4・共に、戦い・3
「な、何故生きている!? 化け物か貴様!!」
「しつれーな、誰が化け物だネズミじじい。てめーのほうがよっぽど化け物みてーな顔してるくせに」
けろりとしてラディはそう返した。明るい物言いに少し笑いかけ、リラはあわてた。
ラディが負った怪我のことを思い出したのだ。
「ら、ラディ! ケガ……ケガは!?」
「治った」
いつもながらの明快な返事である。
「な、治ったって……」
彼が刺されるところはリラも見ている。死に至るような重症だったと感じた。生きてピンピンしているのは嬉しいが、半日で治る傷でもなかったように思う。
それとも意外と浅かったのかしら? と首をかしげる。
グローネスと違ってリラは剣など扱ったことがないので、負傷の具合もよく分からないのだ。
治ったっていうなら治ったのよね、良かった……。素直に納得し、安心した。何者であったって構わない。
ラディがいてくれればいい。『好き』と自覚した今は、信じるだけだ。
ラディを、彼の勝利を。
小さな剣士は美しい姫を背にかばい、剣を抜いた。不敵に笑って宣言する。
「さぁ、反乱はもう終わりだ。これ以上好き勝手はさせてやらん。竜聖母にしかられるぜネズミじじい。あきらめろ。お前を待ってんのはオヒメサマとの新婚生活じゃなくて牢獄だ」
グローネスの兵が剣を抜いた。その数にもラディは動じない。
「命捨てるつもりならかかって来い。言っとくがおれは最っ高にキゲン悪いぞ。なんたって昨日刺されて死にかけたんだからな。今日は一切手加減しない。かかってくるなら確実に死ぬと思え」
驚いたのはグローネスだけではない。リラやセリアも驚いた。彼女たちはラディの強さを知っている。あれで手加減していたのかと驚いたのだ。
十人単位の刺客を一人で突破する――手加減して!
グローネスの恐怖はますます深くなった。もはや自分は助からない。そんな予感ばかりが頭をかすめてゆく。
反乱は死刑の重罪。どうあがいても助からない。
「か、かかれ! あの小僧を殺すのだ!!」
少年を殺すしか、生きる道はない。裏返った声でグローネスは叫んだ。
「往生際が悪いぞネズミ! あきらめるんだな! 犯した罪の重さは変わらない!!」
ギィンッと耳障りな音をたて、刃がひらめき、打ち合う。
「やめてください!! ここは聖堂なんです!!」
司祭が悲鳴を上げた。ここは神聖な礼拝堂。血で汚されるようなことがあってはならない。
ラディもそれに気付いた。
「……斬るのはマズイな」
呟くなり、切り結んでいた兵を蹴り飛ばして距離を取る。
周りを囲む兵たちを見回し、
「おとなしく降参する気ないか?」
子供にそう言われて、従う者はまずいない。兵たちも激昂した。彼等はラディがなんなのか、知らない。そして、ラディにも、もう自身の素性を隠すつもりはなくなっていた。
ざすっ! 何を思ったか少年は突然剣を床に突き刺した。
武器を手放したようなその動作に、兵たちは笑い、リラは驚き、グローネスは喜んだ。
「ふ……参ったというわけか? ならば手をついて私に助けてくださいと言ってみろ!」
降参の意を示したかと思ったのだ。グローネスだけでなく、見ていた誰もが、そう思った。
が。
「参った? 冗談。参ったって言うのはそっちだぜ」
不敵に笑ったまま、ラディは突き刺した剣の柄を握る。
礼拝堂にいた者は音を聞いた。キィィイイィというカン高い音。その音はラディの剣から発せられている。
なにが起こるのか、人々は目が離せない。魅入られたように。
そして、見る。少年の身体を、四肢を、額を、風が渦を巻いて覆おうとしているのを。
「手ェついてあやまる準備しとけよ、ネズミじじい!」
少年の声が風を伴って走り抜ける。リラはその激しさに思わず目を閉じた。その瞬間、音も途絶える。何事が起きたのかと、目を開けた姫君の視界には、
「ラ……ディ……」
神々しく輝く鎧を身にまとった少年がいる。胸元には竜の紋章。
それはまるで伝説の中の存在のような神々しさ。
勇敢なる騎士。
伝承歌に唄われし竜の騎士――竜騎士!
「ま、まさか……!」
セリアが声を上がる。
「本当に竜騎士だったの……!?」
小さな剣士の自己紹介をあの時笑って聞き流した。冗談だと思っていたからだ。
けれど、それは真実だったのだ。驚きながらも納得があった。竜騎士ならあの強さも納得がいく。
伝承によると竜騎士は一人で千の兵に匹敵するほど、強いのだ。
歓声が上がった。
伝説の中の産物だと思われていた竜騎士がいる!
姫を護り、卑しき反逆者に立ち向かう勇者が!
その事実は、人々に勇気を与え、グローネスには恐怖を与えた。
「そ、そんな馬鹿な! 存在するわけがない! ど、竜騎士など伝説の中の産物なのだっ! こここ、殺してしまえっ!」
兵もさすがに怖気づいている。ラディは構わず剣を引き抜き、振るった。風が唸る。
キキィン! 音を立てて彼と姫を取り囲んでいた兵たちの武器が折れた。刃が届く距離ではないのに人体には傷もつけずに、少年竜騎士は武器を叩き斬ったのだ。
「な……!?」
誰もが息を呑んだ。何が起きたのか、分かっているのはラディだけだろう。
兵士たちは動けない、圧倒的な力の差を感じ取っている。後ろでグローネスがなおもあがくように叫んだ。
「よ、よく見てみろ! 竜騎士なら竜を連れているはず! そこの小僧は竜など連れていないではないか!」
「呼んでやろうか」
兵士たちの敵意が霧散したのを感じ、ラディは剣先をグローネスに向ける。公爵の希望を断ち切るようにさっくりと言い切った。
「すぐ外にいるぞ? おれ相棒に乗ってここまで飛んできたんだからな」
その言葉が決定的なものになった。グローネスの兵たちが一斉に武器の切れ端を捨てて両手を上げたのだ。
勝てるわけがない。竜騎士は竜聖母が認めし勇者だ、ただの兵士が対抗できる相手ではない。
「……さぁて、と、どうするネズミじじい。手ぇついて謝るか?」
グローネスは酸欠に陥ったかのように言葉もない。腰が抜けたのか床にしりもちをついてずりずり後ずさる。薄っぺらい勝者の自身と余裕は吹き飛んだ。周りに味方は誰一人いない――視界内には。
そこで気付いた。あの老魔道使い、タタラがいないことに。
「た、タタラ! どこにおる!? 助けてくれっ!」
「あ……そう言えばいないわ……どこにいったのかしら」
少し不安げな表情になり、リラは呟く。何せ昨晩ラディを刺したのはあの老人だ。魔道の力の前では、いかに竜騎士であろうと無力になるのではと思われた。
「タタラッ! 私を見捨てるのか!?」
瞬間、ラディがあらぬ方向に剣を振るう。突然現れた大きな火の玉が真っ二つになり、竜巻に巻き込まれて炸裂する間もなく消滅した。
「ふいうちはおれには効かないぞ、じーちゃん」
ラディはあわててもいない。平然と、視線を部屋の隅に向けた。
そこには今湧き出たかのように、黒いローブ姿がある。
「ふむ、風を使うか……面白い」
タタラはラディが何をしたのか理解したようだ。魔道に通じるものがあるのかもしれない。
力は通じていても使う人間が内包しているものは相反している。
ラディは歪みなく、まっすぐで、タタラには歪みしかない。
「だが、わしには劣る」
タタラはそう断言した。ラディがやったことを見て、自分には劣る、と。老人の自信満々の言葉に、グローネスは己が再び優位に立ったと思った。
リラは一気に不安そのものの表情になり、ラディの肩に手を置いた。いまは鎧に包まれた小さな肩。かすかにその手は震えている。
また、失うようなことになったら。その恐怖が襲い掛かってくる。彼がやられてしまったら、その場で舌を噛み切ろう。リラはそう決意する。ラディが死ねば希望は絶たれる。生きていたいという思いも消える。
そのくらい大切な人に、いつの間にかなっていた。
姫君の想いを知ってか知らずか、ラディは肩に置かれた細い手に自分の手を重ね、言う。
「おれを信じろ」
迷いない声。脅えも恐怖も畏怖もない。絶大な自身が彼の声にはある。
強い――強い光。天空にある太陽のように。
大丈夫、そうリラは感じた。ラディは必ず、勝つ。頷いて、少し離れた。
セリアが駆け寄り、姫を護るように寄り添う。
あとはただ、信じて祈るのみ。
人々の祈りの声が礼拝堂に響く。
竜聖母よ、勇敢なあなたの騎士に、勝利という名のご加護を!
「くだらぬ」
老人は言い捨てる。
「神などいない。竜聖母など存在せぬ。何故それが分からぬのだ」
それを聞いてラディは思い切り眉をしかめた。剣を担ぐようにして老人を見る。
「んじゃおれはなんだ。いちおー竜騎士ってもんなんだけどな、じーちゃん」
「名乗るはたやすい。偽るのもまた然り。魔道ならずも手品でよいのだ。愚かな人間の信用を得るのは子供でもできること……そうではないか。童?」
「人を小馬鹿にするのが趣味らしーな、じーちゃんは」
うんざりだ、と表情で告げているラディ。この老人は竜聖母を信じていない。存在しないと言う。だから竜騎士も存在しない、と。
「じーちゃんの言うとおりなら、おれは天才的な詐欺師で手品師だろうな」
目の前にして、それでも、ないと言う。盲目的に自分の考えを通そうとしている。
「毒にしかならない芝居はたくさんだ。化かしあいもな。さっさと決着つけようぜ、魔道におぼれた愚か者!」
少年の声に老人の表情から笑みが消えた。黒いフードの下から生気のない目がじろりと少年竜騎士を睨む。
「……たかが竜騎士ごときが……わしを愚か者と言うか。魔道の力を知らぬ者が……わしを愚か者と!」
熱に浮かされたようにぶつぶつと呟く。その様子が周囲に理解を強いた。
狂っている。魔道という異なる力を得た故か。
人のためでなく、自分の欲のためにもっと強い力を求め、欲して狂った。
力を得るたびに欲も強くなる。もっと、もっと、もっと強い力を――麻薬のように。
挙句自分の欲に取り込まれた愚か者。待っているのは破滅なのだと、果たして気付いているのだろうか。
手に入った力を試したくて使いたくてグローネスに力を貸したのだ。平和な世界で、強力な魔道など必要ないなら、必要になる状況を作り出すのみ、と。
「……殺してやる」
狂気に浸った魔道使いは、否定されることを許さない。
「殺してやるぞ竜騎士……!」
真冬の吹雪のように冷たく激しい怒りの声だった。リラは己の身を抱きしめるようにしてその声に耐える。彼女の視線の先には小さな竜騎士の背。
知らず手を合わせて祈っていた。強い想いを込めて。
お願い、勝って……死なないで!
【…………】
誰かが、大丈夫と言った。間違いなくリラに、信じて、祈っていてと。
その声はラディにも届いていた。あぁそうか、と彼も思う。
……来てくれている。
少年竜騎士の口元には、小さな笑みが浮かぶ。
これはなんとしても、負けるわけにはいかないな。
頭上に魔力が収束するのを感じる。今のラディには感じ取れる。
鎧をまとった彼に力の制限はない。全力で戦える。
一瞬後、彼に向かって巨大な火球が振り落ちた。
「効かねぇって……言ってんだろ!」
剣を振るいもしなかった。ラディの声とその意思だけで、風が巻き起こる。
彼の力の源、その具現。
豪風が火球を押し包み、縮ませていく。消え失せるまで待つこともない。
ガンッ! ラディは床を蹴る。
剣は魔道には勝てないと、勝ち誇っていた老人がすぐ目の前に近づいた。
阻むものもかばう者もない。誰も老人の周りにはいない。
「くあああっ! 炭となれぃっ!」
目前に炎が吹き上がる。魔道におぼれた老人の、最後の抵抗だ。
ラディはよけなかった。
――そもそもかわす必要も最初から彼にはない。防いだのは、ほかの人間を巻き込まないように気を使っただけの話だ。
老人は気がついていない。
自分が『誰を相手にしている』のか。
「ラディッ!」
リラが悲鳴を上げた。かわしきれず、まともに当たると見えるのだろう。
炎の柱に少年竜騎士はためらわず突っ込んだ。
「いやぁぁああああ!」
姫の絶叫が響く。
狂った魔導使いVSチビッ子竜騎士。