4・共に、戦い・2
――やがて美しい姫が純白のドレスに飾られたころ、運命の時を知らせる鐘が鳴る。
鐘の音が示すのは絶望か、それとも一筋の光明か――それは竜聖母にしか分からない……。
『竜聖母』を奉る礼拝堂。どこの城、街、村にも必ずある。人々はここで生まれ、ここで結ばれ、ここで死ぬ。子が生まれれば祝福を受け、好きな人ができればここで式を上げ、誰かが死ねばここで見送る。
さまざまな思いの集う場所。
だが、今この城の礼拝堂は婚礼の準備の真っ只中だというのに、暗く澱んだ雰囲気に支配されていた。
城の主のエオス王子はもはや亡く、王子の婚約者だったリラ姫を娶るのは、反逆者のグローネス公爵。
声を殺して泣く女達。屈辱にこぶしを握り締めることしかできない男達。
その中には、リラ姫の護衛のセリアもいた。彼女も捕まり、ケガのせいで命を奪われはしないまでも、武器を奪われて強引にこの場に出席させられた。
ああ、と彼女は歯を食いしばる。少年が殺されたという話は聞かされた。あれほどの腕前の剣士でも、魔道にはかなわず……姫の目の前で、最期まで姫を護り、殺された、と。
巻き込まなければ良かった。まだ十歳の子供だったのに。
ついてきてくれと誘ったばかりに、殺されてしまった。何の関係もない少年だったのに。
すまない、そう思う。未来ある少年だったろう。夢のある、将来ある……子供だった。
姫はどれだけショックだったろう。目の前で、子供が殺されたのを見て、穏やかでいられるほど冷酷ではない。ましてそれが、自分を護ってのことならば……なおさら傷ついただろう。
おいたわしや。
彼女たちの目の前を、純白のドレスに身を包んだ、敬愛する姫がゆっくりと歩いていく。
本来なら、もっと華々しく、そして幸せをお祈りするはずの姫の結婚式。
敬愛する姫君が、卑しき反逆者の妻となるべく身を進める。
「……姫様……!!」
悔しかった。なにもできない。武器もなく、礼拝堂の中も外も、グローネスの兵が固めている。どこかに魔道使いもいるのだろう。抵抗もできない。
「姫様……」
悲しみと嘆きの声。怒り、絶望。
何故こんなことがまかり通るのか!
あぁ、あの美しい姫君が、神聖なるファージの王女が、汚らわしい男の妻となるとは!
竜聖母、竜聖母、どうかこの汚らわしい男を罰してください。美しい姫君をお助けください。
祈りと願い。だが応えるものもなく、ただ嗚咽が響く。
反逆者、グローネスは祭壇の前にいる。式にふさわしい、きちっとした礼服も、どこか滑稽だった。どうみても純白のドレスの王女に似合う男ではない。
美女と野獣――いや、美女とドブネズミといったところか。
清く、神々しいまでの美女、リラを手に入れる喜びで、グローネスは醜い顔をさらに醜く好色に歪んだ笑みを浮かべている。
リラは目を逸らさない。薄いベールの下から、まっすぐにグローネスを睨みつけている。
従うものですか、お前などに!
彼女の心に脅えはない。負けるものかという想いと、あとは、ラディのことだけ。
祭祀を務める司祭が、グローネスの兵に押され、屈辱に満ちた表情で儀式を始める。
誰も、何も言わない……言えない。残された人数で、武器もなしに姫を奪還することなどできはしない。
泣きながら人々は祈り、願う。
竜聖母よ、どうか、姫をお救い下さい!
式は止まらない。司祭が言う。
「姫様、御印を夫となるべきグローネス公に……」
目は渡さないでくださいと言っている。しかし口は式を進める。
「……お渡し下さい……」
リラは黙っていた。『御印』はない。ラディに預けたままだ。あったとしても渡す気など毛頭無い。
しばらくそうしているとグローネスがイラついた声を上げた。
「それは後でいい! 進めろ!」
司祭は少しホッとして式を進めた。あとはただ、終わらせるだけだ。リラも少なからず安堵した。誓いの接吻というものは、王族の式にはない。
だがグローネスはそれを許さなかった。リラを慕う人々の前で、リラに接吻し、美しい姫を手に入れたことを思い知らせたかったのだ。
「司祭、御印の受け渡しの替わりに、誓いの接吻を交わすことにしようではないか」
「!」
ざわめきが起こった。司祭も驚き、せめてそれだけはと必死で抵抗を試みる。
「しかし、王族の式に接吻の儀式はありません」
「御印がないのだ。リラ姫の唇は御印にも勝ろうぞ。婚姻の証にはふさわしい」
にやりと笑うグローネス。リラの背に鳥肌が立った。
冗談ではない。この男と接吻するならこの場で自害したほうがマシだ。
ラディを待つのに死ぬわけにはいかないから自害はしないが、とにかく接吻なんて死んでもイヤだ。
思わずブーケをグローネスの顔面めがけて投げつけた。
「あなたとそんなことするくらいならまだ死んだほうがマシよッ!!」
ついでに蹴り上げた。不意打ちだったのだろう、グローネスはまともにくらって転がる。
兵たちがうろたえ、リラを押さえつけようか迷ったとき、ふいに笑い声が礼拝堂に響く。
「おみごと。さすがだヒメサマ」
その声に、リラは勢い良く振り返った。セリアも耳を疑いながら視線を向ける。
礼拝堂の扉がいつの間にか大きく開いていて、そこに小さな人影がある。
何かを考える前に、走り出していた。ベールが取れたのにも気がつかないくらいに必死に。
できる限り早く、走って。
「ラディッ!!」
抱きついた。いや、しがみついたといったほうが正しい。二度と離れないと言わんばかりにしがみついた。
さすがに驚いたのか、ラディも硬直している。
「…………あのー……ヒメサマ?」
恐る恐る声をかけたりしている。珍しい、とセリアは思った。あの物怖じしない少年にしがみついて泣いている姫も、わがままな姫にしがみつかれて動揺している少年も。
ぎっちりしがみつかれ、その上でわんわん泣かれて、ラディ・スポット十歳、すさまじく眉をひそめている。
並みの騎士など遥かに上回る腕前の剣士で、何者にも物怖じしないと思われた少年は、女心には年相応に疎かった。
おまけに、泣かれると弱い。相手が女、子供、老人ならなおさらで、リラ姫は女性だ。
「……ヒメサマー? ……おーい」
ほとほと困り果てている。
そこでやっとリラは我に返った。少し赤くなってあわてて離れる。
「泣くことねーだろ。どしたんだよ、そんなに怖かったのか? だいじょうぶだよ、おれがきたから」
女心に疎い少年はちょっと笑ってそんなことを言っている。リラが泣いたのは、彼が戻ってきてくれて嬉しかったための、うれし泣きなのだが、少し恥ずかしくて言い出せない。
だからリラは頷いて花開くような笑顔を返した。
ラディがいる。生きている。帰ってきた! だからもうだいじょうぶ。本当に何も怖くない。
強がってはいたが、やはりどこかで怖かった。でも今はラディがいる。不思議なほどに怖くなくなった。
逆に怖くなったのはグローネスのほうである。ラディが刺されるところを見ていた彼は少年が生きていることに恐怖した。
短剣は鍔まで刺さっていた。どう考えても助かる傷ではない。一晩で治る傷でもない。
それなのに少年は目の前に立っている。怪我など少しも負っていないかのようにピンピンして!
お約束。やはり結婚式に奪い取りに来なくては!!