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『国難』  作者: 中仙堂
18/19

京師焼く

建治三年春正月三日 後宇多天皇元服(後嵯峨上皇の意志により文永5年(1268年)

生後8か月で立太子。同11年(1274年)1月に亡き上皇の意向を継いで亀山天皇から

譲位を受けて8歳で践祚。亀山上皇による院政が行われた。)

二十二日、新院に亀山殿に見える。

船を大井川に浮かべて、鵜を放たれたと云う。

時に元寇をめんことを(弭:弓の両端の弦をかけるところ。弓筈ゆはず

恐らく討つと道義語かと)十二社に祈るに、この月より始めて、月ごとに一社

ととす。二月二十一日右大臣、藤原忠教左近衛の大将を罷む。

夏四月二十六日、摂政兼平太政大臣を罷む。

五月八日、春日の神木遷座す。

秋七月十四日、京師(京の都)大いに焼ける。

二十六日、興福寺に震して災あり。

八月1日、左大弁藤原経長を遣はして調査させた。

冬十月一日、日に食に當りたれども、陰雨して見えず。

(天文の日食を当時既に予知出来たのでしょうか。

 雨天にして目視出来なかった

 と云う事でしょうか。)

十二月六日、秋より、疫多きをもって、仁王経を法勝寺にて轉読(熱心に)せしむ。

疫を祓はしめる。


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