった。分厚いドアの向こうから走り回る足音と困惑した声が聞こえてくる。
ただ事ではない。それが分かったがラディはしばらく行動を起こさなかった。
今、外に出ても混乱に巻き込まれるだけだろうし、出て行って誤解されるようなことになっても嫌だ。
とりあえず、外していたバンダナをまた額に巻いて、上着を着、靴を履いて置いておいた剣を背負った。いつでも何が起きても敏速に動けるようにはしておく。荷物の類はストームに背負わせたままなので、ラディが持つものは剣だけだ。
ばたばたばた。ドアの外からはまた誰かが走り回る音。
爆音といい、なにかまずいことが起こっているのは間違いない。
なんだかもう、とんだ一日としかいえない。ため息をつきたい心境だ。
今日は全く災難だらけである。どう考えても人災だが。
やはり貴族、王族に関わるとろくな事が無いと、ラディは学習した。
それでも、見捨てるわけにはいかなかったのだ。
――ファージ国の王家の者を。
「……おれってなんて親孝行……」
人知れず少年剣士がそう呟いたとき、再び爆音が城を揺るがした。今度は位置が近い。ラディはほぼ真横辺りかと見当をつける。そして、その爆音にまぎれて叫び声がしたのも聞いた。
ドアに駆け寄り、ぴったりと張り付くようにして、わずかに隙間を開ける。
二度三度と銀光が奔るのが見える。その光はまぎれもなく鋭い刃の放つもので、その場でなにが起こっているのか容易に想像できた。
城の中にも刺客がいるのだ。
先に紛れ込んでいたのか? それとも今侵入したのか。
そのどちらかはさすがに分からないが、確実に今、命を奪うことを生業とする者たちが城内に存在している。
ほんっとうに最悪な一日だ……。
しみじみとそう思いつつ、ラディはドアをはね開け、走った。走りながら愛剣を引き抜いている。
廊下にいた黒ずくめの男と一度だけ切り結んだ。一応城の者ではないと視認して、次の一撃で切り倒す。その後ろにいたもう一人がかかってきたが一刀で斬り捨てた。
侮れぬと見て本気でかかってきた三人目も同様に斬って捨てた。
悠長に相手をしているヒマなどないのだ。
間違いなく刺客は姫に向かっているはずだった。
助けに行かねばならない。世間知らずで身を守る術さえ知らないようなリラである。
騎士たちも爆発騒ぎに右往左往している。これが陽動と気がついている者がいるかどうか。刺客がいることすら気がついていないかもしれない。
気がつかぬまま、斬り殺されていく。
騎士ってこんなに弱いもんなのかと走りながらラディは考えたが、すぐに訂正した。
刺客が手練れなのだろう、平和な城仕えに慣れた騎士たちでは相手にもならないほどに。
四人目、五人目の刺客を斬り捨てたときに、更なる衝撃がラディを襲った。
……考えてみたら、姫のいる部屋がわからん……!
六人目と刃を合わせつつ、かなり間抜けだと自分にあきれた。
斬り捨てて考える。姫がいそうな場所。
……見当もつかない。何せ今まで城に入ったことなどないのである。どの辺りに何があってどうなっているのか、広い城の間取りなどサッパリ分からない。
見当をつけろというのが無理な話だ。
心底困っていると七人目が襲い掛かってきた。考えに集中できない。
意に介さずに斬り捨てた。ラディの実力からすればたいした相手ではないのだが、キリがない。一体何人の刺客が城内に侵入しているのか。
背後から切りかかってきた八人目を振り向く動作で斬った。血の匂いがむせ返るようだ。
できればあまり殺したくはないので急所は外し、戦闘力は奪っている。
早く発見されれば助かるだろうが、見つかる前に自害するかもしれない。
縛り上げて猿轡をするのが一番いいのに縛るヒマもないのでそのまま無視して進む。
「くう!」
うめき声に気がついて走ると見覚えのある姿が見えた。たしか姫の警護についていた女性、セリアといったか。傷ついた腕をかばいながら刺客の剣を受け止めている。
今にも押し負けそうだ。
「はいそこまでっ」
叫んで刺客をばっさり斬った。
「あ、ありがとう……」
彼女は息を切らしている。ケガ人の身で必死に戦ったのだろう。間に合って運が良かった。
「ちょうどいい、ヒメサマは!?」
「私もこれから行くところなの。一緒に来てくれる?」
気丈にもセリアはそう言ったが、ラディは首を振った。
「いくのはいいけど、おねーさんは休んだほうがいいよ。また血が出てる。ヒメサマのところにはおれがいくからどこかに隠れてろ」
言いながら少年は背後から切りかかってこようとした刺客を、振り返りもせずに剣を背後に突き出して斬り倒した。
背後からの物音と気配だけで刺客との距離を測り、正確に撃退して見せた。
一体この少年はどれだけ強いのか、セリアには判断もつかない。自分では到底かなわないというのだけは何とか理解できる。
こんなに小さいのに。
「そんでヒメサマは?」
「あ、ええ、この上にいらっしゃるはずよ。緑のカーペットが敷いてある廊下を進めば、警護の騎士が二人、扉の前に立っているはずだから分かると思う」
「わかった。ありがと」
言って駆け出そうとして、少年は振り返った。
「?」
どうしたのだろうと思うセリアに、
「ちゃんと傷の手当して、その辺の部屋に隠れてろよ。おねーさんが死んだらあのヒメサマきっと泣くぞ」
まじめな顔でそう言って、気が済んだのか走っていった。
思わずぽかんと見送って、セリアは苦笑する。
全く……これではどちらが大人か分からない。
爆音が徐々に近付いてきているのをリラは知った。間違いなく自分を狙っているだろうことも、容易に想像がついた。
「逃げたほうがよろしいのでは……」
侍女の一人が進言してきたが、リラは頷かない。
「どこへ逃げるというの。どこが安全なのかも分からないのに」
部屋の外ではなにが起こっているのかわからない。扉の外で不寝番をする予定だった騎士二人は、突然の騒ぎにうろたえてはいたものの、その場を離れなかった。
この部屋の中には美しい姫がいらっしゃる。姫を護らねばならない。
美しい姫を護ることは最高の栄誉だったから、苦とも思わなかった。
苦痛を感じる前に、彼らの時間は終わりを告げた。人影を視認した瞬間に、彼らの命は終わったのである。
どん。
何かが扉にぶつかる音がした。
それが姫を護る騎士たちの亡骸がぶつかった音だと室内の者が知ったのは、扉が勢いよく開かれてからである。
内開きの扉が開かれると同時に室内に倒れこんできた首を裂かれた体に、侍女たちが悲鳴を上げる。
リラは青ざめた顔を侵入者に向けた。
騎士たちの死体を乗り越え、姫の部屋に侵入を果たした無礼者。
見覚えがあった。
「グローネス卿……!」
公爵位を持つ貴族だ。貧相な口ひげを生やし、体は太っているくせに顔だけが細長い。腹が突き出た鼠を連想させるような男だ。
「リラ姫様にはご機嫌麗しゅう……」
にんまりといやらしく笑いながら、わざとらしい礼儀を取る。その背後には血にまみれた剣を持つ男たちがいた。
好色に笑うこの公爵が、刺客たちの黒幕だったのだと、この場にいる誰もが知った。
「反逆は死刑の大罪ですわよ。グローネス卿!」
気丈にリラはそう言って見せた。弱みなどこの男には見せたくない。
彼女は誇り高きファージの王女なのだから。
グローネスは笑った。彼女の虚勢を分かっているかのように。
「反逆とは心外ですな。私はファージのためを思ってやっていることなのですよ。美しく気高い姫にあのような馬鹿王子を婿とするなど言語道断。それこそこの国を見守る竜聖母に失礼というもの」
神――『竜聖母』などかけらも信じていないと言う口調でまだ述べる。
「ですから私がこの国を治めようと思い、このような行動をとったのです。忠義といわれるなら本望。されど反逆とは心外でございますな」
わざとらしいまでのいいわけだ。一度目の刺客も二度目の刺客も、リラを殺そうとしていた。少年剣士の活躍によって阻まれたが、それがなければリラは殺されていただろう。
これを反逆以外のなんと言えばよいのか。
グローネスはいやらしい笑みを浮かべたまま、リラに向かって手を差し伸べた。
「さぁ姫。御印をお渡しください。あれはこの国の王をしめすもの。私としても美しい姫君に手荒な真似はしたくありませぬ。渡してくだされば貴女には幸福を差し上げよう。私との婚姻による幸せを」
グローネスが求めているのは『御印』が示す王への権威だけではない。ねっとりとした視線が嫌でもリラに理解を強いた。
ファージの王位と共に、近隣国一の美女を欲しているのだと。
リラは冷水を背に浴びせかけられたような気分になった。
冗談じゃない。ダメ三拍子男とも嫌なのに、スケベ中年との結婚なんて絶望的に嫌だ。
心の底からそう思う。父王と同じくらいの年齢のグローネスだが、好色で名高い。
世間知らずのリラでさえ知っていることだった。合法的にも非合法的にも、あらゆる手を使って美女を集めている、と。
王宮で催し物があるたびに、グローネスにだけは近寄らないようにとリラはあちこちからきつく注意されたものだ。
そんな男と結婚するくらいなら、無能でも無知でもぶさいくでもリラにぞっこんのダメ王子のほうがまだマシに思える。顔の造作では大して変わらなくても。
眉をしかめて嫌悪を表すリラに、グローネスは真顔になり、次いで残酷な笑みを浮かべて言った。
「勘違いをなさっては困りますな、リラ姫。選択権は貴女にはないのだ」
その声は勝利感で一杯だった。反逆は完全に成功した。リラ姫さえ手中に収めてしまえば、後はどうとでもなる。グローネスはそう思っていたのである。
ピンチ再来と黒幕登場。




