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『国難』  作者: 中仙堂
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金剛源

冬十月十二日、京師(都)大火に覆われる。

六條殿(京都の六条の北, 西洞院 (にしのとういん)

の西にあった後白河法皇の仙洞御所)、六條院、

若宮の長講堂に及んだ。


文永十一年春正月二十六日

天皇位を皇太子に譲る。

尊號をたてまつりて太上天皇と曰い、

新院と稱された。

伏見帝登極(天皇が帝位にお付きに成られること)

なさいました。

改めて中院なかのいんと稱された。


正應二年九月に剃髪をされました。

法名を金剛源。

嘉元元年四月戒を、東大寺にて

お受け為さいました。

二年九月十五日、

法皇、亀山殿に崩じ為さいました。

御歳五十七歳であられました。

火葬なさい、

御骨を浄金剛院、法華堂、

南禅寺、金剛峰寺にお分け祀られました。

てい

天資英鋭にして、材藝多し。

大炊御門殿が焼ける時、

大宮院、皇太子等を救出するを得たる、

豪の人成るや。

禪位の後、まつりごとに十四年、

弘安中、蒙古来寇した。

帝これを深く憂い、

願文を御書為されました。

大神宮に奉り、

身を以て国難に代わらんと祈られた。


伏見帝をお立て為さいます事は、

もとより、帝の本意成らずと記あり。

憂える日々が続かれた。


誓書を北條貞時に賜いた。

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