エピローグ・これからを、ずっと
――宴もたけなわになり、酔っ払いが何をしているのか分からなくなってきたのを見計らってラディはストームを頭に乗せたまま、広間を抜け出した。
中庭に面した廊下を歩きながら呟く。
「……疲れた……」
ああいう場所は苦手なのだ。宴会や騒ぐのが嫌いなのではない。ラディ様、竜騎士様と言われ、英雄扱いされ、騒がれるのが嫌なのだ。素性がばれたらそうなることが目に見えていたので、なんとか隠そうとしていたのである。
「……逃げるか? ストーム」
半ば以上を本気で頭上のストームに言う。忠義な竜は主の気性もよく分かっているため、反対はしない。くるる、と同意するように鳴いた。ストームもラディと同じくまだ幼竜のため、人語を話せないが、主には通じる。
「やっぱ逃げるか、それしかないな」
このままここに居続ければ、王族お抱えにと願われるのは目に見えている。一番嫌な事態だ。
自由気ままに旅をしていた。誰にも指示されず、どこにも留まらず、何にも縛られない。
そんな風にずっと過ごしていきたいと、思っている。世界に縛られない人生を。
――ふと、リラの顔が浮かんだ。それも、よりによって泣きそうな顔。
「う」
ファージ国の美しい姫君。気が強くてわがままで、世間知らずで、でも優しいところもあって涙もろいところもあって、心配性で。
……昼間、犠牲者を弔ったとき、姫も出席していた。埋葬される人々に泣きながら謝っていた。彼女も被害者なのに。
いつからか彼女も、当たり前に護られるのではなく、誰かを護れるのではないかと思って行動していたようだ。
今回の一件で少しだけ、変わったのだろう。
ただ護られるだけじゃなくて、何かを護れるように。
「ラディ」
「うわぁっ!!」
不意に後ろから声をかけられ、ラディは思わず声を上げた。
「ど、どしたの?」
声をかけたリラのほうも驚いた。刺客の気配を敏感に察知するラディが気付かなかったからだ。
「す、すげーおどろいた」
「気付かなかったの?」
「いや、ちょっと考えごとしてて……って何でこんなとこにいるんだヒメサマ」
「こっちのセリフよ。宴の主役が宴を抜け出してどうするの?」
首をかしげてそういってくる姫君に、返事に詰まる少年竜騎士。
その宴のあとが嫌でこれから脱走するなんて言えない。
「ちょっと風にでも当たろうかと思って」
ごまかしに走る。この場さえしのげばと思っていたのだが、
「ふーん……逃げようと思ったわけじゃないのね?」
鋭い指摘にぎくりとする。内心なんで分かったんだと動揺しながら、なんとか顔には出さないようにしてしらばくれる。
「何だよそれ。おれがどーして逃げるんだ?」
「だってラディ、王族とか嫌いなんでしょ」
う。かなり鋭い返答に、心で呻く。
「最初助けてくれたとき、声かけたら凄く! 嫌そうな顔してたわ」
うう。さらに呻く。確かに嫌だったのだから仕方がない。『竜聖母』の加護を受けるファージ国王家の者で、さらに女でなかったら放っておいたかもしれないくらい、王族貴族に関わるのはイヤだった。
「いやちょっと前にいろいろあって……」
過去に何かあったらしい。
「……何があったの?」
「聞くな。言いたくないし思い出したくもないんだ」
よほどのことがあったらしい。それもそれで気にはなったが、リラにはもっと気になることがある。
「……そんなに、嫌なの? 王族とか……」
かすかな不安を滲ませている声にラディは気がついているのかどうか。
どうあがいてもリラは王族で姫君だ。
王族が嫌いなら、ラディには好いてもらえないかもという不安がある。
「うー……まぁ嫌いって言えば嫌いだけどな……」
ラディの返答も珍しく歯切れが悪い。
「そう……」
どう返していいか分からず、とりあえずそう返して……沈黙。会話が途切れる。居心地の悪い空気が流れ、しばらく。
「あっ!」
ラディが声をあげ、ズボンのポケットに手を入れた。
取り出したのは『御印』。あの後いろいろとゴタゴタしていたので、返すのを忘れていた。
「忘れてた、返すよ」
これを持つべき者はリラである。婚約者の王子が亡くなったため、また次の相手が見つかるまで、これは彼女が大事に持つべき品物だ。
手渡され、リラはそのままラディに渡したくなった。持っていて欲しい。そう思ったが、さっきのラディの言葉を思い出し、受け取った。
王族は嫌いって……言っていたものね。寂しくそう思いながら、話題を変えようとする。
「ねぇ、訊いていい?」
「ん? なにを」
「どうして竜聖母をかあさんって呼んでいたの?」
少年は『竜聖母』をまるで母親のように呼んでいた。『竜聖母』も少年をわが子のように言っていた。それは何故なのか?
「おれのかあさんだからだよ」
返事は明快。どういう意味か分からずに、リラが眉を寄せると、彼は苦笑した。
「おれ、奈落に捨てられててさ、竜聖母に育てられたから」
「!?」
リラは胸を突かれたような感覚に陥った。〈奈落〉とは何もない荒野で、人の住めぬ場所でもある。真昼から魔物が闊歩するような場所だ。
そんなところに捨てたということはラディの両親(あるいは片親)は初めから彼を死なせるつもりで捨てたのだ。
誰かに拾われるようにとの希望すらない場所、それが〈奈落〉。人の想像すら受け付けない地獄、死と恐怖の広がる荒野だ。
そんなところに彼を捨てた。
リラの瞳からポロポロと涙が落ちる。悔しかった。
「!? ど、どーしたんだよ!?」
ぎょっとしたのはラディのほうだ。
「何で泣く!?」
「だって……ひどいわ! 奈落に捨てるなんて……ひどいじゃない!!」
「そんなことで泣くなよ……おどろいただろ」
「そんなことなんかじゃないわ!」
本気でリラは怒っている。悲しくて、何より悔しい。
ラディを〈奈落〉なんかに捨てるなんて!!
「祝福の竜騎士にまでなったラディを、奈落に捨てるなんて! ひどい!」
「違う、逆だって」
ラディは笑っている。
「おれは奈落に捨てられたから、竜騎士になれたんだ。奈落に捨てられなかったら、竜聖母には会えなかった」
「? どうしてよ」
「かあさんは奈落にいるんだ。そこで吹き出る瘴気から世界を護ってる」
だから『竜聖母』は〈奈落〉から動けない。だから〈奈落〉に捨てられたラディは『竜聖母』に拾われた。
大切に大事に育ててもらって、『祝福』を受けられるくらいに強くなれた。
〈奈落〉で死ぬこともなく、外に出て、今自由に生きている。
「だから別に気にしてない。両親を探す気もないし。かあさんは探してみたらって言ってくれてるけど、おれはあんまり気にしてないんだよなぁ。おれのかあさんはもういるから。それに、かあさんを〈奈落〉から開放してあげたいしさ」
ラディに影はない。明るく彼は言う。
「すげーだろ? 竜聖母がかあさんなんて、世界におれ一人だけだぜ?」
とても明るくそういってくれたから、リラも笑えた。
「そうね、そうだわ、その通りよ」
「だろー?」
そうして二人は笑いあった。月の照らす廊下を、二人きりで。
何も考えずに、ただこの時間が続けばいいと。
「――姫様ー! ラディ様ー! 何処においでですかー?」
ひとときが途切れてしまったのは、姫君と竜騎士を呼ぶセリアの声が聞こえてきてから。
どうやら姿をくらました宴の主役たちを探しに来たらしい。
そうそう脱走しっぱなしというわけにはいかないようだ。
くるるる。頭の上でストームが鳴いた。
「……しょーがねーな……戻るか……」
どうも今夜の脱走は難しいようだ。
リラにも見つかったし、機会を待とうと考えを切り替えた。
ラディの心の根本にある想いがどうなのかは、まだ分からない。
「行こーぜヒメサマ」
呼びかけると、姫君はなにやら眉をしかめている。何か機嫌を損ねるようなことを言っただろうかときょとんとするラディに、
「リラ」
「へ?」
「ヒメサマじゃないわ、私にはリラって言う名前があるの」
そう言って背筋を伸ばす。強気を装っているが、表情には緊張があった。
ようは、名前で呼べ、と。
「……そんなわけにいかねーだろ。オヒメサマなんだから」
「じゃ、私これからラディのこと竜騎士様って呼ぶ」
「うげ」
しんそこ嫌そうにラディは顔をゆがめる。やめてくれと言いたげだ。
リラはやめなかった。
「それともラディ様とか勇者様のほうがいい?」
「やめろってたのむから」
「だってそう呼ばれたっておかしくないのよ。ラディが私のことヒメサマって呼ぶほうが変だもの。祝福をうけた竜騎士で、そのうえ竜聖母の子供なんだから」
反論ができないほどの正論だ。リラの父王すら頭を下げるような相手であるラディが、リラをヒメサマと呼ぶほうがおかしい。
にっこりわらってリラは言う。
「じゃ、行きましょ、ラディ様」
「……やめてくれ……」
何度も見た彼のゲンナリした表情。リラは負けなかった。
「じゃ、リラって呼んでくれる?」
「……うー……」
ここで負けたら女がすたる。
「勇者様」
「……」
「竜騎士様」
がくりとラディは頭を垂れた。乗っていたストームが落ちそうになり、あわてて羽ばたく。
あと一押し。
「ラディ様♪」
「……わかった! リラだなリラ! だからそー呼ぶのはやめてくれ!!」
ラディの返答はやけくそである。完璧に、彼の負けだ。
「はーい! ラディ、行こ♪」
いきなり上機嫌になったリラは踊りだしそうな足取りで駆け出し――すぐ止まる。
ちょっとモジモジして、振り返った。一転して、不安げな表情だ。
「王族……もっと嫌いになっちゃった……?」
わがままを言ったと感じているらしい。
ラディは数回瞬いた。それから、リラから視線を逸らす。
可愛い、とか思ってしまったのがばれないように取り繕って返答する。
「……もともと王族は嫌いだけど……ま、ヒメサマはそーでもない……」
照れくさそうに言う彼に、リラは大輪の花を思わせるくらいに綺麗に嬉しそうに笑顔を浮かべた。
それから、気付いて笑顔のまま指摘する。
「私はリラよ、ラディ様っ」
「だーーーっ、やめろそれはっ」
叫ぶラディに、リラはいたずらっぽく舌を出す。嫌われてはいないようだから、もう少しだけわがままを言いたい。
「ちゃんとリラって呼んでくれないと、ずっと様付けするからねっ」
なによりも、離れていって欲しくない。
「勝手に城から出て行っても、ラディ様って書いた人相書きばらまくからねっ」
行かないで、そばにいて、なんて素直に口には出せないから。
「……なんちゅーことを言うんだ……」
思わず想像してしまい、ぞっとするラディである。怖すぎる想像だ。
賞金首と変わらないではないか。
「勝手に出て行っちゃダメよ。本当にやるからね、私」
彼女の目に本気を感じ取り、ラディは呻くしかない。
「……わかった、わかりましたよ。身にしみて分かった」
本当にやりかねない姫だということが。
「しょーがねーなぁ、もう」
呟いてすたすたと歩き出す。脱走はどうやら不可能らしい。根性悪の姫に捕まったのが運のツキだ。
でも、それほど不快ではないのは何故だろう?
……ま、いいか。ラディは考えるのは後にまわすことにした。とりあえずは、このままでいてもいい。
『とりあえず』は、この気の強く、わがままで世間知らずな姫のところにいてもいい。
退屈はしないですみそーだな。しみじみそう思った。
不運とか不幸とかハズレとかいう単語がちらっとよぎったが忘却する。
――リラが、少年竜騎士がついてきていないことに気がついて振り返った。
また不安げな顔をしている。わがままを言い過ぎたかと思っているのだろう。
ラディは軽く笑った。
可愛いところもあるんだよな。ちらりと思う。
「ほら、なにやってんだよ、行くぞ、リラ」
呼ぶと、心の底から嬉しそうに笑ってわがまま姫は頷き、小さな竜騎士に追いついて、共に歩み始めた。
竜の大陸、竜の国。
『竜聖母』の加護を受けし所。
ファージと呼ばれる国。
その国で、伝承歌が生まれるのは遥か後。
リラ・ファージ・フォルシアと、ラディ・スポット。
わがままで美しい姫と、勇ましい小さな竜騎士の物語を、後の人々はこう呼んだ。
ドラゴンナイト・サーガ、と。
ちょっとラブから、だいぶんラブ? これにてドラゴンナイト・サーガは完結です。お付き合いありがとうございました。