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御禊す
冬 十月五日、
蒙古対馬に襲来する。
守護代右馬允惟宗助國、
之に死す。
十四日、壱岐に寇す。
(寇すとは:害を及ぼす。また、損なう。
よって元寇とは元による被害を云うのであろう。)
守護代 平 景隆 之に死す。
我が國の国難に対し、
当時のつわもの共の奮戦振り
多くの書物にて描かれた通り
身命を賭してなんと、
荘厳で勇ましい事。
彼らの尊い活躍の跡に
今の我が國の繁栄が齎されている。
十九日筑前に寇し、
沿海の郡邑(ぐんいう:各地の意)を
掠む。(すきを うかがって、すばやく盗む。略奪の意)
二十日太宰府の兵、
之を防ぎて勝ち目が無く、
既にして賊船二百余隻漂没し、
(漂没:水に揺られながら沈むこと。 )
余賊(討ちもらされた賊)宵逃れ(暗闇から逃れる)
御禊す。
(御禊:天皇の即位後、大嘗会 (だいじょうえ) の前月
に賀茂川の河原などで行うみそぎの儀式。)