第94話 60秒の命を。
俺は、一歩、足を踏み出す。
間違いない。
カンパニー軍は撤退し、無人と化したはずの場所に、誰かがいる。
荒野は、真っ直ぐに伸びる街道があるだけの、寂れた景色。
かなり遠くに、小さな人影が見える。
あれは、ハルカとキョッキ。
そして、ハルカは……死んで……いる!???
──ハルカ?
───ハルカ?
───死んで
頭の中が、真っ白く塗りつぶされ───
“どうしたにゃん?“
次の瞬間、走り出す。
脳も身体も、無機質になったように麻痺している。
──ハルカ?
空間が一瞬で縮まり、目の前にキョッキが立ちふさがる。
「漆黒! お前のせいで、ハルカは!」
キョッキの顔は、強ばり、青ざめ、しかし眼だけは血走っていた。
だか、そんなのは、どうでもいい。
キョッキの言葉は、耳に届かない。
「漆黒! お前を一人に出来ないと、助けなきゃと、ハルカはここで!!!」
視界が、滑らかな足運びと共に回転する。
キョッキの足を払い、腕を跳ね、最後に掌底。
キョッキの大きな背中に、俺の掌が食い込んでいるのが見えた。
コマ送りのように大の字でキョッキが吹き飛ぶ。
ハルカの身体が宙に浮かぶ。
何故、こんな事が出来るかなんて、それもどうでもいい。
激しく舞う砂ぼこり。
俺は空中のハルカを見上げ、我慢出来ず自ら跳ね上がり、しっかりと抱きとめる。
長い金色の髪が、俺の首に流れ落ちる。
着地して、ただ、硬い鎧に包まれたハルカを抱き締める。
──解析。
──ハルカは、俺の撤退命令を破った。
──そして、死んだ。
理由は、不明。
だが、とにかく鎖の命令に逆らい、その場に踏みとどまった。
その結果、契約違反となり、──死んだ。
──死んだ。
──死んだ。
──束縛の魔道具、鎖首輪のせいで!
俺の腕の中で、眠ったような顔をしているハルカ。
──死んでいる。
──死んでいる。
──死んで……。
俺の口の端から、呻き声が漏れる。
だがそんなのも、どうでもいい。
ハルカを、そっと地面に下ろす。
横たわるハルカ。
俺は、眼球を最大に見開いて、そして情報収集を、開始する。
ハルカは本当に死んでいるのか?
対光反射の消失、心音、呼吸音の確認、橈骨動脈、頸動脈の触診!
俺はハルカの銀の鎧を、素手で引きちぎる。
メキャミキィャン!!!
物凄い金属音と共に、俺は鎧であったスクラップを投げ捨てる。
そして直ぐ様、白い上下の下着だけになったハルカを見下ろし、素早く屈み込み、呼吸停止と心拍停止を確認する。
「ハルカを、辱しめているのか!!!」
声のした方を見る。
キョッキが、剣を構え、大地を割りながら近づいていた。
レベルナインの魔力風。
キョッキの足が一歩進む度に、地面に走る亀裂。
俺は、ハルカに目を戻すも、直ぐに立ち上がり、キョッキと向き合う。
「漆黒……。答えろ……」
恐ろしい憎しみの声が、俺に向けられる。
「なぜ! ハルカは死んだ! お前は、何をした!」
俺は、またハルカに目をやり、直ぐに答える。
自分の声が遠くで聞こえる気がする。
「魔法契約違反だ。ハルカは、俺の退却命令を無視した。工場長の命令は、契約により絶対だ」
「ふ、ざ、ける、な……。ならば、お前がハルカを殺したのか!!!」
俺は、素早くキョッキをどうするか解析を開始する。
……結論。
俺は殺される。
交渉は無駄。
騙しも無駄。
はったりも無駄。
戦闘も無駄。
何をしても殺される。
だが、今はそんなのも、どうでもいい!!!
俺は腕時計を操作する。
「その腕輪……外して俺と、殺り合うか!??? いいだろう!!!」
キョッキの顔が醜く歪む。
勘違いするな。
俺は腕時計のタイマー機能で、一分をセットしてスタートさせる。
「人の脳は数分以内に蘇生すれば九割助かる。それ以上経過すれば、あっという間に蘇生は困難になる」
早口で呟いた俺の言葉に、意味が分からないという顔をするキョッキ。
「どれだけ時間が経っている? 恐らく残された時間は残り一分程度だろう。だから、俺を殺したいなら、一分後にしてくれ」
「一分? 蘇生? 何を言っているんだ?」
俺は首を振る。
「いや、もう蘇生出来る可能性は、残り55秒だ」
キョッキの顔が赤くなり、更に地面にめり込むような亀裂が走る。
「蘇生、だと? ハルカは死んだんだぞ? 蘇生魔法でも使えると? 冗談か? そんな魔法は聞いたことも……」
「あと、50秒。すまん、もうお前と長々話している時間はない」
俺は、横たわるハルカの傍に座り込む。
そして触診しながら情報収集を再開する。
だが直ぐに気が付いてしまう。
──魔力だ。
身体中から魔力が抜け出ていく。
それは明確に、残酷な程に掌から伝わってくる。
急速に冷えて、固まって、溶けていくように!
俺は必死で、ハルカの全身をまさぐる。
以前に砂漠の洞窟で、ハルカの身体中を触診した事を思い出す。
だから、その差が──痛いほど分かった。
差異が、ありすぎた。
ハルカの身体は、まさに脱け殻のように、加速度を上げて変化している!
「漆黒! ハルカから、離れろ!!!」
“にゃん! ハルカが、なんで死んでるにゃん!“
いつの間にか、猫も追い付いてきたようだ。
だが、俺はそれを無視して言う。
「うるさい! 手伝え! 残り45秒! そ、そうだ、キョッキ、魔力封じの腕輪ないか! あれば、直ぐに出せ!」
顔を上げると、キョッキが目の前にいた。
「漆黒。お前、本気で一分で蘇生をしようと?」
“リョウスケ!? 何をしようとしてるにゃん!?“
俺は思わず叫ぶ。
「いいから! 早く! 答えろ! まだ、ハルカは死んでいない! 残り41秒! 腕輪持ってるなら寄越せって言ってんだろうがっ!!!」
キョッキは、正気に戻ったような顔で、そして慌てて首を振る。
「な、……ない」
ちっ!
持ってないのかよ!
俺はその返事と同時に、高速思考する。
とにかく、魔力だ!
この抜けていく魔力を止めなくては!
あの腕輪があれば、魔力を封じれたのに!
そ、そうだ!!!
俺は自分のローブを脱ぐと、それでハルカを包み込む。
このローブは、魔力風をカットする。
つまり、魔力を通さない絶縁体!!!
「ほ、本気で助けようとしているのか? ハルカは、い、生き返るのか?」
キョッキが、俺の横に回り込み、ローブを巻き付ける作業を手伝い始める。
「あと、35秒! 急げ!」
「なんだか分からないが、本気なんだな! ハルカは生き返るんだな!」
俺は頷きながら腕時計を見る。
ヤバい! 残り30秒!
「キョッキ! ハルカの頭の方へ行ってくれ! そして、気道を確保!」
俺はキョッキに人工呼吸をさせるつもりだ。
そして、俺は、胸骨圧迫、つまり心臓マッサージ!
これは元の世界の心肺蘇生法!
ここで、通用するかどうか分からない。
知識だけで実践なんかある筈がない!
だが、俺はハルカを助ける!
先ずは、とにかく、魔力だ!
魔力が必要だ!
俺にはないから、キョッキに頼むしかない。
ハルカの身体は、ローブを使って魔力漏れを出来る限り止めた。
そして、ハルカの魔力は、最も口から溢れ出る事も、俺は知っている!
そこが、最大のハルカの魔力出力場所ならば、口から、キョッキの強い魔力を流し込めば!
「残り28秒! いいか、ハルカの身体を、風船か袋だと考えろ! 口からお前の魔力を流し込むんだ! 強すぎても駄目だ! 袋を破らないように優しく!」
「な、なんだと!? ど、どう言うことだ!?」
ちっ!
こいつ!
マウストゥマウスを知らないのかよ!
「口づけしろ! ちゅうだよ! ちゅう! キスだよ! いいからとにかく、ハルカの口から、お前のありったけの息を送り込め!」
「く、口づけ!???」
キョッキが、俺を驚いた顔で見る。
「あと、20秒!!! 急げ! お前達、いつもちゅうちゅうしてるんだろが!!!」
俺は叫ぶ。
キョッキが、俺の言葉に何か言おうとしたが、勢いよくハルカに口づけする。
鋭く走る胸の痛み。
だが、そんなもの、どうでもいい!
「優しく息を吹き込むんだ! はい、1秒、離せ! はい! もう一度、1秒! よしっ! 離れろ!」
俺は素早くローブの中に手を突っ込み、ハルカの胸に手を乗せる。
よし!
魔力が入ってる!
魔力が、ちゃんと入ってる!
俺はそのまま肘を伸ばし、心臓へ刺激を開始する。
大体、5秒間に八回?
俺は持ちうる知識をフル稼働して、その通りに胸骨圧迫を行う。
ふん!
ふん!
ふん!
だが、ハルカの身体から、また魔力が弱まり始める。
駄目だ!
生き返る兆候は見られない!
残り10秒!
「キョッキ! また息を口から吹き込め! また1秒ずつ!」
今度は俺はハルカの身体に手を当てて、流れ込むキョッキの魔力を感じとる。
そして気が付く。
魔力が、肺と心臓の辺りで止まっている事に。
届いていない。
キョッキの魔力が、全身に行き渡っていない。
思わず俺は叫んでいた。
「ハルカァァ!」
動くはずも、反応するはずもないハルカを見下ろして、また俺は叫ぶ。
「聞こえてるんだろ! 頑張れ! 必ず助けるから! お前も頑張れ! ハルカァァ!!!」
俺はキョッキの口付けを止めさせて、また心臓マッサージを行う。
「ハルカ! 聞こえてるはずだ! 起きろ! 起きろ!!!」
俺の叫び声が、荒野に木霊する。
“リョウスケ……。ハルカは死んでるにゃ……。これに、何の意味があるにゃ……“
うるさい!
人は心臓が止まっても、細胞は生きている!
耳は聞こえてるって、医学的に根拠もあるんだ!
「ハルカ! 絶対に助ける! 絶対に助ける! お前はまだ、死んでいないだろうが! 絶対に助ける! 目を覚ませ!」
“リョウスケ。人は死んだら、甦ることは絶対にないにゃん……“
うるさい!!!
絶対に!!!
その時だった。
────ピッ。ピッ。ピッ。ピー。
その音に、俺は手を止める。
──俺の腕時計が、1分経過を知らせる音、だった。
俺はハルカの乱れた金の髪と、その白過ぎる顔を見つめる。
動かないハルカ。
もう、二度と動かない?
駄目、なのか?
俺はフラりと立ち上がると、キョッキを、思い切り突き飛ばす。
そして、ハルカの頭の横に屈み込む。
理屈は正しいはずだ。
知識も解析も、絶対に、正しいはずだ。
魔力を入れて、心臓を刺激すれば……。
抜けていく魔力も、抑えたのに……。
「ハルカ。駄目だ。……死ぬな」
俺はハルカに口づけする。
冷たく、硬い唇。
顎を上げ、口をこじ開ける。
そこに、俺は、息を吹き込む。
頼む。
生き返るんだ。
──よく分からない。
ハルカが、死んだら、いなくなったら、何がどうなる?
分からない。
でも駄目だ。
死んだらダメなんだ。
──。
──。
「──かはっ!」
え?
何度目かの人工呼吸で、ハルカの身体が、びくりと跳ね上がった。
俺は、その様を、目を見開き、確認する。
ハルカは、黒いローブに包まれながら、四肢を震わす。
心肺蘇生法が、成功した!???
俺は、胸元から、治癒術が描かれたペーパーを取り出すと、ハルカの胸に貼ってやる。
淡いグリーンの光に包まれながら、ハルカの顔色に、血の気が戻り始める。
俺は、その姿を、呆然と眺める。
キョッキが、どしりと尻を落として呟く。
「ホ、ホ、ホントかよ……。い、生き返った……。ハルカが、生き返った!」
“う、嘘にゃん……。こんなことが、あるにゃんて……“
俺は、念の為に呼吸確認と心拍確認を終えると、キョッキの隣に、同じようにばったりと倒れる。
「ハルカ! ハルカ!」
横でデカイ声を出すキョッキに、俺はイラッとするが、まぁいい。
「ハルカが、生き返った!!!」
キョッキが起き上がり、ハルカに駆け寄り、抱き締める。
後は、意識が戻れば。
だが、もう大丈夫だろう。
俺は確信していた。
ハルカはちゃんと、目を覚ます。
短時間で蘇生出来た事もあるが、きっとハルカは自分の力で、生き返ったのだ。
言葉が、届いていたのだ。
今更、身体が震える。
はっ!
はっは!
とにかく、よ、良かったっ!!!
俺は、雲のない空を見上げながら、心の底からそう思った。




