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旅路

 アランセル領には、一本の大きな街道が通っている。名称をリマ街道という。

 領内の北から南まで、筆を引いたように真っ直ぐに伸びており、北と南の領境の町をつないでいる。

 カナン領へ行くには、南の領境レドニスからアルセル平原に出なければならない。リオン達の最初の目的地は、領境の町レドニスである。

 

 

 ベイルゼンからレドニスまでは、歩けば一日かかる。いくらアランセルが狭い領とて、徒歩で移動するとなると、それなりの時間を要するのだ。今から休憩を挟みながら歩いていけば、明日の午前中には到着する。

 リマ街道の周辺は、草原と岩ばかりという光景だった。風は草を波立たせ、時折岩の上にリスが姿を見せた。

 遠くに沼が見えるが、リオンは沼の名前を知らなかった。

「いいところですね」

 隣を歩くフィオの黒髪が、風に揺られている。少女は風が優しく触れてくるのに身をまかせ、その感触を楽しんでいるようだった。

「空気がとても澄んでる」

 フィオの率直な感想に、リオンは苦笑いした。

「でも、何もないところだよ」

「そうですか?」

「いいところだとは思うけど、山以外には何もない。都会の人から見れば、退屈なんじゃないかな」

「私はこういうところ好きですよ」

 菫色の瞳が、きらめきながら細められた。

「確かに都会は物が充実しているけれど、それだけでは“豊か”とは言えないと思うんです」

「君の故郷はどこなの?」

 尋ねると、フィオの表情が一瞬固まった。訊いてはいけないことだったかと、リオンは慌てた。

「ごめん、答えたくないなら、いいよ」

「いえ、その」

 フィオは少しだけ目線をそらした。

「覚えていないんです。小さい頃に、生まれた場所を出たから」

「そう。じゃあ、今はどこに住んでるの」

「王領シアブールの教授のお宅でお世話になってます」

「ええ!?」

 リオンは、前方をすたすた歩く黒衣の魔導師の背中を、穴が開くほど凝視した。

 魔導師の足元には黒猫がいて、ちいさな四肢で、健気に主人のあとをついていっている。

 リオンの反応が意外だったのか、フィオはつぶらな瞳をしばたたかせた。

「弟子が師のお宅に住まわせてもらうのは、そんなに驚くことですか?」

「い、いや、それ自体はおかしくはないし、むしろ普通だと思うんだけど」

 この驚きを、どう説明してよいやら。リオンはこほんと咳払いした。

「なんていうか、会って間もない人をこんな風にいうのも悪いんだけど、大変じゃない? あの人と一緒に暮らすっていうのは。いろいろと」

 フィオは合点がいったのか、クスッと笑った。

「大変ですよ、ものすごいわがままですもの。大人の男の人というより、やんちゃな男の子に近いです。でも慣れました。奥様もいらっしゃるし」

「結婚してるんだ!?」

 彼と結婚できる女性とは、一体どんな人物なのだろう。リオンはもう一度、黒衣の後ろ姿を凝視した。

「とっても仲がいいんですよ。教授、すごく愛妻家で。羨ましいくらいです」

 フィオの羨望の口調は、彼女が嘘をついていない証と、リオンは受け取った。 

 司堂での傍若無人振りからは、愛妻家の姿は想像もつかなかった。しかしそれは、リオンがまだ彼のことをよく知らないからであって、真実の姿はまったく違うのかもしれない。

「ところで、そろそろ教えてくれないかな」

「何をです?」

「君達がベイルゼンにいた理由さ。あの人、バーラムが現れたことについて、何か心当たりがある素振りを見せたって、隊長が言ってたけど、どうなの?」

「そうですね。その件については、教授にお訊きしないと私も分かりませんが、私達があなたの街に来た理由だけでもお話しますね」


 

 魔導協会〈アルジオ=ディエーダ〉には、あらゆる方面から魔法が関わっていそうな事件の調査・解決の以来が舞い込んでくる。

 協会には、そういった依頼を専門的に引き受ける部署がある。

 教授ことクロード=クラウディオ・ハーンと、その弟子フィオレティア・ゲイブルズ。二人はその部署に所属しているのだそうだ。

 先日彼女らは、アランセルの北の方で起きたとある事件の調査を引き受けた。事件を無事に解決し、帰路についたその途中で、ベイルゼンの近くを通りかかった。その時に、バーラムの群れを見たのだ。

 人里の近くにバーラムが群れているのは異常事態である。二人は急いでベイルゼンに向かい、そしてフィオはリオンの危機に駆けつけた、ということだった。



 つまりは偶然だったのである。

 この二人がベイルゼンの近くを通らなかったら、司堂はもっと凄惨な被害を受けていただろう。そう考えるとぞっとする。

「あんな風に群れて、特定の何かを狙うなんて、変だと思いました。教授が、バーラムを操る何者かがいると言うので、なるほど、と」

「そういうことって、今までにあった? つまり、バーラムを操る力のこと」

「いえ。聞いたことはありますが、実際に見たことはありません」

 フィオの表情が少し曇る。

「バーラムを意のままに操る技術は、たしかにあります。でも、それは禁忌なんです。協会の上層部の、ほんの一部の人しか知らないはずなんです」

「門外不出ってことだね」

「はい。でも、その技術が使われているということは……」

 ――禁忌である技術が漏洩している。

 そういうことになる。




 人生初の野営で一晩を明かしたリオンは、慣れない寝袋での寝起きに、身体のあちこちを強張らせるはめになった。

 フィオとクロードは野営には慣れきっているようで、まったく何の支障もなく、今日も元気に歩き続けている。

 老人のように骨を軋ませながら歩くのを、黒猫に揶揄されながら、レドニスには予定通りの時間帯に到着した。

 

 

 領境レドニスは宿場町であり、七軒の宿といくつかの商店があるだけの、ベイルゼンより小さい町だ。

 レドニスからはカナン領方面のジルシア街道と、東の国境へ向かうウラシ街道が伸びている。レドニスに立ち寄る旅人は、南から訪れる者より、東の国境側からの旅人の方が多い。彼らはレドニスで小休止し、ジルシア街道の方へと流れていく。ベイルゼンのある北方面への旅人は少ない。

 レドニスから一歩外に出れば、そこはアルセル平原だ。町と平原を隔てるものは、石と木でできた門である。門扉は常に解放されていて、閉じられることはあまりない。このような門は、国内の各地の町にある。かつての関所の名残である。関所が廃止された後は、撤去された門も多くあるが、レドニスのようにそのまま残されている場所もある。

 リオンはアランセルからカナンを含む、国内北東地方を描いた地図を開いた。

 ジルシア街道は、ほぼ真っ直ぐにカナン領へ向かっている。道に迷う心配はないが、案じている点は別にあった。

「よかった、ネズの木の印はない」

 地図には、旅人の安全のために、必ずネズの木の生えた場所に印が書き込まれている。ジルシア街道周囲には、ネズの木の印はなかった。

 するとクロードが背後から地図を覗き込み、

「阿呆め、相手がバーラム使いだということを忘れたか。変わった髪をしている割に、頭は緩いな」

 リオンの灰金髪スモークブロンドの髪を、くしゃくしゃにした。

「髪の色と頭の具合は関係ないじゃないか。でも、ネズの木がなくてもバーラムを操ることができるの?」

「ネズの木の枝葉、実、灰、なんでもいい。それらを駆使して操るのだ。だからネズの木が生えていない場所でも、連中を召喚できる。だが、そこまでの技術を身につけるには、それなりの実力を得ていることが前提だがな。

 お前の町を襲った奴。そいつの実力がどれほどのものか、街道に出れば分かるさ」

 ネズの木のないジルシア街道でバーラムが襲撃してきたなら、相手は相当手強い人物である、とう証明になるわけだ。

「ねえ、そういえば……、えっと、教授」

 彼をどう呼べばいいのか分からなかったので、リオンはフィオに倣ってみた。

「バーラム使いに心当たりがあるの?」

 答えるのを渋るかと思ったが、彼は、

「まあな」

 あっさり認めた。

「一体誰なんですか。教授は最初から、犯人をご存知だったんですか?」

 と、フィオ。

「心当たりがある、というだけだ。まだそいつだとは決め付けられん。ただ、俺が考えている奴が犯人だとしたら厄介だ」

「では、やっぱり強敵だということですか」

「手強いといえば手強いが、所詮俺の敵ではない。厄介なのは性格の方だ」

 クロードはニヒルに笑い、きっぱりと言い切った。

「まあ、どうあれ、バーラム使いほどの実力者なら、ジルシア街道で襲わせるようなアホな真似はするまい」

「なぜです?」

「ジルシア街道は平原を通っているのだぞ。だだっ広い平原では身を隠す場所もない。バーラムを操っている間は、他の事に気を取られている暇はない。少しでも気を抜けば、バーラムの呪縛が解け、逆に自分が襲われる。必然的にバーラムに集中しなければならなくなり、その間はほぼ無防備だ。従魔に守らせる手もあるが、隠れられないのなら意味はない。召喚中の無防備な状態をさらすなど、どうぞ攻撃してくれと言っているようなものだ」

「なるほど」

「じゃあ、街道はひとまず安心していいってことかな」

 少しほっとしたリオンに、クロードは意地の悪い笑みを見せた。

「平和ボケしているなヘタレめ。カナン領に入ったら、必ず仕掛けてくるぞ」

「う……。そんなこと今言わなくてもいいじゃないか。それじゃあ四六時中、どこから敵が現れるかビクビクしてなきゃならなくなるよ」

「ビクビクするな、堂々としてろ。向こうが攻撃してきたら、間髪入れずに返り討ちにしてやれ」

 簡単に言ってくれるよ、と、リオンは胸中で文句を垂れた。実際に魔法を使うところを見ていないので実力のほどは分からないが、この男、よほど自分の力に自信があるようだ。ならばその自信に見合った能力を備えているのだろう。

 自分に自信があるのは、リオンとしては羨ましいものではあるが、それを基準にされても困るものである。

「なあなあ、あれ!」

 足元から軽快な声がして、目線を下げると、黒猫のゼファーが器用に片方の前足を上げ、何かを指していた。

 ゼファーが示す先には日用雑貨店があり、店先に一台の農耕用ビークル(浮揚艇)が停車していた。

 箱のような形をした農耕用ビークルは、地上から数十セトルほどの位置で空中停止していた。ビークルの持ち主は、恰幅の良い初老の男性で、雑貨屋から木箱を運び出しては、ビークルの荷台に積み込んでいる。

「あれ、カナン方面に行くんじゃねぇか? 乗せてってもらおうぜ」

「だめよゼファー。ご迷惑になるわよ」

 フィオはやんわりとたしなめるが、使い魔の提案に、クロードが乗り気になった。

「おお、いいなそれ。お前、交渉してこい」

 どん、とリオンの背中を突くクロード。

「え、ちょっと、なんで僕が」

「何のためにお前の同行を許可したと思っている。こういう時に役に立たんと、ただの金魚の糞だろうが」

 やはりこき使うために巻き込んだのだ。

「でも、あの人がカナン方面に行くとは限らないし、フィオの言うとおり迷惑に」

「それを確かめるのも、交渉役の仕事だろうが。ごちゃごちゃ言ってないできびきび動けッ」

 乱暴なことにクロードは、軽くではあるが、リオンのふくらはぎの辺りに蹴りを入れた。その勢いに押される形で、仕方なくリオンはビークルの方へ歩いていった。

 リオンが近づいた時には、男性は木箱を積み終えたようで、額の汗を拭いひと息ついていた。

「あの」

 おずおずと声をかける。ヒッチハイクなど生まれて初めてである。

「ん、なんだね」

 男性は汗を拭き拭き、リオンの方を向いた。日に焼けた赤ら顔である。

「すいません突然。えっと、その、カナン領方面に行くんなら、載せていってもらえませんか?」

「ヒッチハイクかね」

「あ、はい。僕だけじゃないんですけど」

 リオンは後ろの方で、心配そうに見守るフィオと、にやにやしながら面白がっているクロードとその使い魔を示した。

「三人と、ヴ……猫一匹です。行き先が違うんならいいんです。もちろん、迷惑だったら無理にとは言いません」

 農家の男性は、ふむ、と唸り、少しの間リオンと後方の二人と一匹を交互に見、

「まあ、構わんよ。帰るのはカナン領だからね」

「本当ですか!」

「ああ。ただ、荷台に乗ってもらうしかないが」

「全然いいです、ありがとうございます!」

 人生初のヒッチハイクが、予想以上にうまくまとまり、リオンは嬉しくなった。

 こうして運よく、親切な農家の男性にめぐり会った一行は、ビークルの荷台に乗って、ジルシア街道を渡ることになったのである。


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