1・危機に、落ち・1
たったの一刀で教育係の命を奪った男は、馬車のドアを引きあけ、素早く侵入してきた。おびえる侍女を殴りつけ、リラに迫る。
「姫様に近寄るな無礼者!」
一緒に乗っていた警護の女性、セリアが剣を引き抜こうとするが、もともと武器を手にしている者と今武器を抜いた者が争うには不利すぎる。セリアはあっさりと武器を持つ手を斬られ、戦闘能力を奪われた。刺客はそれ以上セリアに構わない。
リラの胸元に鈍く光る刃を押し当ててきた。
「竜聖母の御印はどこだ」
低くそう訊いてきた。その問いはリラにやはりという確信を与えた。
『御印』はファージの王となる者が持つ、青い雫形の貴石がはまった指輪だ。
リラはそれを父王から預かる身なのである。リラの夫に与える、いわば王の証。次代の王を選ぶ権利があるリラが身から離さず持ち歩くべきものだ。
もっとも、実際には彼女に選ぶ権利などなく、ただ持ち歩いていていずれ結婚式などの儀式のときに相手――三拍子男に渡すことになる。
刺客はそれを欲している。ということはこの刺客の雇い主は王位を狙うもの。
王位継承権を持つ者か、それとも更なる権力を求めるがゆえに、権威を求める貴族か。
心当たりはそれこそ山となる。
「……誰に雇われたの」
刃を押し当てられ、恐怖を感じつつもそれを押し返し、リラは気丈なところを見せた。刺客は応えず、刃をリラの胸元から首筋へ移動させた。
言わねば殺してから探すという意思表示だろうか。冷たい殺意を悟る。
侍女たちが色濃いおびえの声を上げた。リラが殺されれば、彼女たちも殺されるだろう。刺客を目撃しているのだから、口封じされるのは間違いない。
それが分かってるのなら、もう少し抵抗したらどうなのとリラは青ざめながらも思う。
リラ自身は怯えもあって身動きが取れない。震えが止まらず、動けない。
誰かが助けに来てくれないかと思うが馬車の外では剣の打ち合う音や、うめき声がする。中にいた護衛のセリアは負傷し役に立たない。外の護衛は外の刺客を相手にするので手一杯らしい。ひょっとすると姫が窮地に立たされているのにも気がついていないかもしれない。
役立たずばっかりだわ! 内心恐怖に叫んだ。誰か一人くらいこっちを見に来る人はいないの!?
――リラは今まさに彼女を救おうとしている存在を知らない。
彼女に分かるのは、目の前の刺客は『御印』を渡さないと彼女を殺すだろうということだけだ。
『御印』は金の鎖を通して彼女の首に下がっている。ドレスと羽織っているマントで刺客からは見えていないが――彼女が身に着けていることくらい知っているだろう。
渡してしまえば助かるだろうか。リラはすぐに答えを出した。
否。渡せばその場で首を斬られるだろう。この刺客に彼女を生かしておく気がない。向けられる殺気はそう思わせるほど強い。
武術の心得のないリラにはそうとしか思えない。『御印』を渡そうが拒否しようがいまや自分の命は風前の灯に思えた。
……せめて噛み付いてやろうかしら。リラがやけくそにそう考えたとき、馬車の外で変化が起きていた。
まず最初に騎士たちの驚きの声がし、ついで刺客らしい男たちの嘲るような笑い声が聞こえ、すぐにそれは悲鳴に変わった。
目の前の刺客に動揺が走ったのをリラは見た。その隙をセリアが見逃すはずがない。落とした短剣を刺客の足に突き刺そうとした。
「!」
刺客は間一髪でそれを避けるが、リラから離れてしまう。そこにほかの侍女が割って入った。王女にはもう手が届かない。
刺客は無言で馬車から飛び降りた。目的が果たせないのならすみやかに逃げるつもりなのだろう。
しかし、そこへ、
「逃がすかっ!」
鋭い声が飛び、同時に斬光が走った。見事な斬撃は刺客の右腕に食い込み、それを切り落とす。
刺客はとっさに飛びのけ、恐るべき斬撃を放った相手と向き合う格好になった。
己の右腕を切り落とした相手を見て、刺客は驚愕した。
リラも自分を救ってくれた者をみて、少なからず驚いた。
そこにいたのはまだ年端もいかぬ少年だったのだ。
リラよりもかなり下だろう。
十歳を越えたか越えないかくらいかと思われる。
あと七、八年もすればと期待させるような容姿だ。
将来は有望だがあくまでも将来の話で、現在はどう見てもお子様である。
リラがまさかと思ったように、刺客もまさかと思っただろう。
こんな子供があの一撃を放ったとはにわかには信じがたい。
だが、事実は揺らがない。少年は立て続けに刺客に斬りかかってきた。右腕を失った刺客に少年の疾風のような剣技に抗う術はすでになく、二、三撃左腕で耐えられたのは奇跡だった。 次の一撃で自分は殺されると刺客は思い、観念するしかない。見ていた誰もが次で決まると思っていた。少年の剣は間違いなく刺客の命を奪い去るだろう。
しかし、少年はその場の誰よりもずっと冷静だったのだ。
少年は最後の一撃を繰り出す。刺客の頭を狙ったそれが首を飛ばすだろうと誰もが思った。
よける間もない。刺客の頭に直撃する。
首は飛ばなかった。血も飛ばず、刺客は地面に倒れただけである。
気がつくと、馬車の周りには倒れた人間がたくさんいた。大半が知らない男だ。
「ええと……?」
小首をかしげるリラに構わず、少年はしゃがみこんで刺客の服を破り、右腕の止血にとりかかった。どうやら刺客は死を免れたようだ。少年の手当ての手際は良く、血はすぐに止まる。
「……殺せなかったのか?」
騎士の一人が少年の傍らに立ち、刺客を見下ろす。
……完全に気を失っている。
「まさか。殺『さ』なかったんだ。死なせたら雇ったのが誰なのか分からない」
少年はこともなげにそう言った。最後の一撃、彼は剣の平で刺客の頭を叩いたのだ。のびている刺客はただの脳震盪で気絶しているだけ。切り落とされた右腕を放っておけば死んだだろうが、それはちゃんと手当てをした。
「あとは尋問するなり何なりお好きなように」
そう言って少年は立ち上がった。一度振りぬいて血を落としてから剣を背中の鞘に戻し、ストームと木陰に呼びかけると一頭の馬が姿を現す。
少年の馬らしい。栗毛の綺麗な馬だった。
そのまま少年は馬とともに去ろうとする。名前も名乗らず、こちらの事情も聞かずに。
あっけにとられたまま見送りかけ、我に返ってあわてて騎士の一人、護衛隊長が少年に声をかける。
「ま、待ってくれ」
「なに。他に何か用あるのか?」
少年はちょっと眉をしかめて振り返った。なんだか嫌そうだ。リラのほうなど見向きもしない。王女とか騎士とかそういうことを気にもしていないような様子だ。
「礼を言わせてくれ、助かった。それと、もし急ぎでなければ同行を願えないだろうか。いろいろ報告せねばならないし、いまので大分負傷者も出た」
子供に向かって何を言っているのだろうと思うが、実際この少年の腕前を見た後では文句もない。この子供は強い。常識を覆すほどに。
馬車を襲った連中に手こずっていた騎士たち。野盗だとばかり思っていたのだが、中に暗殺者が混じっていて野盗をおとりに狡猾に動かれ、気がついたときにはかなりの怪我人が出た。動揺しているうちにこの少年が現れて、ほとんどの刺客を一人で斬り捨ててしまった。この子供がいなかったら最悪全滅していたかもしれない。
姫の護衛のセリアも怪我を負っている。
お忍びで護衛の数が少なかったのもまずかった。
これでは万が一、魔物でも出たときに対抗できない。姫を護ることすら出来ない恐れがある。ちゃんと礼金も用意しよう、と。
隊長がそう説明すると、少年はもっと嫌そうな顔になった。
あからさまに迷惑だと眉間に刻まれたたてジワが述べている。
「何もそこまで嫌な顔しなくてもいいじゃない。光栄でしょう。城にいけるのよ?名誉だと思いなさい」
庶民が城に入ることなど滅多に許されることではないのだ。少年はどうみても子供だし、城を見たら無邪気に喜ぶだろうと、それを想像してリラは親切のつもりでそう言ったのだが……予想と違って少年はますます嫌そうな顔をした。
かちんと来たのはリラである。王族で、なおかつ近隣国一の美女と謳われる彼女をこの子供は思いっきり嫌そうな顔で見たのだ。プライドを踏みつけられたと感じて無理はない。
「何? 侮辱する気?」
じろりと睨んでやる。睨むといっても美しい顔で睨まれて、怖いと感じるものは少ないだろう。少年もそうだったらしく、怯えるというよりは困惑、困惑というよりは迷惑に感情は移行したようだ。
「……何も言ってないぞ、おれ」
眉をしかめて、あきれ半分にそういってくる。
子供ゆえ、恐れを知らないのか、敬意を知らないのか。堂にいった態度ともいえるが、騎士や侍女たちには反感を買った。
「姫様のご好意に、なんと無礼な!」
「礼儀を知らん小僧が!」
姫や自分たちを救った者だという意識はあっという間に吹き飛んだらしい。エリアなど少年に向かって剣を抜きそうな勢いだ。
このままだと、無礼を働いた狼藉者として逆に斬られかねない。少年はそれを察した。
だからと言ってこのまま相棒の背に乗ってとんずらこいても、待っているのはお尋ね者の賞金首。
一度目をつけられたら、どこまで逃げても無礼者扱いだろう。
畜生と思ったのか、少年はやけくそ気味に承諾した。
「わかりましたっ!! お供すればよろしいんですねっ!!」
「始めからそう言えばいいのよ」
つんと顔を逸らしてリラは言ってやった。正直にいい気味だと思っている。
少年はリラを睨んでやりたかった。
子憎たらしいお姫様は興味が失せたのか、こっちを見ようともしない。見ていたら見ていたで、またぎゃあぎゃあうるさいのだろう。
彼はあきらめた。姫を睨みつけたらまた無礼がどうこう言われるのは明らかである。
付き合わないのが一番だ。本当なら関わらないのが一番だろうが、やむをえない。
「これだから王族や貴族は嫌いなんだ……」
こっそり呟いた声を聞いたのは愛馬のストームだけだった。
最初の印象、最悪ですね(笑)