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『国難』  作者: 中仙堂
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疫神

弘安元年春正月、北條時村、来たりて六波羅の北方に居る。

(六波羅探題北方に任じられた)

二月二十五日、内大臣兼近衛大将軍藤原家基、左近衛大将に転じ、

権大納言源通基、右近

衛大将を兼ね、二十九日改元す。


五月十二日延暦寺の僧徒日吉の十禪師、八王子、客人の三神輿を奉じて闕

(宮城:天子のお住まい)

に詣り園城寺の金堂を慶すること御齋會(僧尼を招いて食事を供する法会)

に準ずるを訴え、

神輿を省中に棄てゝ去る。

十五日、園城寺の宣旨を収む。

十六日、日吉の神輿歸座す。

十八日、百名の僧を動員して等身十一面観音像を興福寺に慶せしめて、疫を祓う。

五月半ばなれば、今の六月半ばで奈良京都辺りは、鬱陶しい梅雨の頃で


当時の疫病とは、疫神(疫病神(えきびょうがみ)疫神(えやみのかみ)が災い為す

とされていた。

都の彼方此方に疫病に祟られた病人や、死骸の山が垣間みられたであろう。

とてつも無く多くの人々の病苦が有り、治政者の悩みも大きかった事でしょう。

二十七日、奈良の僧徒の訴えをとり、前参議藤原頼義を安岐(大分北東部辺り)

に流す。

(罪人を辺境または島に送る刑)

冬十一月二十三日、二條殿焼く。

天皇、之を萬里小路に避く。

二年六月二十五日、元の将夏貴、范文虎の使いを博多にて斬る。

冬十月、北條時宗、兵を筑紫(古代九州の総称)に遣はして、元寇に備える。

十二月二十八日、京畿(京都周辺、畿内)諸国に勅(天皇の命令。

また,それを伝える文書)を

送った。


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