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名もなき鍵

 マルクと宰師長が去ったあと、少女は男の態度を咎めた。

「教授、もう少し振る舞いを改めて下さい。いつも申し上げていますが、あれでは喧嘩を売っていると思われても仕方ないです。ゼファーはどこですか」

「知らん。小便でもしに行ったんだろ。それよりフィオ、そのひょろっこい奴は誰だ」

 男の鋭い視線が、再びリオンに注がれる。リオンは居心地の悪い思いをしつつも、そうか、この子はフィオというのか、などと思った。

 そういえば名前を聞いていなかったし、こちらも名乗っていなかった。どうして郊外の森にいたのかも説明されていない。

「あの、リオンです。リオン・グリュアース。一応警備隊の一員で、彼女にはバーラムから助けてもらったんです」

 自己紹介したものの、男のリオンへの興味はすでに失せていた。彼は少女を見上げる。

「フィオ、バーラムは何体だった」

「四体です」

「種族は」

「シャドウハイドです」

「倒すのに何分かかった」

 フィオは一瞬言葉につまり、そろそろと答えた。

「……三分です」

「長い!」

 椅子から勢いよく立ち上がった男は、食べかけのパンを持ったまま、フィオの頭に拳骨を喰らわせた。

 ごつんという鈍い音がした。

(うわ、本当に拳骨だ)

 リオンは、フィオが被った痛みを想像し、思わず顔をしかめた。女の子に対して拳を振り下ろすとは、なんというスパルタか。

「このクロード=クラウディオ・ハーンの弟子ともあろう者が、シャドウハイド程度の雑魚に三分もかけてどうするか!」

「はい、すみません」

 フィオは殴られた頭をそっとさすっている。相当痛かったと思うのだが、少女の目には、一滴の涙も浮かんではいない。

 リオンは彼女をフォローしようと、男――クロードに言った。

「でも、彼女の立ち回りは凄かったですよ。バーラムに反撃させなかったし」

「当然だ!」

 クロードはリオンに人差し指を突きつける。相変わらずパンを握ったままだ。早く食べてしまえばいいのに、とリオンは思う。

「この俺の弟子だぞ。そんじょそこらの連中より戦えなくてなんとする」

「はあ」

 クロードの人差し指は、フィオの眼前に移動した。

「いいか、何事も先手必勝。られる前にる。相手に隙を見せるな。動きは最小限。無駄なく、逃さず、瞬殺だ!」

「了解しました、一撃必倒ですね」

「そうだ、天魔覆滅だ!」

 どうも魔導師の師弟の会話というより、闘士の師弟の会話としか思えない。

(何かずれている気がする)

 そう思うのは、自分の見解の狭さからくるものでは決してないはずだと、リオンは考える。



 その後しばらく、師弟の妙に熱いやりとりは続けられた。ほったらかされた――というよりついていけない――リオンは、長椅子に腰掛け、ぼんやりと師弟を眺めつつ、マルクと宰師長が一刻も早く戻ってきてくれないか、それだけを願った。

 司堂の入り口を振り返ると、仲間達の姿がない。その意味するところは一つ。

「あとはお前にまかせる」

 レスター達は早々に、厄介そうな魔導師に関わるのを回避したのだ。

 リオンは憂鬱な気分に陥った。いつも貧乏くじばかり引いているような気がする。自分が不器用で、うまく立ち回れないのも原因だと思うが、そのために面倒なことに巻き込まれるのは不本意だ。

 深々とため息をつく。

 そこへ、どこからか一匹の黒猫がやってきた。まだ若い猫だ。全身黒いが、四つの小さな足だけは、靴下を履いたように白い。両目は深い森の中を思わせる鮮やかな緑だ。

 黒猫はリオンの横に飛び乗り、魔導師とその弟子を見て、

「はあ、またやってら。毎回毎回よくテンション持つぜ」

 喋ったのである。

 リオンはしばし猫を凝視したあと、肩を落としてうなだれた。

「ああ、僕は疲れてるんだ。だから変な夢見たり、目が痛くなったり、猫が喋ったように聴こえたりするんだ。幻聴かあ。そうとう疲れてるな」

「何をおっさんくせぇこと言ってんだ、お前。従魔ヴル見たことねぇのかよ」

 幻聴ではない。猫ははっきりと、間違いなく喋った。

 リオンはあんぐりと口を開け、喋る猫を穴が開くほど見つめた。

 マルクと宰師長が戻ってきたのは、ちょうどその時だった。

 


 戻ってきた二人に気づいたリオンは、猫への関心を一旦脇に避け、出迎えのために立ち上がった。内心では彼らが戻ってきてくれたことに、ほっとしていた。

 フィオとクロードも二人に気づき、熱いやりとりを中断させた。

「お待たせいたしました」

 宰師長は両手で小さな箱を持ち、それをクロードに差し出した。樫の木と思われる木材で出来た、これといって特徴のない平凡な箱だ。

「これが原因なのかは、正直に申し上げますと、なんとも言えません。しかし、これ以外には何もないかと」

「いいから開けて見せろ」

 クロードに促された宰師長は、一つ頷いて小箱を開けた。

 箱の中には、紺色のビロードの布が敷き詰められ、その上に、一本の鍵が納められていた。

 家屋用によく使われるような、なんの変哲もないありふれた鍵である。

 クロードは手にしていたパンの最後の一欠片を――まだ持っていた――一気に口に含み、手についた食べかすを払って、箱の中の鍵を取り上げた。

 特徴のないその鍵を、彼はためつすがめつ眺めまわした。

「ん?」

 クロードの片眉が吊りあがった。

「魔力を帯びているな。微弱だが」

「ええ。一見ごく普通の鍵ですが、ほんの僅かに魔力を帯びています」

 宰師長が頷く。

「鍵そのものに魔法がかかっているのではないな。おそらく、この鍵の差し込み穴のあるもの――扉か箱か、そちらにかかった魔法の名残りだ」

「そこまでお分かりになりますか。いやはや、私では分かりませんでした。お見事です」

 感心した宰師長は、クロードに会釈する。

「宰師長殿、これは一体何の鍵です?」

 マルクの問いに、宰師長は力なく首を振った。

「申し訳ないのですが、私も他の宰師も、この鍵の正体を知りません。私がこの司堂に赴任した時には、すでにここにあったものです」

「あなたがベイルゼンに、というと、十年前にはもうあったわけですね」

「はい。その頃は、隊長殿もご存知の通り、宰師の入れ替え時期でしたから、この鍵についての事情を知る者も、きっと別の司堂に異動していたのでしょう。司堂内のどこかの鍵かと思い、あらゆる扉や鍵穴付きの箱を調べましたが、どれにもあてはまりませんでした。当司堂において、用途不明の品は、これしかありません。しかし、このようなものが狙われるとは、とても思えないのですが」

 


 三人の大人達が鍵についてあれこれ話し合うのを、リオンは少し離れたところで見守った。あの鍵をバーラムが、いや、バーラムを操っていた何者かが欲しがっているのだろうか。

 足元を黒いものが通り過ぎた。喋る黒猫だ。猫はとことことフィオの方へ駆け寄り、彼女の側にある花瓶台に飛び乗った。

「ゼファー、どこに行ってたの?」

 フィオが尋ねると、猫は大口を開けてあくびをした。

「小便。で、なにか分かったのか?」

「あの鍵が、今回の襲撃の原因じゃないかって」

「あんなのが?」

「教授は、鍵が魔力を帯びているって仰ってるわ」

「まあ、たしかにちょびっと魔法の匂いはするけどよ。そこらの倉庫の鍵にしか見えねぇぜ」

 フィオと黒猫が、ごく普通に会話しているのを、リオンは不思議な気持ちで見つめた。

 すると、そんなリオンの様子に気づいたフィオが、黒猫を紹介してくれた。

「あ、リオン。この子、教授の従魔ヴルでゼファーといいます。ゼファー、こちらの方、ベイルゼン警備隊員のリオン」

「ヴルっていうと、魔導師の使い魔だっけ」

 改めて黒猫を見る。猫は伸びをしながらあくびをしていた。見た目はまったく普通の猫と変わりないが、従魔は自由に姿を変えられるというから、この猫にも本来の姿があるのだろう。

「そうです。この姿は化身で、この子本当は……」

 フィオの説明を、黒猫ゼファーが遮った。

「おっと。その先は言うんじゃねぇよ。正体ってのはな、そんな簡単に明かすもんじゃねぇんだ」

 愛らしい外見に不釣合いな、ちゃきちゃきした喋り方である。声も青年のように若々しい。

 ベイルゼンでは旅の魔導師でさえ見かけることが稀だ。ましてや従魔ヴルは初めて目の当たりにした。リオンは好奇心で触れてみたくなって、そっと黒猫に手を伸ばした。しかしその手を、黒猫のふわふわした前足が払う。

「気軽に触ろうとすんじゃねぇよ。なでなでなんかされたら、雄の沽券に関わるだろ」

「あ、ごめん」

 伸ばした手を引っ込めた時、低い歓声のような声が聞こえた。マルク達だ。

「ほう、これはなかなか」

 クロードは箱を開けた状態のまま、窓から射す光にさらすように掲げ持っていた。マルクと宰師長は、興味深い眼差しで、床を見ている。

「どうかしたんですか?」

 リオンが尋ねると、マルクは自分が見ている床を指差した。

「これを見てみろ」

 マルクの指が示す先を、リオンとフィオは目で追った。すると……。

「あ……」

 フィオの口から、小さく声が漏れた。

 光を受けた箱の蓋の影が床に落ち、そこに文字を浮かび上がらせていたのだ。木材製の箱で、透明な素材を使用している箇所もないというのに、である。

「これは、どういった仕組みなのでしょう」

 宰師長は首を傾げた。

「フィオ、読め」

 クロードの短い命令に、フィオは頷いて、床の上の文字の側に膝をついた。

「『〈余寒の第三月〉、五日。クシオより、サティーナへ贈る』。プレゼントでしょうか」

「ふん。どこのどいつか知らんが、なかなか洒落たものを用意したものだ」

 クロードは鼻を鳴らす。

「これ、浮かし彫りだね」

 リオンは懐かしくなって、思わずそう口にした。その一言に、マルクが珍しそうに片眉を上げる。

「浮かし彫り? それはなんだ」

「隊長は知りませんか? やり方は秘密らしいんですけど、こんな風に光に透かすと、文字や絵が浮き上がるような技術があるんです。僕、ずっと前に見たことあります」

 それは亡き父の所有物の一つであった。若い頃に各地を旅して回っていた父が、旅先で買った物だった。こちらは箱ではなく、帳面ほどの大きさの木の板で、光に透かすと風景画が浮かび上がる仕様だった。

 リオンはその浮かし彫りの絵が好きで、父によく見せてもらった。ちょうだい、とねだったこともあったが、父は「大事な贈り物だから」と、譲ってはくれなかった。代わりに別の浮かし彫り工芸品を買ってやろう、そのときは一緒に買いに行こう。父はそう約束してくれたが、その約束が果たされる前に死んでしまった。

 父が大切にしていたその浮かし彫りは、父と共に埋葬し、もう手元にない。

「浮かし彫りの技術は、そんなに広く伝わってないそうですよ。この地方だと、隣のカナン領に技術者がいると聞きました」

「では、行ってみるしかないな。手がかりは少ないのだから、どんな些細なことでも調べてみなければ」

 頷くマルク。すると魔導師が、

「よし分かった。とりあえずカナンに行けばいいわけだな」

 箱の蓋を閉じ、そのままコートのポケットにしまい込んだ。それをマルクが見咎める。

「待ちたまえ。なぜ君がその箱を持つ。そして、なぜ君までカナン領へ行こうとするのだね」

「分かりきったことを。この一件は俺が引き受けた。あんたらは何もしなくていい、ということだ」

「だから、どうして君が、我々の町を襲ったバーラムの正体を暴こうとする。君は、我々を救ってくれたが、だからといって我々のために事件の真相まで調べる義務はないだろう」

「当たり前だ。誰があんたらのために骨を折るか。俺がやると言ったらやるのだ」

「意味が分からないぞ。我々としても、このままよそ者の君に後始末をまかせるなどできん」

「頑迷なおっさんだな。これならどうだ」

 クロードはコートの内ポケットから、メダルのようなものを取り出し、マルクの鼻先に突きつけた。

 一振りの杖に、二匹の蛇が絡みついた、奇妙なデザインの金のメダルだ。

「それは」

 宰師長が驚いて目を見開く。

 クロードはメダルを掲げたまま、不敵に笑った。

「この一件、バーラムを操る技術を持つ何者かが裏にいる。非常に危険で厄介な相手だ。よって魔導協会〈アルジオ=ディエーダ〉が、正式に調査を引き受けた。どうだ、これで文句あるまい」


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