Phase 2 / If you want to be, be......._
『ねえ、君は言語ってどう思う?』
不意に――漠然とした質問を振られて、僕は少し戸惑う。
シエルが言っている意味……というか、話をどこに持っていこうとしているのかが解らなかったからだ。
僕は素直に、どういう意味? と訊き返す。
『解ってるくせに。item、言葉。人の発する音声のまとまりで、その社会に認められた意味を持っているもの。感情や思想が音声または文字によって表現されたもの』
……やめろよ。
『じゃあ応えて』
僕はまた少し考えてから、
……情報……じゃないかな。
と選んだ言葉を言う。
『なんでそう思うの?』
人は言葉から得た情報を手段に変換することができるし、作用の種類を変えて、違うベクトルで出力することができるから。
例えば、
“考えてみて欲しい”。
……という言葉で、きっと多くの人がこう思うんじゃないかな。
なにを?
なにを考えればいいのだろう?
言葉についてか?
説明が足りないぞ――とかね。
『たしかに。私もいまそう思った』
だろうね。
こんな具合に、言葉が、意味を乗せたテキストが入力になって、人間は考えるという行動を出力する。視覚、聴覚から得た情報が電気信号に変換され思考する。命令で動くロボットのように、他人の言葉で人間は突き動かされるんだ。
『哲学的だね。つまんない』
訊いてきたのはシエルだろ。
『私は、一ノ瀬さんが言ったことのほうが、好きかな』
なんで?
『ロマンチックだし、それに……』
それに?
『言葉は、私にあった唯一の繋がりだから』
......_
<record.003>
<etl=jp>
僕は中華鍋を振るっていた。
電磁プレートの上、鍋の中にはパリパリと美味しそうな炒飯が踊っている。
「すごいな! 自分が作ってるとは思えない出来だ!」
<商用ストレージからASTS(Action Standard Transmission Sort)技能データをダウンロードし、インプラントが経験としてあなたの脳へと伝達しています>
恥ずかしながら、僕は高校二年生にもなって料理が全くできない。
自動化が進む現代において調理するという行為自体が希薄になっているのも一因にあるけど、でもNLOを介すれば経験のない情報だって、こうして身体が出力をしてくれる。
「科学の進歩っていうのは多様性だな」
と、呟いてみてもシエルからの返事はない。
ここ数日でわかったことがある。
彼女は僕が抱いた疑問に対してのアンサーを提示してくれるけれど、しかし無意識的に出た言葉に対してはどうやら機能してくれないみたいだ。
一応の僕といえば、シエルに言っているつもりで口を動かしたわけなのだけれど……なんていうか……機械に無視されるというのは、少々辛いものがある。
僕は自分で作ったとは思えない出来栄えの炒飯を皿に盛り、
「いただきます」
と、実食。
一言で言うと、めちゃくちゃ美味かった。
「やばいな、これ。店でも開けそうだ」
そう嘯いてみてもやっぱりシエルは反応しない。
彼女も共感してくれればいいのに――なんて思ってみたりして、その実、僕はちょっと切なくなった。
僕の日常をサポートしてくれるIA補助AI『シエル』。
命名したのは僕。
ことの是非を問うことなく一つの事実として、もうシエルは僕の中に入っている。
<record.003/>
……ねえシエル。
これ、どういう意味?
『ごめん。間違えちゃった』
おいおい。
『見せたかったのはこっち』
......_
<record.004>
淡々と進む日常というのは、きっと今も昔も変わらない。
社会人なら会社へ。
学生の僕は学校へ。
それが当たり前の流れで、社会を作る流れ。
<item:[社会].世の中・人間の環境・またはその生活の事。>
けれど、それがずっと変わらないなんてことはない。
日々少しずつ変化している。
例えば学校。
『学生の本分は勉強』――などという戯言は、20年ほど前に消えてなくなった。
<成人を迎えれば、つまり大人になればNLOを介し色々な情報を自分の脳に書き込むことが容認されることになります。この国の法律では、未成年に対してNLOを介した情報を脳に書き込むことは、脳成長阻害の恐れがあるため禁止されています>
説明をありがとう、シエル。
しかし、もちろん。だからといって勉強をしないわけでもない。
教育機関がお題目の一つに挙げることの『心の成長』が学生の本分となって久しい――他人と言葉や仕草を使ったコミニュケーションや、努力するという心の行為を学ぶのがいまの学校のトレンドだ。
そういった社会を形成するための初芽は、いくらNLOだからといって書き込めるものじゃない。知能とは無縁の場所にあるものなのだ――と、先生がそう言っていた。
「ねー。おにーちゃん、肩車してーっ!」
「一緒にお絵かきしよー!」
「おれはドッジボールがいい!」
愛らしく僕に寄ってくる子供たち。
今日、僕はいつもの流れに背いて学校ではなく保育園に来ていた。
学校の保育実習――といえば……まあ、学校なんだけど。
「肩車は危ないからダメかな。ドッジボールもね。おんぶとかならいいよ」
そう僕が返すと、
「えー、それじゃつまんないー!」
「お絵かきしないのー?」
「じゃーおにごっこでどうだ!」
ブーイングの嵐が返ってきた。
だけならまだしも、あまつさえ腕を服を引っ張りだこにされる始末。
子供というものは、いつだって容赦というものを知らない。
<item:[子供].生命の発生から成人するまでのあらゆる段階にあるもの。胎児、乳幼児、児童、少年少女などの総称。>
シエルもシエルで、いちいち知っていることを出力しないで欲しい。
なんだか馬鹿にされているような気分になってしまう。
<申し訳ありません>
いいよ。
けれど、僕にだって子供たちを楽しませてあげたいと思う気持ちはある。でも、もし肩車をして子供に怪我でも負わせてしまったら、まず間違いなく僕が非難殺到に苦しむことになるだろうことは想像するに難くない。
そんな僕の思いもどこ吹く風で、子供は荒っぽいのに加えて、脆く傷つきやすいデリケートな存在ときている。
だからこそ繊細な対応が必要なのだろう。
……ん、あれ?
そうすると……高校生である僕も、一応は子供という枠の内にいるのか?
<法律的には。しかし、それは主観的な問題です>
「えい! かんちょー!」
と甲高い叫び声。
足すことの、予想だにしないお尻の激痛に飛び跳ねる僕の声。
「あはは、おもしろーい」
「おい! そっち囲め囲め、おにーちゃんのお尻を狙え!」
「わかったー!」
「……いや待て。ちょっと待て、なんでそうなるの!?」
抜群の連携を見せて僕を取り囲む子供たち。
頼むからもう少し僕のことも労わって欲しい。僕もまだ子供なんだぞ。
「面白そうなことしてるねー、なになに? おにーちゃんが悪者役かな?」
そう悪戯に言つつ、やってきた助け舟――同じクラスメイトである一ノ瀬綾奈だ。
彼女の顔を見、僕はほっと安堵の息をつく。
「ああ、良かった。一ノ瀬」
「人気者は大変だねぇ」
「助けてくれ、このままだと僕のお尻が大変なことに……」
「よし! じゃあ、お姉ちゃんも参加するぞーっ!」
言って、子供の包囲陣に加わる一ノ瀬。
「……おい」
即座に裏切られた僕の心境は、あえて語るまい。
「わー、仲間ふえたー!」
「おねーちゃんそっち! こいつはおれが仕留める!」
「了解! バックアップはわたしに任せて! みんな、かかれーっ!」
「おーッ!」
閑話休題。
僕がようやく解放されたのは、園児たちのお昼寝の時間になってからだ。
痛烈なダメージを負ってしまったお尻を労わりつつ、僕は一ノ瀬と並んで座る。
「本当に大変だったね」
「……うん。でもそれ、一ノ瀬が言っていい台詞じゃないよね……」
なぜか笑われてしまった。
何かが致命的におかしい気がする。
「ねえ、一ノ瀬は子供って好き?」
「ん? んー……好きだけど、そんなことを訊くってことは、君はもしかして嫌いなのかな?」
いや……あれ?
……まあ、そう捉えられても仕方ないか。
僕は応える。
「嫌いじゃないよ。ただ、真っすぐ過ぎてちょっと困るだけ」
「その素直さが可愛いんじゃない」
そうかもしれない。
件のお尻への無慈悲な暴力に目を瞑れば、たしかにそう思える。いや、思ってる。
「してあげたことに対して、真っすぐに返ってくるって。それって私すごく嬉しいことだと思う。そりゃたしかに行き過ぎた悪戯もあるけどさ。私は子供が好き」
ふと、思う。
<好き>
<item[好き].[名・形動].心がひかれること。気に入ること。また、そのさま。>
それは、『だから』なのだろうか?
それとも、『だからこそ』なのだろうか?
「……じゃあ、考えてみて欲しい。もし反応が返ってこなかったら、一ノ瀬は子供が嫌いになれる?」
「……随分と捻くれた言い方をするね?」
一ノ瀬は怪訝そうな顔をして、
「でも、それは実際にそうなってみないとわからないかな」
ここではっきりしておこう。
僕は子供が嫌いじゃない。むしろ好きだ。
「子供は……無駄な知識を持たないからこそ純粋で、無邪気に接してくれる。……だから僕は子供が好きだ」
「……意味深だね。君はいつからクリスチャンになったのかな」
「なった覚えはないよ。仏教も興味無いし」
「じゃあ、どういう意味?」
どういう意味だろうね。
僕は言葉を返さない。
「……なーんか、やな感じ」
一ノ瀬はそっぽを向いてしまった。
「無感動は共感できないよ。ていうか、どうしたの? 今日の君、なんだかおかしい」
「そうかな。そんなつもりはなかったんだけど」
一応は素直に応えたつもりだった。
けれど、それが不満だったのか、一ノ瀬は依然としかめっ面のまま言う。
「……学生の本分は心の成長でしょ? 精神的とか道徳的にとか」
「いまさらだね。それこそ小さい頃から親とか先生だとか大人に言い聞かされてる」
「じゃあ、それではここで問題です。今の君の行為発言は、私の精神面、加えて君の道徳観的にみて適したモノだったでしょうか否か」
「…………」
「ちゃんと謝って」
「……ごめんなさい」
「許した」
一ノ瀬は笑って見せてくれた。
「でも、なるほどね。全部はわからないけど、君の言いたいことはなんとなく解るよ。無邪気に寄ってきてくれなきゃ、私も君みたいに子供が嫌いになるかもしれない」
「僕は子供が好きだよ」
「私も子供は好き。でも、私は君とは違った意味で多分好き」
仕返しだろうか、一ノ瀬は意味深なことを言った。
僕はそれを否定する。
「いや、一緒だと思うよ。好意的な反応を返してくれなきゃ、一ノ瀬だって子供が好きだなんて言えないはずだ」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。でも……」
だとしてもだよ、と一ノ瀬は言葉を繋ぎ、
「愛情とかそういう……なんだろ、心っていうのかな? 受け入れたり、与えたりすることが大切なんだよーって私たちはもっと教わらなきゃいけないし、ちっちゃい子たちにも教えてあげなきゃいけない。大人になってもそれは変わらない」
すごいよね。
そういう感情の繋がりが、私たちを作ってくれてるんだなあって思うとさ――と。
「……そうなのかな?」
僕は訊いた。
「そうだよ。それが君と私の好きの差異」
と、一ノ瀬は応えた。
そうなのだろうか?
でも、きっとそうなのだろう。
僕の中で浮かぶ疑問に、シエルは答えようとはしなかった。
<record.004/>




