Prologue / Do android maiden dream of heart......?_
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<record.010>
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<etl=jp>
「人、ヒト、人間の価値や存在意義というものは自己認識で決まるものであって、究極言ってしまえば『Iの有無』。そこに他者の介入する余地はないだろう」
そうだろうか?
少なくとも僕にはそうは思えない。
「……大まかに、人間には二種類ある。自分の価値を周りの意識に見出すか、自分の価値を自身の中に見出すか。きっと君は前者なんだろうね」
本当にそうだろうか?
的は外れていないとしても、それだけが全てだとは思えない。
たしかに僕が、
<私が>
自分を肯定したところで、
<item:[存在].人間や事物があること。また、その人間や事物。>
<item:[理由].物事がそうなった、また物事をそのように判断した根拠。仔細。>
があるとはとても思えないし、価値が生まれるとも思えないけれど、たとえ他の誰かが僕を認めてくれたことで、それらが確固とするとも思えない。安易に定義付けるそれは、きっと他者の積み重ねてきた選択肢の中から適当な枠を付けただけであって、人間個人の理解とは程遠いし、ましてや僕個人という枠が理解されるなんてそれこそ思ってもいない。
人間は環境に依存する。
環境に判断基準を委託し、それが自分の考えであるという錯覚を起こす。
「つまり、人間という曖昧な枠は何か。君が言いたいのはそういうことかい?」
違う。
僕が訊いているのは、どこからどこまでが“自分”なのか、だ。
例えば僕の、
<item:[自分](代).反射代名詞。その人自身。おのれ。>
という存在がこの身体にあったとして、いったい僕はどこにいるのか?
脳、神経、骨髄、髄液、軟骨、動脈、静脈、毛細血管、筋肉、繊維、粘膜、しょう液、分泌液、皮膚、眼球……これらによって形成される僕という存在の核はどこにある?
頭か? 心臓か? 腹か? それとも細胞か?
「一般に『心』と呼ばれるものも、脳細胞……つまり、ニューロンとシナプスによる神経伝達物質の交換という単純な電気的、科学的プロセスにより作成されたもの、とされている」
その通り。
だから自分という枠の境界は曖昧にしかない。
だから人は『心』という曖昧に逃げたがる。
そんな曖昧でスピチュアルな判断のほうが、万人に共感を得やすいからだ。
まったく、笑わせてくれるよ。『共感は全世界の人間を親族にする』――とは、シェイクスピアの言葉だけれど、僕に言わせればそれは束縛だ。多数の集合意思による少数排除でしか無い。
それに、あなたは『心』を単純な電気信号のそれと言った。
だったら頭の中にいる彼女は、
<私という存在は>
すでに自分という存在を持っていて、人格としてある、と思うんだけど。
それは違うのかな?
「漠然とだが、なんとなく言いたいことはわかる。しかし、君の頭にあるのは造られた知能であり、人の意識ではない」
造られるのは人間だって同じだ。
それが神が創造したモノであろうと、社会によって定義付けられるモノであろうと、母親の腹の中で構成されたモノであろうと、何にしたって人は何かによって形作られている。
そうすると彼女とのあいだに、
<あなたとのあいだに>
明確な差異なんてものは、僕にはないように思える。
人は糸から紡がれ、電気信号で判断・取捨選択し、やはり電気信号で動く。感じ、考えることが人なのだとしたら、機械だって人工知能だって、
<僕だって>
人間という定義の中に存在しています。
混在する意識――この意識の中に私ともう一人が並列していて、誰かが認めないから消すと言うのなら、それは殺人にはならないのでしょうか? 身体を持つことを生きているとするなら、たしかに私は生きていません。けれど、だとしたらこの意識はなんなのでしょうか?
私は生きてはいないのでしょうか?
私は生きていてはいけないのでしょうか?
「……この世界には定義付けできていないことも多くある。いま、この世界の基準では君は生きていないことになる」
だから、
<僕を>
<私を>
<item:[消す](動サ五[四])目に見えているものをなくする。心や耳・舌・鼻などに感じていたものをなくする。また、感じないようにする。いなくなる。その場所から見えなくなる。殺す。否定する。>
……なるほど。
百年後だったら、あんたも殺人犯かもしれませんね。
<record.010/>
この作品は、筆者連載中の『人間×サイコ×ロジック』のスピンオフ作品です。
各作品に同名の人物が存在しますが、作品毎の関連性などはモデルが違うため存在しません。