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禍愈々高し
十一月七日金輪法を延暦寺に修し、
幣を十六に奉り
十三日弊を三社に奉り
並びに蒙古の難を平げんことを祈る。
蒙古の禍愈々高し。
十九日 大嘗す。
(大嘗祭は、天皇が即位の礼の後、
初めて行う新嘗祭。)
二十日蒙古、将に復び来寇せんとするを以て五節を罷無む。
(五節:朝廷で、「大嘗祭」
「新嘗祭」のとき、四人(大嘗祭では五人)
の舞姫による舞を中心にして行われた行事。
陰暦十一月の二度目の丑・寅・卯
・辰の四日間にわたって行われた。)
朝廷で、長らく執り行われた神事も、蒙古の国難の前には
取り止めざる負えなかった。
二十二日には清暑堂の神楽を罷め、
猶、廻立殿の節會を修す。
十二月七日 七佛薬師法を延暦寺の根本中堂に修して蒙古の
難を祓う。
十四日 賀茂社・石清水宮の鳴動を軒廊に占った。
前右大臣藤原公基死す。
二十九日、盗、柏原山陵を発きしかば、使いを遣はして之を
検せしむ。