1・危機に、落ち・2
げっそりしながら少年は相棒の腹によりかかる。小柄な子供のわりに乗っている馬は立派だ。
名馬だろう。護衛の騎士たちが乗る馬よりよっぽど美しい馬である。
「少年、名はなんと言う?私は姫様の護衛隊長を勤めるレイトという」
そういえば名を聞いていなかったなと、隊長・レイトが名乗り、少年の名を聞いた。
「おれはラディ。ラディ・スポット。こっちはストーム。おれの相棒だよ」
ぽんと馬の腹を叩いて言う。ストームと呼ばれた馬はヨロシクとでも言うようにぶるるると呟いた。
主人と違って馬は素直だとリラは思った。
「同行者はいないのか? 君一人か? 親は?」
幼い少年が一人で歩いているのか。いくら腕の立つ剣士とは言っても、どう見ても子供だ。
保護者はいないのかと騎士が訊くと、少年は頷いた。
「まぁ……一人旅の最中っていうか……や、ストームも一緒だから二人旅だ。うん」
屁理屈としか思えないようなことを言って、少年は会話を終わらせようとした。
どうやらあまり訊かれたくないことらしい。
何かまずいことでもあるのだろうか。どこかで犯罪でも起こして逃げているのかもしれない。やたらと世慣れしていて口達者のようだし、ありえないことではないだろう。
事情持ちのようなので、あまり深く訊かないほうがよさそうだと騎士たちは判断し、少年の素性を探るのはやめにした。落ち着いてからゆっくりと考えればいい。
どうせ子供だ。たいしたことはしていないだろうと。
あれほどの剣技を見ていても、いかにも子供子供した外見なので、ついそう見てしまう。
「姫様、しばらくのご辛抱を」
侍女が言い、木陰に場所を作ってリラを座らせた。
馬車は切り殺された教育係の血で血まみれなのである。汚れたままの馬車に姫を乗せるわけにはいかないし、死体を積んで歩くなど冗談でもできない。
片づけを始める者をなんとなしに眺めてもつまらないので、リラは先ほど現れ、自分を救ったおチビさんを眺めた。
薄い栗色の髪に、珍しい金色の目をしている。緑色のバンダナを巻いているのは一応おしゃれのつもりなのだろうか。その他はいたって普通の旅装束だった。背中に背負っている剣だけが年不相応である。大人が使うような長剣だ。
この少年の背丈では使いづらいだろうに、彼は軽々とその剣を使いこなしていた。なまじの戦士より遥かに強いかもしれない。
少なくとも、この場にいる騎士より強いのは確かだ。
「ねえセリア」
「はい、姫様」
傍らで傷の手当をしていたセリアに呼びかける。
「あの子、どこか高名な剣士の弟子か何かかしら?」
「そうかもしれませんが……ラディと言う名もスポットという家名も私は聞いたことがございません」
リラより物を知っている彼女が知らないと言う。ほかの者たちも同様だ。
「君は誰か高名な人の息子かい? すごく才能があるようだが」
騎士の一人がそう訊くと、ラディは首を振った。
「いや、違う」
どこかの弟子でもないと言う。その割には剣も馬も立派なものだ。ストームはかなりの名馬だし、ラディの背負っている剣は上質のものらしい。
リラにはサッパリよしあしは分からない。見た限りでは柄の部分は緑色の貴石でできているようにも見えた。剣と柄をつなぐ部分はまるで花のような貴石の配置になっていて、見ていて綺麗ではある。
「業物だな。どこで買ったんだ?」
振るっていたところを間近で見ていた騎士が、ラディに冗談交じりに話しかけた。殺伐とした雰囲気を和らげようとしている。
「もらいもんだよ」
彼はあっさりそう答える。
「そうか、そうだな。こんな良い剣そこらには売ってないよな。竜聖母にでも与えられたかい坊主?」
まるで伝承の中にあるような『竜聖母』が勇者に与えるといわれている名剣、伝説の中の産物のような――ラディが持っている剣はそれほどの業物であった。
「そう、そのとおりさ。だっておれ竜騎士だから」
ラディは笑ってそう返す。
変な子。リラはそう思った。騎士や侍女たちは笑っている。ラディのいったことを冗談と取ったのだ。少年も笑っていたし、誰も本気にはしなかった。当然である。こんな子供がこの国を守護する神『竜聖母』が選ぶ『竜騎士』のわけがない。聞くとラディは見たままの十歳であるという。
たった十歳の子供が伝説の中の存在である『竜騎士』になれるわけがないのだ。
それに少年は竜など連れていない。いるのは一頭の馬だけだ。どう考えても単なる冗談である。
相手にするのも馬鹿らしくなり、リラはラディから興味を外した。
憂鬱であった。命は狙われるし、命の恩人は腕は立つが子供で、その上礼儀知らず。
おまけにそんな子供が同行することになった。
リラの一言さえなければこの場でお別れだっただろうことは、すでに忘れてしまっている。
城についたらいくばくかの礼金を与えて、さっさと追い払ってしまおう。
リラはそのとき本気でそう考えていた。刺客から救ってもらえたのはありがたいが、お礼の気持ちにも限度がある。そう思ってぐるぐるに縛られている刺客のほうへと目をやる。
大体コイツが襲ってくるのが悪いのだ。恨みがましく睨んでいると、
「ううぅ」
うめき声が上がり、刺客がわずかに身動きした。意識が戻ったらしい。
「! 猿ぐつわしてないのか!?」
ラディが声を上げる。刺客を縛り上げたのは騎士の一人だ。両手足を縛っただけで猿ぐつわなどしていない。どうせ逃げられないとたかをくくっていたのだ。
「まて!」
ラディは叫んで刺客に駆け寄った。少年の手が届く前に刺客の体から力が抜ける。
自害した。口の奥にでも毒を仕込んであったのだろう。物語の中でもよくある展開である。
よくある展開なのに、騎士は警戒していなかった。
リラの憂鬱はその度合いを増した。
馬車が再び走り出したのはかなり時間が経過してからだった。初めの予定では昼には婚約者がいる城に着くはずだったのだが、この分だとどうやら夕刻になりそうだ。
果物や菓子があるためにリラは空腹ではないが、不機嫌は回復しない。
三拍子男のところに行くのはいやだが、いつまでも馬車に乗るのもいや。
侍女たちが辛気臭い顔で黙っているのも気に障る。
さらに彼女を不機嫌にしているのは、馬車の横をついてくるラディの存在だった。
この子供がまた、いかにも不機嫌ってな顔をしているのだ。リラの護衛としてついてくる栄誉を全く理解していない。
わがままもいいところなリラの考え方だが、本人はわがままだと思っていなかった。
贅沢の中で甘やかされて育てられたのだ。これでおとなしく、しとやかだったら一種の奇跡だろう。
気が強くてわがままで世間知らずなお姫様は、当然のように状況の改善を要求した。
「休みたいわ。馬車を止めなさい」
それを聞いて、困惑したのは護衛の騎士たちである。
ラディもあきれて姫を見た。能天気にもほどがある。刺客に襲われてまだいくらも経っていない。襲われたことを忘れたかのように休憩したいなどと、この姫様は何を考えているのか。
今は一刻も早く安全な場所へ行くことが先なのにこの姫ときたら……また襲われるという可能性を少しも考えていないのだろう。
ある意味怖いもの知らずだ。
ラディの頭の中をさまざまな単語が回っていく。
わがまま。自分勝手。少し危機感というものを持て。この世間知らず。大馬鹿。
……言いたいけど言えない。口にすればどうなるか、考えるのも面倒だ。
城とやらに着いて報告というものに付き合ったら、さっさと去ろう。今更ながらそう決めるラディ・スポット十歳である。
貴族や王族と関わるのは、彼の本意ではないのだ。
早く城に着いたほうがよいのではなどと、姫を説得しようとする騎士レイトやセリアに、大変だなと同情すら覚える。
十歳にしてはやたらと世慣れている少年は無駄だろうなとも感じていた。
このわがまま姫の要求に、御付きの者が逆らえるわけがない。
結局、ひと時の休息となった。
触らぬ神にたたりなし。ラディはなるべく姫から離れて木陰に座った。
ストームが甘えて顔を摺り寄せてくるのを、よしよしと撫でてやる。早くこの一行とは別れたい。心底からそう願う。気ままに相棒と旅をしていたのに、とんだ災難だ。
しばらくそうしてストームとくつろいでいると、退屈した『災難の発端』がラディのそばによってきた。
リラである。
露骨にラディは顔にこっち来んなと書いた――思い切り顔をしかめたのだ。
リラは器用に片眉を跳ね上げたが、とりあえずは何も言わなかった。
言葉でなく、行動で示す。
ぺちん。気の抜けた音がした。姫が無礼者を引っ叩いたのだ。
「…………」
黙ってラディは立ち上がった。立ってもリラの肩の辺りまでしかない少年は、そのまま背中の剣に手をやる。
「な、なによ、そっちが悪いのよ」
怒ったのかと少しあわてるリラを無視して、ラディは周囲に視線を走らせた。
「はなれるなよ」
小声でリラにそう指図する。
「え」
何を言っているのかつかめず、リラは不審な表情になったが、それも一瞬だった。
ラディが剣を抜く。どう見ても姫に対して剣を抜いたようにしか見えず、騎士たちがざわめきたった。
「姫に剣を! 無礼者が!」
などと叫びつつ少年に殺到しかけたとき、風を切る音がした。
思わぬ強い力でリラは引っ張られ、気がついたときには小さな背中にかばわれている。
目を瞬かせて、さらに気がついた。足元に矢が落ちている。
目の前の背中を見た。少年はすでに臨戦態勢を取っている。そこまで見てから、ようやく何者かがどこかに潜んでいて、矢を放ってきたのだと分かった。
それをラディが切り落としたらしい。
ほかの誰も気がついていなかったが、どこかに刺客が潜んでいるのだ。その証拠にあちこちから矢が飛んできた。
そこに至って初めて騎士たちも気がつき、おのおの武器を抜く。彼らが護るべき姫に射掛けられた矢は、全てラディが切り落とした。
その間、リラは呆然としていただけである。動けもしなかった。
「囲まれてるぞ、固まるな! 的になるだけだ! 散れ!」
ラディが声を張り上げた。飛来する矢をまた切り落とす。
リラには飛んでくるのさえ見えないものが、少年には余裕で見えているらしく簡単に切り落としていく。人がやっているのを見ていると自分にもできるのではないかと思ってしまうが、他を見ると簡単なことではないのはすぐに分かった。
侍女が倒れている。八人付いてきた侍女が今は三人に減っていた。
騎士など半数に減っている。姫を護るべき騎士のくせに、刺客の気配にも気付かないのかとラディは内心で舌打ちした。
あまりにも弱すぎる。
そのうち矢では埒が明かないと見たのか、茂みを突っ切って刺客が姿を現した。まっすぐに姫に向かうその男を、ラディはあっさりと斬って捨てた。彼を単なる子供と侮ったのが致命的なミスである。
かと思えばほかの刺客も姿を現し、襲い掛かってきた。数はそれほど多くないが、問題はまだ矢を放って来るものがいることだろう。
その矢が、馬車を引いていた馬の背に突き立った。深くはない角度だが、驚いた馬が悲鳴のような鳴き声を上げて暴れだした。
馬は繊細な生き物である。一頭がパニックに陥ると、それはほかの馬にも伝染してしまう。
走り出した馬に騎士が一人はねられ、侍女が一人踏み潰された。
「くそっ、馬が!!」
刺客だけでなく、馬に手勢を減らされてしまい、セリアが呻く。彼女も浅くない怪我を負っておりまともに戦えない。リラを護るどころか自分の身を護るのが精一杯である。
「ストーム!」
ほかの馬と違って、不思議とストームは落ち着いていた。ラディが呼び、茂みをちらりと視線で指すと、迷わずそちらに突っ込んでいく。
そこには弓を持った刺客の一人が隠れていた。突進してくるストームをあわてて避けて茂みから出てしまう。そこにラディが剣を投げつけた。
最初の矢でやられた騎士の剣である。
体勢を崩したところに剣を投げつけられ、よけようもなくその刺客は絶命した。
その頃にはほかの刺客も騎士たちによって片付けられている。刺客の数があまり多くなかったのは幸いだった。もし最初と同じくらいの手勢で襲われていたら。
そう思うとぞっとする。
護衛隊長のレイトも先の矢で息絶えてしまっており、出発したときより人数は半数以下に減っていた。運悪く、首に矢が直撃したのである。
馬にはねられた騎士も、息がなかった。
重く息をついて、ラディは剣を振り、血を落として鞘に収めた。戻ってきたストームにありがとう、助かったと礼を言って撫でてやっている。
まだまだ危険は去っていないようです。