第85話 会議は踊る、突然に。その1。
「工場長のおこしである!」
部屋の扉が開いた途端に、鋭くも響き渡る男の声。
油断していた俺は、その声に飛び上がる。
桃色工場長代理(謎R)のお色気のせいで、頭の中が、完全に桃色に染まっていた。
いきなり、なんだ!?
得体の知れないプレッシャーが部屋から溢れている。
黒いローブを着ているから、魔圧は感じないはず。
すくみながら、とっさに室内を見える範囲で瞬間記憶する。
情報収集&解析。
どんな時でも、身体に染み付いた癖が勝手に発動する。
切り取った目に入る周囲の状況を、高速思考で解析。
情けない状態で油断していた。
全く自分が本社のどこにいるのか、ピンとこない。
古い木床の廊下。
目の前の、大きく豪華な木製ドアは大きく開け放たれ、中はかなり広い部屋のようだ。
声の主である細身の男は、部屋の中から真っ直ぐに俺を見ていた。
長髪に鋭い目付き、威風堂々としたその男は、着衣までも一分の隙もない見事な身だしなみだ。
口元の整えられた髭、パリッとしたフリル付きシャツ、紺のスラックスを銀のサスペンダーでとめ、首にはワンポイントのスカーフ。
まさに、ダンディズム!
広い部屋の中央には、大きな円卓が置かれ、そのダンディズムだけが立ち上がり、俺を見ていた。
他にも部屋には沢山の人がいる。
だが、円卓には、ダンディズム含めて七人のみ。
いかにも別格です、というわけか。
その中には知った顔がふたり。
まず、お爺ちゃんがいた。
相変わらずの奇抜なとんがり帽子の魔法使い衣装……。
見ているこっちが恥ずかしいが、役職は確か開発顧問だった事を思い出す。
それから、マンイーター。
原料調達部門長……だったか。
デカイ口を円卓にのせてじっとしているその姿は、以前と違い不気味な知性を漂わせている。
……ふたりとも、俺に気がついているはずなのに、その表情は知らんぷりに過ぎる。
オッス久しぶり……は無理でも、目礼とか軽く手を上げるとか、してくれてもいいんじゃないか?
ダンディズム、おじいちゃん、マンイーター、そして残る四人も只者ではなさそうだ。
鎧姿の身体の大きな騎士。
ロングストレートヘアの女性。
ローブを深く被った老人。
緑色の髪の美少年。
円卓のこの七人はこの工場の幹部達と推定。
内五人の情報は何もない。
この状況は、今朝、桃色工場長代理が言っていた工場幹部会議、に違いない。
……しかし、いきなり、幹部とご対面か!?
部屋の中は、その七人だけではない。
彼らの後ろには、補佐か秘書か書記官か、何十人もの人達が、小さなテーブルを不規則に並べて椅子に座っている。
鎧を来ている者、着物だけの者、軍服姿のような者、様々な部署の人間が集まっている。
彼らは中央円卓の幹部達を取り囲むようにして身体を向け、張りつめた表情をしていた。
会議の重要さが、その物々しさから、嫌な感じで伝わってくる。
……。
解析はそんなところだが、気になる事が一つある。
この部屋のほぼ全ての人に、妙な光点があるのだが?
それは時折チラチラと動いていて、まるで妖精のようにも見える。
一体なんだ???
「立て! そして工場長へ敬意を!」
ダンディズムの鋭い突出した声に、全員が立ち上がり、俺に向かって頭を垂れ、ひざまずく。
突然の展開に、後退りする俺。
どうしていいか分からないでいると、桃色工場長代理(謎R)がすっと前に出て、俺を先導するように部屋に入る。
自分の息が、緊張で震えている。
だが、逃げるわけにもいかない。
俺は、黒ローブをしっかりと被り直し、恐る恐るその後ろを進む。
このローブ、着てて良かったと心底思う。
魔圧感知出来なくなるというデメリット以上に、周囲の恐ろしい魔圧をカット出来るのは有難い。
これがなければ、この室内は台風の如く魔力風が吹き荒れてるはずだ。
彼らの中をすり抜け、円卓の一番立派な背の高い椅子に座らされる。
改めて室内を見回す。
幹部を含めた総勢七十五名が、片膝をつき、頭を下げている。
「敬礼なおれぃ!」
敬礼したままの幹部とその他の面々がようやく顔を上げる。
全員の、ギロリ、という眼の音が聞こえた気がした。
その瞬間、俺は息を飲むように硬直してしまう。
軟弱な俺の心。
ストレスゲージが一気に上がり、悲鳴を上げている。
全員の顔が、顔を上げた拍子に、俺を睨むような目付きになっているせいで、その圧力は凄まじい。
お、落ち着け。
ま、先ずは、冷静にならねば!
俺の横で、桃色工場長代理の凛とした声が響く。
「リョウスケ・パインフィールド工場長の初の幹部会議です。粗相のないように!」
桃色工場長代理の態度と気配が、様変わりしている。
さっきと全然違う。
ビジネスモードってやつか?
か、勘弁してくれ!
桃色工場長代理(謎R)は、俺の横に立ち、周囲を眺めている。
この女性も、一体何を考えているか訳が分からない。
別の世界の高卒の子供が、この国の王である工場長をいきなりやれなんて、無理だろう!
まだこの世界の事、この国の事、俺は何も知らない事だらけなんだぞ?
どういうつもりで、いきなりこんな場所に連れてきたのだ!?
今すぐに逃げ出したい……。
やはり、どう考えても大任に過ぎる。
──だが。
──俺は、震え上がる弱い心を、奮い立たせる。
結論。
事実。
何も変わらない。
弱音を吐いても、逃げられない。
それは、目を背けても、誤魔化せない。
だが、俺は絶対に逃げると決めた。
いつか逃げる。
必ず逃げてみせる。
耐えろ。
数日の我慢だ。
と、とにかく、安全な脱出の為に、今はただ、情報収集に徹するしかない!
逃げる為に!!!
「これより、ヒトツキの幹部会議を始める!」
ダンディズムの鋭く低い声で、会議の口火を切る。
場の雰囲気が変わった。
全ての者の目がようやく俺から外れ、手元の紙をめくる者、咳払いする者、頭を寄せ小声で会話する者……。
円卓幹部達は微動せず、むしろその存在感が際立つ。
室内が、硬く研ぎ澄まされて、動いていくのを感じる。
俺はごくりと生唾を飲んでダンディズムを見つめる。
この男が、会議の進行役のようだが、幹部クラスとはいえ何者だ?
「ヒトツキの実績について、まず財務課から!」
切り裂くような声が室内に響く。
ヒトツキ……。
この世界の暦の言葉か?
ダンディズムの後ろにいる白シャツ姿の男が立ち上がった。
手元に紙の束を引き寄せて、口を開く。
「リョウスケ様、管理部の財務課ポナパルトと申します。以後お見知りおきを」
俺は名を呼ばれて慌ててペコリと頭を下げる。
財務課ポナパルト?
円卓から外れているから、幹部ではないだろう。
背も身体も小さい。
小動物のような男だ。
緊張ぎみなのか、声も震えている。
しかし財務課?
分からない。
桃色工場長代理が、すっと俺の耳元で囁く。
「リョウスケ様、財務課は我が国の国庫、財務の帳簿担当を経理課と共に管理している部署です。あのポナパルトは、財務課長です」
な、成る程。
だが、国庫とか言われてもピンと来ない。
ポナパルトは目をクリクリさせて、俺が頷いたのを確認してから報告を開始する。
「早速ですが、ヒトツキのご報告をさせていただきます。売上■は100●▲とんで2千●ダエイ●。利益■額●は23●▲5●ダエイ●。お手元の資料にありますが、幾つかの部署で費用■がかさんでおります。未達▲●が目立ち、かつ各部署の費用■が予算■を超過▲●しております」
その瞬間に、俺の頭脳に物凄い負荷がかかったのが分かった。
100●▲?
ダエイ●?
売上■?
利益■額?
予算■?
超過▲●?
それは脳への直接的な衝撃だった。
視界が歪む。
不意に熱を帯びていく脳。
聞き取れないというより、理解できない。
元の世界の決算書の知識と合致する言葉が混ざっていた。
本から知識としては手に入れているが、当然だがそんな経理的な知識は実践出来るはずがないので、脳内の『死蔵図書館』に放り込んである。
理解不能、理解不能。
俺の思考が警告を鳴らす。
もどかしそうに頭の中で、何かが重く蠢く。
脳が熱い、痛い……。
「費用■については、予定■▲にないものが多くあり……」
理解不能、理解不能!
警報が止まらない。
これは、俺が初めてこの世界に来た時と、同じ現象だ。
あの時は、理解できない事をその場で思考が誤作動しないように、未知数、つまり謎登録してゆっくり情報収集して解析をするという手段を取った。
だが、これは謎が多すぎる。
どうすべきか悩んでいると、更に謎は深まる。
「特に費用面■で、大きく予算■から差異のある部署については、後程説明をしていただきますが……」
だ、駄目だ。
脳に負荷が、次々に溜まっていく。
ここで、ダンディズムの声が飛ぶ!
「物流部の損失▲額が増加傾向だ!」
ダンディズムが立ち上がり、すらりとした長身を起立させ、両手を盛大に広げた。
説明をしていたポナパルトが顔をひきつらせて、続けようとしていた言葉を呑み込む。
と、当然だ。
会議の空気が凍りつく。
そこでゆるりと立ち上がったのは、円卓の一人。
ローブを深く被った老人だ。
「もう少し静かに話してくれいか?」
何かが擦れるようなキイキイした声が、静かに響いた。
「まるで私のところの部署に問題があるみたいじゃいか?」
全員の視線がその幹部に集まる。
俺も初めて会うその幹部の一挙一動に注視する。
その幹部は、鼻先から伸びる堅そうな髭をピンと立たせて、玉のような瞳でダンディズムを見ている。
……というか、こいつは、人か???
……海産物にしか見えない。
その幹部は、ローブを着た海老、もしくはザリガニだった。
長いハサミをちょきりと鳴らして、背を丸めた海老爺が言葉を話している!
「君の言葉はうるさい。ちゃんと説明するから、静かに話してくれいか?」
まさに海老だけに腰の曲がった老人のよう。
そして海千山千の仙人のような漂う風格。
「君はもっと自然に話が出来ないいか?」
キイキイと声に混ざる擦れる音。
海老爺の発言に、俺も心の中で賛同する。
あのダンディズムの声、鼓膜に刺さるようで嫌だ。
「私の声はこの会議には全く無関係である! それより物流部の長として、しかるべき費用●超過▲の説明を!」
海老爺が長い髭を振り回すように頭を振る。
「声は大事……。会議の基本は言葉のやり取りじゃいか?」
「私が聞きたいのは物流部の護衛隊の軟弱ぶりについての対策だ! 運送は販売の基本! 製品を無事に各国へ納めてもらわなければ、いくら他の部署が頑張っても無駄になるのだよ!
それがヒトツキの実績●▲にもはっきりと出ている!」
「……であれば管理部の警備隊は、憎むべきジェムズ侵入の失態について、あの後何も報告を聞いてないが? 今後、警備体制についての対策はどうするいか? むしろそちらの問題が重要だいか?」
ふたりの飛び交う声が、うねるように続く。
頭が重くなる一方だ。
理解不能と、俺の思考が叫びながら蠢き続けている。
次々に謎の言葉や数字が、飛び交う。
駄目だ。
無理だ。
耐えられない。
何故、俺はこんな場所にいる。
この工場のトップだからと言われても、無理だ。
自分は、──場違い、だ。
ただ、頭痛に耐えているしか、出来ない俺は何なんだ?
──大人の世界。
──強者の世界。
ここにいる幹部が、いや全員が俺の指示に全て従う?
もしそうだとしても、無意味すぎる。
何も理解出来ないし、参加できる自信もない。
俺は、無力。
俺は、無意味。
俺は、無価値。
一気に膨れ上がるネガティブ思考に、押し潰されそうだ。
あ……。
それは……。
つまり……。
俺は、最悪の事実に気がついてしまう。
俺は、現在、工場長として、王として君臨しているにも関わらず……。
後手をとっている!




