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蒙古の使い
五年春正月十四日
京師(都)、
大火あり。
むかし、京都に限らず
江戸にしても、
火災は多かったようである。
二月六日
北條時宗奏すらく、
(天皇・上皇などに申し上げる。奏上する。)
蒙古、
高麗を介して
我が國に通好を求めたと云う。
高麗書を
奉る。
使いを派遣し
方物
(「方物」の献上を「朝貢」といい、
「朝貢」を行う使節を「朝貢使」と称する。 )
献じて来た。
朝議(朝廷の会議)
が行われ、
答書(返事)が書かれた。
時宗は、
蒙古の書辞の不遜
(思い あがっていること。)
成る事に及ぶと
返書は止められた。
その使いを退けた。
二十五日、
幣を二十二社に奉りて、
(神社の社格の一つ。
国家の重大事、
天変地異の時などに
朝廷から特別の奉幣を受けた。)
蒙古の難を避けん事を祈った。