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氷の館  作者: 辰野ぱふ
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失われた右目(1)

 マシウスがジムントの部屋の扉を開けると、「マシウスか…」 とジムントがか細い声で言った。

「はい。遅くなり申し訳ありません」

 とマシウスは答えた。

「おまえはいつもそうだった。おまえが元気に外に出かけて行くと、コーネリアとわたしは今か今かとお前の帰りを待っていたものだった。いつもおまえは遅かったな」

 ジムントの声は弱り、やっと声を出しているようだった。

「すみません」

 と言ったまま、マシウスは扉の所に立ち尽くしてしまった。

「何をしているんだ、マシウス。もう、時間がない」

 とジムントは言った。

「時間?」

「そうだ。わしの中から力が無くなって行く。それを食い止めることができない」

「身体が痛むのでしょうか?」

 マシウスは心配になって、寝ているジムントのすぐわきに来てみた。

「これは痛みなのかな? そうとも言い切れない。苦しみとも似ているけれど、そうとも言い切れない」

 そう言うと、ジムントは布団の間から手を差し出し、マシウスはその手を握った。

「よかった。これでもう何も食いとめる必要がなくなった」

 ジムントの中から何かが流れ消えて行くようだった。

「父上」

 マシウスはすぐわきにひざまずいたけれど、もう、ジムントは何も答えなかった。

 ジャギが後ろからそっと言った。

「ジムント様は、コーネリア様の元に旅立たれたようです」

 それはあまりにもあっけなく、マシウスは次にどうしていいのか、さっぱりわからなくなった。ジムントの部屋の入り口では、アンジュとキミ、古くからこの館に仕え、逃げ出さなかった者たちが泣いていた。

「こんな時に、マシシがいてくれたらな…」

 とマシウスは言い、それと当時にマシウスはめまいにおそわれた。それはマシウスの失われた右目の中に光が走ったような感じだった。光というのでは、生ぬるい。稲妻が走った感じといったらいいのだろうか。その衝撃でマシウスの身体がふらついた。マシウスの失われた目の中に、ある光景が映った。その光景はマシウスの目の前に広がり、マシウスはまるでその光景の中に取り込まれてしまったような感じになった。

 その光景の中には壊れたソリがあった。それはマシウスのすぐ目の前、手で触れることができそうな場所に見えた。そのソリ中からスーメルクの男たちがコーネリアの遺体を引き出した。マシウスの横をマシシが通り、マシシの指示に従って、コーネリアの遺体は白い布で包まれ、棺に納められた。


 ぱっと光景は切り替わり、マシシの視界はまたジムントの元に戻った。

 マシウスのめまいはひどく、まだ身体全体がふらつくようなので、マシウスはしっかりとジムントのベッドにつかまっていた。

「弔いの用意だ」

 とマシウスが言った。

「かしこまりました」

 とジャギが答えた。

「母上の棺もこの館から運び出し、父上と一緒に岬の墓所に埋葬する」

 マシウスがそう言い終えると、その瞬間にマシウスの右目の中にまた稲妻が走った。マシウスは暗い部屋の中にいた。扉が開きそこにマシシが顔を出す。そして「ナカ町に行こう!」と言った。ただそれだけだった。

 二度目の衝撃だったからだろうか、マシウスは首をふり、すぐに身体を立て直した。

「楽隊の用意だ。皆が参列できるように、この間のように弔いを行う。温かい飲み物と食事も用意するように」

「かしこまりました」

 ジャギがていねいに答え、メイドたちもまた働き始めた。

 するとまためまいが起こった。今度は夜空にこぼれるほどの星が輝き、またたいている空の下にいた。その光の中にマシシが見える。

「マシシ!」

 マシウスは思わず声を上げた。

 キミがびっくりして、マシウスを見つめた。

「マシウス様、大丈夫ですか?」

 キミはまた泣き出しそうな表情になっていた。マシウスはそのキミの声ではっと我に返り、「大丈夫だ」と答えた。そして、

「これからは何もかもわたしがいろいろ決めなければならない」

 ときっぱりと言った。

「どうぞ、何かありましたら、すぐにお申しつけください」

 とキミが言った。


 マシウスはたびたびめまいにおそわれるようになった。それは急にやってくる。そして、思いもよらぬ光景がマシウスの失われた右目の中に広がるのだった。そうすると、マシウスはまるでその光景の中にいるような錯覚にとらわれ、一瞬身体が動かなくなり、それが消えるまで次の動作に移れないのだった。

 その様子は、周りで見ている者にもわかった。

 ときどき、マシウスはまるで別世界に行ってしまったような、妙なことを言うこともあった。


 ジムントの葬儀の日もそうだった。まず、棺を抱え出す時に右目の中に稲妻が走った。マシウスは立ち止まり、棺を抱えている者たち、そのわきに着いて歩いていたジャギもキミもその様子の変化に気がついて一緒に立ち止まった。

 マシウス目の中には、今まで見たこともないような明るい世界が広がっていた。そこはたぶん海だ。白い砂浜が広がり、遠くに波が押し寄せてきている。そこでマシシがラッラの手を取り、かがんで何かを探していた。マシシが何かを見つけ、ラッラに手渡した。

 マシウスはまるで、今そこにマシシたちと一緒にいるような感覚になり、つい、

「おい、マシシそれは何なのだ?」とマシシに声をかけてしまった。そしてその自分の声で我に返った。周りを取り囲んでいた者たちは、そのマシウスの様子に戸惑い、なんと声をかけていいかわからなくなった。

 マシウスは、呼吸を整え、静かに言った。

「なんでもない。めまいがしただけだ」

 マシウスは、よくマシシが言っていた言葉を心の中で繰り返し、そして言った。

「ゆっくり、静かに、少しずつ進もう」

 キミはアンジュの目の中を確かめ、二人は目くばせし、そのほかの者も気を付けながら進んだ。

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