最後の歌姫 (2)
ドンドンドンと、控室の扉が叩かれたので、ミューリはびっくりした。まだ自分の出番ではないはずだ。何だろう? と不思議に思いながらも、ミューリは、
「はい」
と答え、控室の扉を開けた。
マシシがピンクのバラの花を一抱え持って、その後ろにマシウスが立っていた。
ミューリの目が点になった。
「なんでしょう?」
「スーメルクの坑道で歌う歌姫を探している。次は君に来てもらいたい」
とマシシが言った。その後ろに立っているマシウスはぴくりと動きもせず、黒いビロードの眼帯がかかった右目、じっとミューリを見つめる左目が冷たくミューリの心を突き刺すようで、ミューリは一瞬言葉を失った。
入り口の扉を開けたまま、ミューリは次にどうしていいかわからず、三人はしばらく立ち尽くした。
そこに、でっぷりとお腹の出たサルクネリがパブの方の扉を開けてどなった。
「ミューリ。もう、お前の出番は無しだ。今日からスーメルクの館で歌うのがお前の仕事だ」
そう言うと、サルクネリはバタンと扉を閉めた。
「そういうことなんでね。来てもらおうか」
とマシシが言い、ミューリの頭の中は真っ白になった。
「ほらほら。早くしないと、灰色狼が腹を空かせていてね。城に帰ったら狼たちの食事の時間。君にも豪華でとびきりおいしい食事をしてもらえるよ」
マシシが続けてそう言っても、ミューリは動こうとしなかった。
「無理に連れて行くなんてことをしたら、失礼だろう。ほら、君から、さあ先に行ってくれると助かるんだけどね」
でも、やっぱりミューリはちっとも動こうとしない。
マシシはわざとらしく懐中時計を取り出すと、時間を見て、
「もう、食事の支度はすっかり整っている時間だけどな」
ミューリが動き、バタンと扉が閉まった。
目の前で扉を閉ざされたマシシとマシウスはしばし呆然となった。
ドンドンドンとまた乱暴に控室の扉が叩かれた。
「おい! 何をしているんだ!」
マシシがどなると、部屋の中からミューリが答えた。
「あたしは、物や何かじゃないのよ! 人なの。そう簡単にあっちからこっちにって、動かされるような物じゃないのよ! まったく…、あなたたちの言っていることの意味がわからない! だいたい扉の叩き方が乱暴すぎる!」
ミューリはどうやら怒っているようだった。
そして、マシシの後ろでマシウスもどうやら、怒り始めているようだった。
間に挟まったマシシはしばらく考えて、まずマシウスに言った。
「マシウス。君はソリの中で待っていていいよ。ミューリは扱いにくい歌姫のようだから、少しゆっくり説明する必要があるみたいだ。あ、このバラはとりあえず、君が持っていてくれるかな」
とバラの花束をマシウスに押し付けた。マシウスはうんともすんとも言わず、大きなため息をひとつつくと、マシシに言われた通り、花束を引き取って外に出て行った。
マシシは深く息を吸うと、ゆっくりと静かに扉を叩き、優しい声でミューリに言った。
「ミューリ、すまんすまん。いろいろ急ぎ過ぎたようだ。とにかくゆっくり話をしたいから、中に入れてくれるかな?」
「だめ」
「とにかく、スーメルクの城では次の歌姫が必要なんだ」
「ラッラはどうしたの? おとといラッラの所にあなたたちが来て、連れて行ったはずよ。彼女はもう歌えないの?」
「うむ…」
マシシは少し考えた。この娘には慎重に言葉を選んで答えた方が良さそうだ。
「ラッラはいる。元気だよ。だけど歌えない」
「じゃあ、ラッラはどうなるの?」
またマシシは言葉に詰まった。
「君が来てくれれば、ここにまた戻って来ることができるよ。君と交代だ」
「じゃあ、まずラッラをここに連れて来て! そうしてから考えるわ。だって、これまでに何人もの歌姫が氷の館に連れて行かれて、一人も戻って来てない! あんたたちは歌姫を人とも思わず、物みたいに使い捨てにするんだわ!」
「だけどね、もうサルクネリの親方には話はついているんだ。もう、契約の金貨も払っている。それに、今、館の地下には歌姫がいない状態だからね、誰か代わりの人に来てもらう必要があるんだ」
「そんな、あんたたちの必要なんて、あたしには関係ないわ」
マシシはきょとんと扉を見つめたまま立ち尽くしていた。
「そんなに強情を張っていていいのかな。そんなことなら、君はここでももう歌えなくなるよ」
「だったら歌わない」
マシシは次の言葉を探してみたのだが、この娘に通用するような言葉は浮かんで来なかった。この娘を説得するよりは、マシウスの気を落ち着けて、今日は歌姫なしで館で過ごすほうが簡単そうだった。
「後悔することになると思うけどね」
「そうかしら?」
ここでマシシは今日のところはひとまずあきらめて、とりあえず城に帰ることにした。




