1・危機に、落ち・4
――日が暮れてきた。少年剣士が出発してからもう大分経つ。
幸いアレから刺客の襲撃はないが、森の中はもうすぐ夕闇に閉ざされようとしていた。
日が落ちてしまえば森の中は危険になる。
もし、闇の中で刺客に襲われれば、次は耐え切れない。
刺客だけではない。夜は凶暴な獣や魔物が現れ、活発になる時間でもあるのだ。
自然が敵となる。
ラディはまだ戻ってきていない。とうに戻ってきていておかしくない時間が過ぎているというのに。
襲撃を受けた場所からは少し離れて少年剣士を待っている。姫を護って死んだ騎士たちの遺体があるところでは姫が休めないという、優しい判断からだ。
「……やはり、逃げたのか……」
疲れきった声で騎士の一人が呟いた。
「……そうかもしれない……所詮、子供だしな」
あれだけ強くても、臆病風に吹かれたのかもしれない。大量の金貨に目がくらんだのかもしれない。
最悪、森の中でこのまま野宿だ。火を起こす術もない中で、獣や魔物に怯えながら。
馬車が逃げてしまったせいで、食べ物もない。
リラはさっきから文句ばかりを呟いている。
「やっぱりセリアが行っていればよかったのよ! 私の言うようにしていれば、今頃は城についてお風呂に入ってゆっくりできたわ」
「申し訳ありません、姫様……」
血のにじむ包帯をおさえ、セリアは謝るのみ。彼女も判断を誤ったかと思い始めていた。
城からあまり出たことのない姫付の騎士や侍女に、野宿の心得があるわけがなかった。
ましてリラに野宿が耐えられるわけがない。
体がふっくらと沈むようなベッドでしか眠ったことがない姫だ。
なによりも騎士たちが、栄えあるファージ国王家の姫君に、こんなところで野宿などさせられないと思っている。
彼らにとってリラは大事な大切な姫だ。敬愛する存在だ。
護らなくてはならない。
「……あんな子供を信用するべきではなかったのですわ」
生き残った侍女が叫んだ。
「きっと金貨に目がくらんで、持ち逃げしたに違いありません!」
庶民には、金貨など滅多に目にするものではない。子供であればなおさらだ。お使いで手に入るようなものではないのだから、きっと持って逃げたのだろうと。
嫌な想像ばかりが胸を覆っていく。夜の闇がそうさせる。
人が眠る時間が迫るたびに、不安も大きくなっていく。
「……私が走って助けを呼んでまいります」
とうとうセリアが言い出した。走ってでも、助けを呼んでくると。
金は全てラディに預けてしまった。この上は自力で何とかするしかない。
「いいえ、わたくしが。セリアどのはお怪我をなさっておりますもの。騎士様方は重たい鎧を身にまとっていらっしゃる。身が軽く、怪我もないわたくしが参ります」
侍女の一人が申し出た。
「しかし、あなたには身を守る心得がないでしょう。夜の道だ、魔物が出ないとは限らない。危険です、私が行きます」
「なにをおっしゃるか、セリアどの。あなたのお怪我では満足に戦えまい。私が行きます」
騎士の一人も言い出した。自分が、自分がと危険な役割を果たそうとする。
「……もう少し待ちなさい」
止めたのは、リラだった。
言い合う騎士たちを見て、ラディに言われたことが頭をよぎったのだ。
『……護られるばかりじゃなく、護ることも少し考えろ』
ちらりと、遺体が置かれている方向を見る。
確かに、あの少年が言ったことは間違いではない。リラが休憩を求めなければ、少なくとも遺体の数は減ったはず。何人かは、助かったかもしれない。
リラにも、護れた命かもしれない。
「ですが、姫様……」
「もう少し待ってみて、それでも戻ってこなかったら私ももう止めない。あなたたちの誰かに行ってもらいます。それでいい?」
「……はい」
本当は今すぐにでも行ってほしかったが、リラは我慢した。とても不快だった。
日が暮れていく森になどいたことがない。こんなに長い間、椅子も何もない屋外で過ごしたこともない。
あの子供は何をしているのだろうと腹が立った。本当に逃げたのなら許さない。
安全な場所に着いたら真っ先にお尋ね者として訴えよう。
姫を見捨てて逃げた卑怯者として。
そうなったらあわてて謝りに来るかもしれない。謝りに来たら即刻牢に入れて、絶対に許さないでおこうとリラは心に誓った。
その時である。
馬蹄のとどろく音が一行の耳に届いた。それもひとつではない。
「! まさか……!」
思わずみな立ち上げる。音はだんだん近付いてくる。
ほどなくして。
「なんと! 真であったか!!」
先頭にストームを駆ってラディが姿を現し、その後ろのひげを生やした騎士が驚きの声を上げた。さらに後ろには豪奢な馬車が見える。
「だから言っただろー……ぜんぜん信じてくれねーんだもんなぁ……おかげですっかり遅くなった……」
げっそりと疲れた様子でラディが呟く。目的を城に変更して、快調に飛ばしていけたのは城に着くまでだった。着いたら着いたで子供のラディのいうことを門番は全く信じてくれず、取り合ってもくれなかった。退くわけにもいかないので、しつこく説明し、とにかくついてきてくれれば分かるからと何度も言うと、しつこいと怒られ、あげくに牢屋に放り込まれそうになったのだ。
預かった金貨を見せたらどこで盗んだとまで言われる始末。
『あー、もー! 信じなくていいからとにかくついてきてくれ! 逃げたりしないから!! おれがうそをついてたらその場で斬ってくれていいから!! ほんとうにヒメサマが危ない目にあってるのを見捨てることになるんだぞ!!』
少年がそこまで言ってようやく城のものは腰を上げた。それでも半分も信じておらず、森の中でラディを斬り捨てるつもり満々だったのだ。
それが、着いてみると本当に姫がいた。お付のものは半分以下に減っている。それを目にしてようやく少年が言っていることが真実だと理解した。
「すまんな、少年」
「……もういい……」
重々しくラディは首を振る。素直に謝罪を受ける気力もない。
「なんか一筆書いてもらっとけば良かった……」
そうすればすぐに信じてもらえただろう。頭を抱えて後悔しているようだった。
「ご苦労様でした」
「あー、うん」
セリアに笑いかけられて、ラディは苦笑を返し、金貨の入った小袋を彼女に返した。
「使わなかったよ」
馬車は城のものが用意したので、ラディに渡したときのまま、金貨は全く減っていない。
「少しも使わなかったの?」
「城の人が用意してくれたからね」
さっくりとそう返してくる。残って待っていた皆が、持ち逃げするのではと危惧していたことを、彼は考えてもいなかったようだ。
リラは少し自分の考えを恥じた。二度も救ってもらったのに、こんな風に疑うのは失礼だ。
「……ちょっと」
「ん」
声をかけると少年剣士は振り返った。金色の瞳はいぶかしげだ。それを見ると、言おうと思っていた言葉は引っ込んだ。
「……なんでもないわ」
「は?」
「なんでもないの! あっち向いて!」
「……はぁ」
さらにいぶかしげな表情になるがラディは言うとおりにリラから視線を外した。姫のわがままにこれ以上付き合うのは、疲れているのでかんべんしてほしい。
「姫様、お待たせして申し訳ございません。ささ、馬車へ」
「ええ」
騎士にエスコートされ、リラは馬車に乗り込んだ。
窓から外を見ると、ラディはそのままストームと共にどこかへ行こうとしている。騎士たちに止められているのが分かった。
「どうしたの?」
「いえ、このまま立ち去るというのです」
「もういいだろ。おれがついてなくてもさぁ」
少年の声が聞こえてくる。ほとほと疲れたというような、とても嫌そうな声だった。
よほど同行するのは嫌らしい。
「いやいや、そういうわけには行かぬ。恩人を礼もせずに放り出したとあっては私が王にしかられる。少年よ、待ってくれ」
ひげの騎士にそう言われても、
「別に礼なんかいい」
ラディはにべもない。しんそこ、嫌なのだろう。
「あー、ラディくん」
セリアが割って入った。
「一緒に来てもらいたいの。もう夜も遅いし。また刺客に襲われても困るわ、魔物が出るかもしれない」
「…………」
ラディはちらりと馬車を見た。見ていたリラと視線が合う。どきりとしてリラは目を逸らした。ラディの視線から隠れてから、何故自分が隠れなくてはならないのかと気がついた。
視線を戻す。ラディはリラを見ていたわけではないようだった。馬車を見ている。
正確には、馬車に刻まれた文様を。
「……城までなら」
送ってもいい。彼はそう妥協した。
かくして美しい姫君の復讐は想像で終わったのだった。この礼儀知らずの少年を牢屋に入れてやるのはちょっといい気味だと思ったのだが、助けてくれたのでもう文句は言わないことにする。なにより、疲れたので考え事をしたくない。
リラは馬車のなかでようやく緊張を解いた。どうしてこんなことになったのか。
とても疲れた。そう思う。
「姫様、少しお休みください。お疲れでしょう」
セリアがそう言ってくれたので、リラは頷いて目を閉じた。城に着くまでに少し眠ろうと思った。
もう、安心だと思っていた。
「……あのさ、ちょっと聞きたいんだけど」
そのころ、馬車の外ではラディが騎士に話しかけていた。
「なにかな?」
「今回のこれ……ヒメサマのおでかけって、お忍び? 最初に見たとき警護が少なかったような気がするんだけどさ」
極秘で移動していたのか、と少年は訊いている。
「あぁ、そうだよ。公の訪問ではない。まぁ、ご婚約者のところへの単なる顔見せと、ご旅行をかねている程度のものだからね」
まさかこんなことになるとは思わなかったよと、生き残った騎士もゲンナリしている。こんなに激しく襲われるとは予想もしていなかったようだ。
「君がいてくれて良かったよ。本当に助かった」
この少年がいなければ、そう考えるとぞっとする。誰も助からなかったかもしれない。
「……別にたいしたことはしてないよ」
言ってラディは馬車を振り返った。その中の姫は今は静かにしているらしい。さすがに疲れたと見える。温室育ちのお姫様だ、こんなにハードな一日を過ごしたことなどないだろう。
「謙遜しなくてもいい。本当に君のおかげだよ」
なおも何か言っている騎士の言葉に心半ばに応じながら、ラディは周りをうかがっている。
今のところ、襲撃があるような気配はない。一回目の襲撃から二回目の襲撃までの間隔より、かなり間が空いている。三回目はないのだろうか。
彼はそれを警戒していた。ラディが離れていた間は全く何もなかったらしい。
かなり時間がかかったから、最悪のことを考えて戻ってくる間ハラハラしていたのだが。
……あきらめたのか?
何が目的なのか、大体の予想はつく。
王位継承権、その証を持つ唯一の姫。
これで予想できないというほうがおかしい。刺客はどれも姫の命を狙っていた。彼女がいなくてもいいという狙い方だ。
これで本当にあきらめるだろうか。
一回目。ラディの存在は予想外だったろう。まさか子供に邪魔されるとは考えもしなかったはず。
二回目。一回目で生き残り、逃げた連中は近寄るのは危険だと思ったか。
弓矢での襲撃、それもラディに阻まれた。生き残り、逃げたものがいるのは気配で知っている。姫を護らなければならなかったために、追うことができなかったのが悔しい。
これで裏から糸を引いているものはラディの存在を知っただろう。黒幕に少年剣士の存在が知れたことは予想できる。
あれほど執拗に姫の命を狙う輩が、あきらめるだろうか。
だとすると、三回目は?
いや〜な予想がラディの頭をよぎる。思いつきたくなかったが、気付いてしまった。
――夜討ち。
「…………うあ」
小声で呻いてしまう。もはや辺りは暮れかけているのだ。刺客にとって、絶好のタイミングだろう。考え付いてしまった以上、警戒しなくてはならない。
早く城に着いてくれと、少年剣士はそれだけを願う。面倒は嫌なのに、このままではもういっぺん面倒に巻き込まれる可能性が高い。城仕えの騎士たちがついてきているため、助けを呼びに行く前よりは多少はマシだろうが、危険であることは変わりない。
城にさえ着いてしまえば開放される。
いくらなんでも城は警戒が厳重で、刺客も入り込めないはずだ。
安全なそこにさえ着いてしまえば……!
ラディは願う。
何も起こりませんように。
少年剣士は馬車をうかがい、わががま姫がこのままおとなしくしていることを願った。
何も起こるな、疲れたんだおれは。
それでも警戒はゆるめない。
なにが起こっても対処できるように。願わくば、その何かが起こらないように。
もー、いやだぞ、おもりは。
彼は心底からそう思っていた。
「君も疲れただろう。すまないな、まだ小さいのに」
騎士がそう言ってラディをねぎらった。幼い子供に護られた自分を恥じてもいるようだ。
「や、いいけどさ……仕方ないし」
いろいろと。
騎士はラディの含みのある言葉に気がつかない。
「まぁ、婦女子が危機に陥っているのならば男なら助けるものだしな。少年、君も立派な男だな。どうだ、騎士にならんか? 腕前は文句がないくらいだし、君がその気なら推挙してあげよう」
ラディは乾いた笑みを浮かべた。
「やめとくよ」
疲れきっている姫様と、さらに疲れている子供(笑)