旅立ち
魔導協会〈アルジオ=ディエーダ〉。
その名のとおり、魔法とその使い手、そして魔法に関するあらゆる事項を司る、世界でもっとも巨大な機関の一つである。
クロードが掲げたメダルに描かれているのは、協会のシンボルマークである〈カドゥケウス〉だ。
協会が取り扱う事柄には、バーラム関連事項も含まれている。何らかの事件にバーラムが関わっている場合、要請があれば協会から派遣された調査隊が事件解決を担当する。もしくは、要請がなくとも、協会の方から直々に事件の調査を引き受けるケースもある。
協会がこのように動いたなら、よほどの事情がない限り、これを拒否することはできない。
マルクに反論の余地はなかった。しかし、生真面目なマルクのこと。このまま引き下がらなければならないという事実に、素直に納得できているはずがないことは、リオンにも分かった。
「しかし、それではこちらの立場がない。実害はほぼなかったとしても、バーラムが現れ、町人に危険が及んだのだ。その原因を、地元の警備隊が調べもしないというのは」
「しつこいなあんた。生真面目すぎるのもほどほどにせんとハゲるぞ。いいだろう。それならあんたの名代として」
言うや魔導師は、いきなりリオンの襟を掴み、ぐいっと引き寄せた。
「このひょろっこい奴の同行を認める。こいつに調査を手伝わせ、後日報告させればよかろう」
「ええ!?」
突然の提案に、リオンは慌てた。
「ちょっと、どうしてそうなるんですか! なんで僕が!?」
「魔導師、彼はまだ新人だ。隊員を同行させていいと言うなら、私が適任者を選ぶ」
マルクはそう申し出たが、クロードは首を縦に振らなかった。
「むさくるしい野郎なんぞお断りだ。妙な奴がついてきて、嫁入り前のうちの弟子にちょっかい出したら殺すからな。こいつを見ろ!」
クロードは、今度はリオンの両頬を、片手で掴んだ。
「この人畜無害な室内飼いの小型犬のような目を。おお、オッドアイか! まるで『こき使って下さい』と言わんばかりの従順な目じゃないか! 持って生まれた使いっぱしりの目だろう、これは! ぬ、よく見れば髪の色もなかなか珍しい、生意気な。伸ばして鬘にするがいい。高く売れるぞ」
ひどい言われようである。
「使いっぱしりではなく、名代のはずだが」
「隊長よ、名称はどうあれ、代理というものは結局使いっぱしりなのだ。どうする隊長殿。この室内犬を同行させれば、一応の面目は保てるぞ」
脅迫紛いの魔導師の言葉に、マルクはなんとも言えない表情になった。
当のリオンは、自分を差し置いて交わされる会話を聞きながら、「もう好きにしてくれ」と諦めた。ここで自分の意見を言ったところで、おそらく全て却下されるのだろうから。
マルクが何かを訴えかけるように、リオンを見た。リオンは、彼が何を言いたいのかを察し、軽く頷いた。仕方なく、ではあるが。
マルクはリオンの意思を理解し、彼もまた、頷いた。
「わかった。彼を同行させよう」
「決まりだな」
にやりと笑うクロードは、裏取引を優位にまとめられた悪党のようであった。そして、ようやくリオンを解放した。
強めに頬を掴まれていたリオンは、痛みを和らげようと頬をさすった。
「あの、ごめんなさい」
フィオが申し訳なさそうに頭を下げる。
「教授、言い出したら聞かなくて。本当に嫌だったら、私がなんとか説得しますから」
「いや、いいよ。警備隊の誰かが同行しなきゃ、面目が立たないのは事実だし。君こそいいの? 僕がついて行っても」
「私は特になんとも。教授と一緒にいると、いろんなことが起きますから。少しくらい予想外の出来事があっても平気です」
「あ、そう」
「こらお前!」
いきなりクロードに怒鳴りつけられ、リオンは思わずビクっと肩を震わせた。
「何をぼさっと突っ立ってるんだ! さっさと出発の支度をして来い!」
「えっ? 今すぐですか」
「当たり前だ馬鹿者。今何時だと思っている。まだ太陽は天中にないんだぞ。ぐずぐずしてないで早く行け、駆け足!」
有無を言わさぬその口調に、リオンが逆らえるはずもなく、命じられるままに司堂を飛び出した。
帰宅したリオンは、大急ぎで旅の準備を始めた。
旅の準備といっても、どういったものを持っていけばいいのかよく分からない。領内の観光旅行とは訳が違うのだ。ともかくも、必要になりそうだと思えるものを、荷袋に詰めた。
慌しく家の中を駆け回っていると、玄関の扉がノックされた。「どうぞ」と答えて、入ってきたのはレスターだった。
レスターはいそいそと旅の支度をするリオンを不思議そうに眺めた。
「おいリオン。お前、あいつらと一緒に行くって本当か」
「あ、うん、急な話なんだけどね。今日中に出発するよ」
レスターは解せぬ顔で、手近にあった椅子に座り込んだ。
「何でお前が行かなきゃならないんだ。アランセルすら出たことないだろ」
「そうだけど、たぶん逆らわない方がいいと思う。僕一人でも同行すれば、隊の立場は守れるし」
「だからってなあ。お前、断ればよかっただろ、そんなの」
納得がいかないレスターは、我が事のように憤慨し、唇を尖らせる。
「駄目だぞ、嫌なことははっきり『嫌だ』って言わなけりゃ」
「う、うん。だけど、ほら、もう決まっちゃったことだから」
どうして断れなかったのかと、リオン自身、今更ながらに思っている。だが、決まってしまったものは仕方がない。
ため息をつきながら、レスターは髪をぐしゃぐしゃと掻いた。
「俺はな、『弟をくれぐれも頼む』って言われてんだよ。よそでお前に何かあってみろ。どの面さげてあいつに会えばいいんだ」
彼の言う“あいつ”とは、リオンの兄のことである。レスターは、リオンの兄が王国軍に入隊するために王領へ旅立つ時、弟を気にかけてくれるよう頼んだのだ。
「そんなに心配することないよ。旅っていってもカナン領だよ。そんなに遠くないんだから」
リオンはレスターを安心させようと言ったが、自身は内心不安でいっぱいだった。
今までアランセル領を出たことがないのだ。よそでは何が起こるか分からない。旅先では、レスター達に頼ることも出来ないのだから。
――でも。
リオンはそこで、前向きに考えてみることを試みた。これは良い機会なのだ。これまでの消極的な自分を、旅を通して変えられるかもしれない。
旅には憧れていた。まったく不本意な形で旅立つことになったが、こんなきっかけでもなければ、領を出ることもなかっただろう。
「こうなった以上は、今回のバーラム事件の真相を、ちゃんと解き明かしてくるよ。レスター達待たされる側にしてみれば、僕じゃ不安があるだろうけど」
「お前の口から、そんな前向きなセリフが聞けるとはな。外に出て行けば、案外一皮剥けるかもしれねぇぞ。いや、しかしな」
ううんと唸り、腕を組むレスター。
「あの変な魔導師にこき使われることを考えると、お前が不憫で」
「なんでこき使われること前提なんだよ」
旅支度を済ませたリオンは、駆け足で司堂に戻った。
レスターとは、司堂で行く道と詰め所へ行く道の分岐路で分かれた。
自分が代わりに行こうか、というレスターの申し出を断ったリオンは、レスターに別れを告げ、司堂へと急いだ。
司堂の前では、マルクと宰師長、そして魔導師クロードとその弟子フィオ、従魔の黒猫ゼファーが待っていた。
リオンはマルクと宰師長に見送られ、クロード達と町を後にした。
町の出口に立った時、リオンは一度、町を振り返った。
アランセル領とカナン領は、アルセル平原を貫くジルシア街道で結ばれている。そう遠い場所ではない。
旅といっても、長引くものではないだろう。リオンはそう思っていた。
隣のカナン領までの、短い冒険だ。
クロードに急かされ、彼らのあとを追い、リオンは慌ただしく町の外へと踏み出した。




