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〈金蜜亭〉

〈金蜜亭〉という屋号のその宿屋は、小ぢんまりとした四階建ての民宿だった。

 どの宿屋でもそうであるように、一階に食堂があり、二階から上が宿泊部屋になっている。酒場を兼業している宿のように、アルコールや煙草の煙が充満しているなどということもなく、気分よく過ごせそうな装いだった。

 部屋は二つ。リオンとクロードに一部屋、フィオのために一部屋を借りた。

 クロードは部屋に入るなり、窓際のベッドに荷物を投げ、

「飯だ飯だ、食堂に行くぞ」

 さっさと出て行ってしまった。

 慌てて彼のあとを追おうとしたリオンは、クロードの荷物中からもぞもぞと這い出てくる、黒い毛玉に気づいた。

「まったくあの馬鹿。俺が中にいるのに荷物投げんなって、何回言わせりゃ気が済むんだよ」

 ゼファーは悪態をつきながらベッドの上をちょこちょこと歩き、具合の良さそうな場所を見つけて、そこで丸くなった。宿に入る時に見咎められないよう、彼はクロードの荷物の中に潜んでいたのである。

「ゼファー、食事どうする? 何か持って来ようか」

「あ? ああ、行ってこいよ。俺のことは気にすんな、テキトーにやっとくから」

 黒猫は丸まったまま、尻尾を器用にひょいひょいと動かすのだった。

 


 食堂ではリオンたちの他に、三組の客がテーブルについていた。出された食事は、民宿らしく家庭的な料理ばかりで、味付けもよかった。

 食事の間、クロードとフィオの様子を、さりげなく観察してみた。昼食の時にも気づいたことだが、二人とも食べ方が綺麗なのである。フィオはともかくとして、クロードの食べ方までも洗練されていることに、リオンは少なからず驚きを覚えた。先入観はよくないとは思いつつも、なんとなくクロードは、細かいマナーなど気にせず、好きなように食べそうだという印象があったのだ。

 野営での簡単な食事では、それこそマナーなどあまり考えずに食べる。だが、こうしてきちんとテーブルにつき、ナイフやフォークを使うとなると、そこには育ちが滲み出るものだ。

 食事中は姿勢よく、ナイフもフォークも音を立てずに使いこなす。パン屑や食べかすをこぼすこともほとんどなく、実に綺麗に食べるのである。

 ただ、好き嫌いは激しいようだ。スープの中のセロリ、焼き魚の皮、細切れになったピーマンなど、これらを徹底的により分け、当然のようにリオンやフィオの皿に移す。

「あ、もう、教授。そろそろこういうのも食べられるようになってください」

 移されたピーマンやセロリと師匠を見比べたフィオは、子どもに言い聞かせるようなことを、大の大人に向かって言った。

 しかしクロードは意に介さず、嫌いなもののなくなった料理を、平然と食べ続ける。

「俺はいいのだ。充分な栄養というものは、お前らのような発展途上のガキこそ摂取すべきものであって、脳も身体も充実している俺のような健康な大人には不要なのだ。これも恩師の愛。文句を言わずに食え。ほれ、お前もだ」

 立派な屁理屈を述べつつ、クロードは他人事ひとごとのように、リオンに食事を促した。

「肉と一緒にだったら食べられるんじゃない? ほら、こうやって間に挟んで」

 実践して見せるも、クロードは柳の目を吊り上げ、

「食わん! そんなもん、俺は絶対に食わんぞ!」

 駄々っ子のように聞く耳を持たない。フィオのため息が聞こえた。

 クロードはこの他に、付け合せの揚げ芋もより分けていた。おいしいのにあれも嫌いなのかな、と、リオンは首をひねった。

 ふと隣を見ると、フィオも揚げ芋を残していた。フィオは自分の揚げ芋とクロードの揚げ芋を一枚の皿に集め、その他の空いた皿を、てきぱきと片付けた。

「あれ、フィオも揚げ芋が嫌いなの?」

 尋ねると、彼女は笑いながら首を振った。黒のお下げ髪が、柔らかく揺れる。

「いえ、これはゼファーの好物なんです。だからあの子に持っていってあげようと思って」

「そうなんだ。じゃあ、僕のもあげれば良かったかな。ごめん、もう食べてしまって」

「いいんです、量はこれでちょうどいいですから」

「ゼファーの食事って、これだけでいいの?」

「あれはそもそも、人間の食べ物は食わん」

 と、クロード。

「あれの主食は小動物だ。だいたいいつも、適当に餌を狩っている。だが、どういうわけか揚げ芋これは気に入っているらしくてな」

 ふうん、と軽く相槌を打った。わざわざ従魔ヴルのために残しておいてあげるという、これもまた意外な一面を垣間見て、リオンは少しクロードを見直した。

 揚げ芋を部屋に持ち帰ると、まだベッドで丸まっていたゼファーが、匂いを嗅ぎつけてぴょこんと起き上がった。

 黒猫は差し出された揚げ芋を、気のない振りをしながら一つも残さず食べたのだった。 

 それから数時間後、彼らは早めに床についた。



 

 目を開けると、視界は闇に満ちていた。闇の先に、天井板がぼんやりと浮かび上がる。

 眠れなかった。

 今は何時なんだろう。リオンはベッドに横になったまま、暗い部屋を見渡した。扉の上に時計が掛かっているが、明かりのない状態では、時刻を確認することは出来なかった。目は徐々に闇になれてきたものの、時計の文字盤のような、細かいものまでは見えない。

 どうにか眠ろうと目を閉じるが、睡魔がやってくる気配はなかった。

 何度か寝返りを打ち、体勢を変えてもだめだった。

 無理に眠るのは諦めた。リオンは自然と眠くなるまで待つことにした。

 眠れない理由は分かっている。

 初めて領外に出た興奮。

 昨日までは故郷アランセルにいたのに、今リオンは、カナン領の宿屋にいる。それも、昨日初めて出会った人間と、だ。

 最初の夜は野営のため、寝袋に入って直接地べたに横になったので、寝にくいという意味で寝つきが悪かった。

 しかし、こうしてちゃんとしたベッドに落ち着くと、かえって頭が冴えてしまって、旅立ちで興奮している自分の内面がはっきりと分かる。

 リオンは首を動かし、右隣のベッドで寝ているクロードを見た。

 魔導師は静かに眠っていた。足元の布団の上に、黒くて丸いものがある。彼の従魔がうずくまっているのだ。

 その向こうの壁を隔てた隣の部屋では、フィオが泊まっている。

 たった二日で、色々な変化が起こった。気持ちが高揚するのは当然だ。

 夜は長い。寝つきそびれたリオンは、“仲間”達についてつらつらと思いを巡らせた。

 フィオレティア・ゲイブルズ。歳を聞いたら、リオンと同じ十六歳だった。

 今までに見たこともないような、とびっきりの美少女だ。魔導師の卵であり、その実力は昨日の通りである。

 上流家庭の娘のように、物腰は柔らかく言葉遣いも丁寧で、よく気がつくし、真面目だ。

 ただ、他人に対し、すぐに自分の全てを見せようとしていないような気がした。親切だけれど、薄板一枚の壁を立てられている感じだ。

 その彼女が心を開いているのが、彼女の師とその使い魔であろう。

 クロード=クラウディオ・ハーン。フィオにこっそり訊いたところ、年齢は三十五だそうだ。

 まごうことなき変人である。何をしでかすか分からない。わがままで自分本位。人の話はほとんど聞いていない。聞いても素直に従わない。まるでガキ大将だ。出会ってたった一日だが、だいたいそういう性格だと把握した。

 魔導協会〈アルジオ=ディエーダ〉の有力な魔導師だとフィオは言っていたが、詳しい立場はまだ話してくれない。

 クロードに付き従うゼファー。黒猫の姿は仮のものだと聞いた。本性は何なのかと尋ねたが、なかなか明かしてくれない。

 自己中心的な魔導師の奇天烈な言動を、真面目な弟子と、対等に口をきける使い魔がたしなめる。

 そういう関係図が出来上がった。

 まとまりがないように見えて、案外均衡のとれた関係かもしれない。

 リオンは、羨ましいと思った。多くを語らずとも理解し合い、対等に言葉を交わせる。そういう相手がいるのは、人間関係が恵まれている証だ。

 リオンにとってのそんな相手は、兄くらいのものだった。

 レスターを始めとする警備隊の面々は、歳若いリオンを、いつも気にかけてくれた。だが彼らは友達とは違う。近所の少年達とは友人付き合いをしているが、親友と呼べる相手はいない。

(寂しい奴だな、僕は)

 気持ちが沈み、憂鬱なため息が出てきた。

「暗闇の中で辛気臭いため息をつくな。夢見が悪くなる」

 隣から低い声がした。少し機嫌が悪そうだ。

「教授、起きてたんだ」

「すぐ横でモゾモゾゴロゴロされれば嫌でも目が覚める。さっさと寝ろ」

 リオンはクロードの方に身体を傾けた。

「寝れないんだよ。眠くなるまで話さない?」

「合宿中の女学生かお前は」

「女学生じゃないけど、心境としては近いと思う。たった二日で、今までとは全然違う経験したからね」

「そりゃ良かったな。満足したんなら寝ろ」

「だから眠れないんだ。あのさ、訊いていい?」

「だめだ」

「なんで“教授”って呼ばれてるの?」

「お前案外いい度胸してるな」

「どこかの講師だったわけ?」

 クロードは呆れたように、大げさにため息をついた。

「お前はまったく何も分かっちゃいないな。響きが良いからに決まってるだろうが」

 訊く質問を誤った。

「じゃあさ、奥さんはどんな人?」

「お前なんぞに話すのはもったいないレベルだ」

「どこで知り合ったの? 結婚して何年?」

「それ以上喋ると、添い寝しながら首絞めるぞ」

 リオンは即座に口を閉じた。

 ついでに目も閉じ、どうにか眠ろうと深呼吸を繰り返す。その努力が実って、ようやく睡魔が眠りに誘いに来てくれた。

 そして、あの夢を見た。

 白い大地に立っていると、男のような、女のような、子供のような、老人のような声がする。

 解き放て、と言う。

 少し声が近くなっていた。


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