表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『国難』  作者: 中仙堂
17/19

元寇を禳ふ

八月二十日春日の神木歸座す。

(もとの座に帰ること。

特に、神などがもとの御座所に帰り鎮座すること。)

二十七日、前右大臣藤原通雅を以て太政大臣となす。

九月7日、北條時宗、元使杜世忠、何文著等五人を

鎌倉に斬り、公私の用費を減省し、京師(都)に兵を

停め、腕の利いた士を選び鎮西(鎮西は九州の別称)の諸国に

分ち遣わした。

其れを以て元寇に備えた十一月二十三日、使いを柏原山陵

に遣わした。西国は俄に物々しい様に活況を呈して来た。


時折、街道を飼い成らされた軍馬の群れの足音が、いつ迄も

轟いた。

「父ちゃん、何の音かいね。」

「わがんねえ、お上のやるこたぁわがらん。」

街道を軍靴の音、軍馬の蹄の立てる音が響きわたると、

沿道に暮らす百姓共の心地は生きた気がしなかったとか。

十二月、北條時國、来たりて六波羅の南方に詰める。


建治二年春正月二十八日

新院、春日社に御幸し二十九日宮に還る。

三月二十九日、太政大臣通雅罷む。

閏月五日、孔雀経法を修して、

元寇を禳ふ。


(現代の歴史教科書には無い、様々な出来事に圧倒されます。)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ