4・共に、戦い・4
タタラは勝ったと思った。この炎で、竜騎士を名乗る小僧は炭になる。
「……残念」
火柱をボッと突っ切って、ラディは笑みを浮かべていた。髪の毛一本も焦げていない。
「!?」
硬直するタタラに、少年は歩み寄る。
「魔道使いのくせに学習が足らんな、今のおれには魔道なんて通じねーんだよ」
「た、たとえ竜騎士だとしても、魔道が効かないなど……そんなわけが!」
あるはずがない! タタラの目の前に、老人にとって得体の知れない存在となったラディが立つ。
「ふつーの竜騎士なら効いただろうな。でも、おれは別なんでね」
その言葉が指す意味。思い当たってタタラは愕然とする。それが事実ならば、自分の目の前に立つこの少年は、この少年を敵に回した自分たちは!
「ま、まさか!」
「そう、そのまさかだよ。残念だったな。ふつーの竜騎士が相手だったら勝ててたのにな――」
ラディは剣を振り上げた。動揺している老人に向けて、そのまま振り下ろし、剣の平で脳天を殴る。
ごいん。いい音がした。
ばたりと倒れた老人を見下ろして、次にグローネスを見て、ラディは意地悪く笑ってみせる。
「手、ついてみるか? 竜聖母に――お前の信じていない実在している神に」
剣を突きつけ、立ち上がるように指示する。
「外へ出ろ。竜聖母が待っている」
――礼拝堂の外には竜がいた。薄い緑色の竜が一頭。包囲していた兵たちを威嚇して近寄らせないようにしていたらしい。出てきたグローネスをものすごい勢いで威嚇する。 竜の咆哮にグローネスは腰を抜かした。
「あー、ストーム。もういいぞ、ごくろーさん」
ラディが寄っていくと、うって変わって機嫌よく、くるるるぅと鳴いた。甘えるように彼に鼻先を摺り寄せる。額にある紋様が、宝石のようで美しい。中心に翠玉色、その左右に羽のような形をした真珠色の紋様がある。よしよしと撫でてやるラディに、リラは呆然と問いかける。
彼はこの竜をストームと呼んだ。それは彼の愛馬の名ではなかったか?
「ら、ラディ? ……ストームって……」
「あぁ。ストームだよ。ほんとの姿はこっちなんだ」
相棒のストームは実は竜だったというわけだ。
「だって、だって馬だったんじゃないの!?」
「あー、知らないのか……伝承とかで聞いたことねぇ? 『祝福』を受けた竜騎士の竜は自由に姿を変えられるって」
こともなげにラディは爆弾発言を続ける。いともあっさりと言ってのけて、別にたいしたことではないと言いたげだ。
リラは固まった。
ラディが竜騎士だというだけでびっくりだったのに、よりによって『祝福』まで受けた竜騎士だとは。
伝承の中でも少ない。赤子に与える祝福とは度合いが違う。多大な力を与えられる『祝福』で、もちろん歪んだ人物に与えられるものではない。相応の強さだけでなく、ふさわしい心を持つ、勇者の中の勇者に与えられるものだ。
遥かな過去、魔王を滅ぼしたのもたしか『祝福』を受けた竜騎士だと伝承には伝わっている。
それならタタラの魔道が通用しないのも分かる。
『祝福』を受けた竜騎士――五千年に一人出るか出ないかといわれるような人物だ。
それが、目の前の少年。
ファージ国王でさえ、頭を下げねばならない人物だろう。
……叩いたこともあるし、お礼すら言ってないわ私……。
知らなかったとはいえ、ラディに対してものすごい態度を取っていたことにリラは冷や汗を感じる。
ラディ本人は一向に気にしていないのだが、聞いた周りの者も硬直していた。
「ストーム、ちっちゃくなっとけ。みんなびびってる」
周りの硬直をそう誤解して、竜騎士は愛竜にそう促す。主に一声答えてストームは変化を開始した。
と言ってもストームの周囲に風が渦を巻き、姿を隠してしまったため、なにが起こっているのかはわからない。
風が収まったあとには、三十センチほどに縮んだストームがちょこんと座っていた。可愛らしい大きさになった竜は、ぱたぱたと主の頭に乗っかる。
「さて、と」
ごそごそとポケットをあさってラディは『御印』を取り出した。
「あ!?」
グローネスとセリアが同時に声を上げる。リラが持っているとばかり思っていた国宝が、無造作に少年のズボンのポケットから出てきた。
「姫様……預けてらしたのですか」
「え、ええ……」
「姫様は彼が竜騎士だったということをご存知だったのですね」
それで信頼して預けたのだろう、その判断はご立派だとセリアは考えたが、リラは返答できない。そんな意図は全くなかったからだ。
「かあさん」
言葉も行動も周囲を爆破し続けている竜騎士は、何も気にせず『御印』に呼びかけた。
途端『御印』がやわらかい光を発する。その光は金色に輝き、一頭の巨大な竜の姿を宙に映し出した。
うっすら透ける金色の竜。ストームとは大きさが五倍は違った。
「ほれ、ネズミじじい、感想はどうかな? 竜聖母に会ったご感想を」
と少年竜騎士は金色の竜を振り仰ぐ。
「どどどっど、竜聖母!?」
あわてふためき、逃げようとするグローネスだが、完全に腰が抜けているため果たせない。
金色の竜、『竜聖母』は優しい青玉のような瞳でグローネスを見下ろしている。
とても悲しげに。哀れんでいるように。
――やがて、静かな『声』がした。
【……ラディ、貴方ならどうしますか】
小さな竜騎士はキッパリと言い切る。
「人が決めた法があるよ。それにしたがって裁くといい。おれや、かあさんが悩む問題じゃないと思う。裁く権利があるのは……まぁ、ヒメサマだろーな。一番迷惑しただろうし」
自身も重傷を負ったことなど忘れたかのようにケロリとしている。
【貴方のことに関してなら、私にも裁く権利はありますよ。可愛い貴方を害されそうになったのですからね】
「いや、あれはその……おれが油断しただけで……ごめんなさい」
しどろもどろに言ってラディは結局謝った。死に掛けたのは確かに悪いと思っている。とっとと実力を発揮していればあんな怪我を負うこともなかったのだ。素性が知れるのがイヤで判断を誤った。
【間に合ったのだから良しとしますが……あまり心配させないでね】
「……はい」
ぐったりとうなだれるラディに、『竜聖母』は笑ったようだ。『声』が優しく笑っている。
まるで親子みたい、とリラは感じた。とても仲の良い親子のようだ。
そういえばラディは『竜聖母』のことをかあさんと呼んでいた。気にはなったがどういう意味と問うヒマはなかった。
『竜聖母』がリラのほうを見たからだ。
『御印』の青い貴石のような瞳がリラを見ている。恐れは感じない。まず先に感じるのは、ぬくもりだ。とても優しい瞳の上、どこかで見たような紋様。
ストームと同じように『竜聖母』にも額に紋様があった。
それはファージの王家が使用している紋様と同じ配置だ。
中心に青玉、左右に翠玉、根元に紅玉、そしてそれらに沿うような真珠色の紋様。
神々しく、また、美しい。見とれてしまう。
ぼんやりと見とれていると、優しい『声』がした。
【……がんばりましたね、リラ姫。この子を……ラディを信じてくれてありがとう】
「え、あ! お、お礼を言われるようなことは何も……」
あわててそう答えて、どこかで聞いたような声だと今更に気がつく。
夢の中、自分を励まし続けてくれていたあの優しい声。
「も、もしかして……!」
『竜聖母』は頷いた。
【ええ、私です。夢を使って貴女に話しかけたのは】
リラは再び固まった。無礼なことを言わなかっただろうか?
……ど、どうしよう……。ラディのこともそうだが、彼女の常識を打ち壊すことだらけだ。穴があったら入りたい。
「なんだ、そんなことしてたのか。だったらおれにも話しかけてくれりゃ良かったのに」
と、ラディは珍しくすねているようである。そうしたら、素性を隠さず暴れたのに、などと呟いている。
【厄日でしたね、ラディ。でも良いこともあったでしょう?】
「……いーこと?」
『竜聖母』の言葉に心当たりはないらしく、ラディは本気で悩み始めた。
冷や汗を忘れてリラはむっとする。
……私と逢ったことはいいことじゃないわけ!?
彼女のほうはラディと出逢ったことを人生で最良だと思えるのに、彼のほうはそうではないのだろうか。むくれるリラを見て、ラディはぽんと手を叩く。
「あー……いやでも災厄のもとは……」
と、ぼそり。これにはリラもまともにかちぃんときた。
「なによ! 私と会ったことはいいことじゃないわけ!? そりゃ狙われたのは私で、巻き込んだのも私だけど!!」
それでも、いいことって言ってほしい。
「あ、治った治った」
ラディは言って笑う。
「え」
「いや、だってなんかおとなしいから。どーしたのかなと思って。気ぃ強いヒメサマらしくねーなぁってさ」
ラディなりに心配してわざと言っていたらしい。少年の心配りに気がついて、リラは少し嬉しくなった。
「なによそれ、私がおとなしいと変なわけ? 気の強い姫で悪かったわねーっだ!」
つい可愛くないことを言ってしまう。
「うん、確かに」
まじめな顔で頷かれてしまった。一気に不安になるリラである。
「……ほんとに?」
「いや、うそ」
少年は笑った。本気でないのは明らかだ。
「本気にするなよ、冗談だから。気の強いほうがおれは好きだな」
「なぁんだ、おどかさないでよ」
あっさりそう言われあっさりそう返し――あまりにもあっさりだったため、気がつくのが数瞬、遅れた。
……いま、『好き』って言わなかった? 言ったわよね? ……えっと、深い意味はないのよ、きっと! ……多分! ……ない……のかしら……?
問い返すこともできず、今度はリラが考え込んでしまう。他愛ない言葉で一喜一憂している姿はすっかり恋する乙女だ。
そんな彼女を見る『竜聖母』の視線は優しい。姫君の想いに気がついているのだろう。まるで母親のようなまなざしで、小さな竜騎士に恋する姫君を見守っている。
その間にラディはグローネスを縛り上げるように兵たちに指示していた。
『祝福』の竜騎士、その竜、挙句に『竜聖母』ときて、グローネスはすっかり逆らう気力を失くしたらしい。
ぐったりとうなだれて、もうされるがままだった。
「あとは、このじーちゃんだな」
気絶しているタタラを見下ろす。今は気絶しているし、目覚めてもラディがいるが、これだけ危険な思考の魔道使いを、何の手立てもないまま拘束しても意味がない。
魔道が使える以上、普通の拘束手段では意味がないのだ。
そこにラディの頭から離れてストームが荷袋をくわえてきた。
「お? 使ってもいいのか、かあさん?」
【魔道使いなら仕方ないでしょう】
『竜聖母』に許可をもらい、ラディは『何でも出てくる魔法の布袋』に手を突っ込んだ。
何が出てくるかと思ったら、丸い玉をつかみ出す。
「? なにをするのです?」
すっかり敬語になっているセリアに苦笑しながら、その玉をタタラにかざした。
透明だった玉が、見る間に灰色に変わる。
「じーちゃんの魔力をここに封じ込めるんだ。魔道の道具はあんまり使いたくないんだけどね……無駄遣いって怒られるから」
【それは売ったりしようとした場合の話ですよ】
「わかってるよ。おれはそんなことしません」
どうやら『魔法の布袋』は『竜聖母』がラディに与えたものらしく、ある程度の制限をかけているようだった。たしかに意思の弱い人間がこんなもの持っていたら、悪用のし放題だろう。
……玉がすっかり灰色に変わるのを確かめて、封印は完了したらしい。
「よし終わり! じーちゃん縛って良いよ」
これでタタラはただの老人だ。魔道さえ使わせなければ、非力な老人でしかない。
あんなに怖かった老人は、いまやただの人だ。
「これで……終わり?」
「うん、終わり」
リラに頷いて――竜騎士は頭上を見上げる。『竜聖母』は小さな騎士を見下ろしている。
「かあさん、ありがとう。これでしばらくこんなアホなこと考える奴はいなくなると思う」
実在する『竜聖母』とその竜騎士。存在が知れたのならファージで無体な真似をする輩は減るだろう。
それを狙ってラディは『竜聖母』を呼び、『竜聖母』もまた答えた。
神が何かする必要はない。
その存在を示すだけでいい。戦うのは竜騎士――ラディの役目だから。
『竜聖母』の姿が薄れていく。
【ご苦労様でした、ラディ。私の可愛い子。私はいつでもあなたの幸せを願っています】
「うん、わかってる。ありがとう、かあさん。また、いつか」
どこか寂しそうに、別れの言葉が交わされる。
そして、彼らの前から金色の竜――神の姿は消えた。
こうして、竜の国で起こった反乱は、若干十歳の幼い竜騎士によってたった一日で終結を迎えた。
その日の夜、あわてて駆けつけた現ファージ国王、ラズ・ファージ・フォレストは姫であり、愛娘であるリラ・ファージ・フォルシアを護った小さな竜騎士、ラディ・スポットに厚く感謝し、盛大な宴を開いた――。
ちょっとらぶ。次回完結です。