暗い部屋 (1)
どれくらい時間が経ったかわからなかった。ときどき、ぼんやり夢見ることがあったけれど、マシウスは目を開けることができなかった。
そのぼんやり夢見る感覚がせまくなり、しじゅう夢見るようになった。
夢の中では、ソリで走っている感覚があり、そして、がくっと傾いたソリ、崖から落ちた衝撃が何度も何度もマシウスを襲った。そのたびに、マシウスは「うう」と声をもらし、「助けてくれ!」と叫んだ。でも、夢は覚めず、また夢の中に戻される。
深く眠っている時もあり、首筋に、温かいコーネリアの手の感触を思い出すこともあった。
そして、ある日、ふっと目が開いた。
「きゃ~!」
と若い女性の声が響いた。
「マシウス様が、お目覚めになった!」
とその声は遠のいていった。
それは束の間だった。マシウスはまた眠りに落ちた。
だんだん目覚めることができるようになると、ふと、マシシの顔が見えた。
「いやあ、帰って来たね! お帰り!」
とマシシが言った。そう言われたとたん、マシウスはコーネリアの事が気になった。
「あ、おかあ…」
と、マシウスが言葉をつなごうとすると、マシシが、しーっと人差し指を自分の唇に当てて、
「ゆっくり、静かに、少しずつ」
と言った。それでマシウスはまた目を閉じた。
そんな風に、少しずつ、少しずつマシウスは目覚めて行った。
やっと半身を起こせるようになると、マシシが温かいおかゆを持って来た。
「ほら。ゆっくり、静かに、少しずつ」
とマシシは言った。
「お母様は?」
とマシウスが聞くと、
「それも、ゆっくり、静かに、少しずつわかるよ」
とマシシは言い、それから毎日のようにマシウスの所におかゆを届けた。そのうち、だんだん形のある物を食べるようになった。それに従い、歩いてみたいと思うようになり、マシウスは、おそるおそるベッドの下に足を投げ出してみた。
「はいはい、ゆっくり、静かに、少しずつね…」
マシシが同じことをなんども繰り返して言った。
まず、杖を使って、部屋の中をゆっくりと歩いた。まるで歩き方を忘れてしまったみたいで、少し歩くだけで、身体全体が疲れてしまう。そうするとゆっくり自分のベッドに戻ってまた横になった。
「何日くらい経ったのかな?」
とある日、マシウスはマシシに聞いた。
「ええと、いつから何日?」
「ソリが落ちてから…」
「それからはもう60日になるよ」
とマシシが言った。
「お母様は?」
とマシウスが聞くと、
「コーネリア様はもうお帰りにはならない。コーネリア様の部屋はそのままになっている」
とマシシが言った。
マシウスは、ソリが落ちた時の衝撃を思い出し、言葉を詰まらせた。そして、ふと自分の右目を触ってみた。そこには冷たい金属製のものが蓋になっていた。
「君の右目ももう戻らない。でも、左目はある。見えるだろ? 右目のことはもう忘れよう」
とマシシが言って、黒い眼帯を贈った。
マシウスはそれをどうとらえたらいいのかわからず、また数日寝込んだ。
そうやってまた、30日くらいが過ぎただろうか。
マシウスはすっかり自分の足で歩けるようにはなっていたが、なにかをやろうという気力はなかなか戻らなかった。
「どうだ? マシウス?」
とある日、ジムントがマシウスの部屋をたずねた。
「お父上…」
マシウスは、言葉をすべて失ってしまったように感じた。次に何と言ったらいいのか、ちっとも思いつかなかったのだ。
「この地下には燃料になる石炭から、鉱物、宝石などいろいろなものが埋まっている。坑道がもうだいぶできているし、掘り出した物も集まっているんだ。どうだ、見に行ってみないか?」
そう言われても、見に行く気にさえならなかった。
また30日が過ぎた。
「ここにいて閉じこもっていてもおもしろくないだろう?」
とマシシが言って、
「ナカ町に行こう!」
と言い、お城の入り口にまで行ってはみたのだけれど、そこに待っていたのは、マシウスがコーネリアと一緒に乗ったのと同じ形のソリだった。
マシウスは身体が固まり、ソリに乗ることはできなかった。
それでもマシシは、根気よくマシウスを迎えに行った。
「マシシ、もう放っておいてくれ」
とマシウスは言った。
「ソリに乗ることはできない。ソリに乗ろうとすると、あの日のことを思い出すんだ」
「そうかもしれないけど…。わしはそれじゃあ困るんだ。君があの日の前のように戻ってくれないと…」
「もう無理だよ。もう、おれは昔のおれとは違う人間なんだ」
「そんなことはない」
とマシシは言いきった。
「同じだ。だってマシウスはマシウスなんだから」
「君にはわからないんだ。おれが何かを望んで、何かをしようとすると、すべてはまた悪い方に進む。君を不幸にすることはできない」
「へ?」
とマシシは言った。
「今、それを聞いただけで、じゅうぶんに不幸になったよ。じゃあいい。そのままそこにそうしていればいいさ」
マシシは怒ったのだろうか? とマシウスは少しドキリとした。そう言えば、この長いつき合いで、怒ったマシシを見たことはなかったと、初めて思いあたった。




