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『国難』  作者: 中仙堂
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蒙古國號を改めて元と曰ふ

建治元年春二月六日賀茂社の鳴動を軒廊に占う。

(天変地異や不吉な事態が発生したときに、

紫宸殿 (ししんでん) の東軒廊で行われた占い。)

十一日 鷹司院崩ず。

列見(主に平安時代の朝廷における年中行事の一。

2月11日に、式部省・兵部省が選んだ六位以下の

器量ある官人を昇叙するため、それらの人を太政官に列立させ、

大臣もしくは上卿 (しょうけい) が引見する式)、宴を罷む。

三月二十八日、準三宮藤原位子を號して、新陽明門院と曰ふ。

夏四月十三日六條殿成りて新院、移御す。

十五日内大臣藤原師継を伊勢に遣はして、幣を大神宮に奉らしむ。


蒙古國號を改めて元と曰ふ。

其の臣、杜世忠、何文著、撤都魯丁等をして、長門の室津に至らしむ。

二十三日 長講堂(京都市下京区にある浄土宗の寺。

正称は法華長講弥陀三昧堂。もと後白河法皇が六条の仙洞 (せんとう) 

御所に設けた持仏堂に始まる。六条長講堂。)を慶す。

二十五日改元す。

五月十六日 興福寺の僧徒、事を訴うることを以て、春日の神木を

移殿に遷す。

六月朔日、日、之を食することあり。

(日食のことでしょう)

九日、前摂政右大臣忠家薨ず。

二十二日 興福寺の僧徒、神木を金堂の前に遷す。

秋 七月三日 法勝寺の八講(『法華経』8巻を第1巻から1巻ずつ

8回に分けて講義し賛嘆する法会。略して「八講」ともいう。

起源は中国とされるが,日本では延暦 15 (796) 年に奈良の石淵寺

の勤操が4日間『法華経』を講義したのを最初とする。)を罷む。

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