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元寇を禳ふ
八月二十日春日の神木歸座す。
(もとの座に帰ること。
特に、神などがもとの御座所に帰り鎮座すること。)
二十七日、前右大臣藤原通雅を以て太政大臣となす。
九月7日、北條時宗、元使杜世忠、何文著等五人を
鎌倉に斬り、公私の用費を減省し、京師(都)に兵を
停め、腕の利いた士を選び鎮西(鎮西は九州の別称)の諸国に
分ち遣わした。
其れを以て元寇に備えた十一月二十三日、使いを柏原山陵
に遣わした。西国は俄に物々しい様に活況を呈して来た。
時折、街道を飼い成らされた軍馬の群れの足音が、いつ迄も
轟いた。
「父ちゃん、何の音かいね。」
「わがんねえ、お上のやるこたぁわがらん。」
街道を軍靴の音、軍馬の蹄の立てる音が響きわたると、
沿道に暮らす百姓共の心地は生きた気がしなかったとか。
十二月、北條時國、来たりて六波羅の南方に詰める。
建治二年春正月二十八日
新院、春日社に御幸し二十九日宮に還る。
三月二十九日、太政大臣通雅罷む。
閏月五日、孔雀経法を修して、
元寇を禳ふ。
(現代の歴史教科書には無い、様々な出来事に圧倒されます。)