心のままに
クロードとスタンウッドは、玄関ホール側の西棟と東棟とをつなぐ連絡通路で鉢合わせた。
通路の端と端で、互いの影を確認すると、同時に足を止め、そして同時に歩み寄った。
「君は本当に落ち着きを持たないな。私が仕事を終えるのを、おとなしく待っていればいいものを」
「あいにく、待つよりも攻める方が性に合っていてな。それに、俺がいなければ盛り上がらんだろうが」
「まあ、それもそうだ」
言葉が途切れるや、双方は同時に呪文を発動させた。
クロードの右手から稲光をまとう光が、スタンウッドの杖から闇の炎が放出された。二つの呪文は、双方の中間地点で衝突し、凄まじい爆発を起こした。
爆発の衝撃で連絡通路に亀裂が走り、壁と床が崩壊した。二人の魔導師は、瓦礫と共に空中に投げ出された。
しかし、どちらも慌てなかった。
クロードはドラゴン化したゼファーの背に着地。主を乗せたドラゴンは、翼を広げて上昇した。
「フェストール!」
スタンウッドの呼び声に応じた彼の従魔が、亜空間から現れた。スタンウッドの従魔は、首のない巨人であった。灰色の皮膚は毒々しい血管が透けて見え、両腕は踵に届きそうなほど長い。翼竜の翼と尾を生やし、自在に宙を舞う。
従魔フェストールは、その長い腕でスタンウッドを受け止め、大事に胸に抱えた。
二組の魔導師と従魔は、建物の上空に舞い上がった。灯りの点るセプトゥスの街並みが、眼下に広がる。そして、東棟の屋上から天に立ち昇る、光の柱も見えた。
「儀式は失敗のようだな、スタンウッド」
クロードは、誰の姿もないことを確かめた。捕らえられていたフィオが逃走し、敵がそれを追っていった、というところだろう。
もし成功していれば、途中で光の中から外へ出ることはあるまい。外へ出てしまったということは、すなわち儀式の失敗を意味する。
「そうか。そうなるとは思っていたよ」
スタンウッドは興味なさげに、肩をすくめた。
「セルペンティアは、少し短絡的な嫌いがある。いくら〈銀の眷属〉とはいえ、自分なら〈アーリム〉の器になれると信じられる、その根拠はどこにあったのか。経験不足に傲慢さが加わって、どうして成功するだろう」
初めから儀式などどうでもよかった。そんな口振りである。
「お前はとことん思考が偏っているからな。ある意味一途で感心するよ」
「それはどうも」
スタンウッドが赤い雷を放った。クロードは右手に衝撃吸収魔法を発動させてそれを受け止め、左手に溜めた魔力の塊を撃った。
スタンウッドは杖で魔力弾を絡め取った。そのまま杖を一振りし、魔力弾をクロードに撃ち返す。
スタンウッドの魔力が加わり、威力の増した魔力弾は、二倍の大きさになっていた。
クロードは魔法障壁で魔力弾を弾き飛ばす。弾かれた魔力弾は、支部館の一角に直撃し、大破させた。
「おい。バーラムのお友達は呼ばんのか」
「バーラムなら、すでに下で働いている。君を痛めつけるのは、私の仕事だ」
「俺の記憶が間違っていなければ、お前にはここまでの力はなかったはずだが。誰に入れ知恵されて、そんな分不相応な力を手に入れた」
スタンウッドの肩が揺れる。嗤っているらしい。
「入れ知恵、ね。まあ、そういうことにもなるかな。最終的には自分で望んだ力だ。満足しているよ」
「許容範囲を超えた力を得るということが、どういうことか分かっているだろう」
「もちろん。だが、力と真理の探求こそ、我々魔導師の宿命ではないか。魔導師ならば誰しも、大なり小なり力を欲するものだ。君には分かるまい。元から力に恵まれた君には」
離れていても、スタンウッドの憎悪の眼差しが、刺さるほどに伝わってくる。
クロードは、自分が力に恵まれた人間だと思ったことはない。確かに、万人以上の魔力を有している、という自覚はある。常に従魔を側に従えているのが、いい証だ。
通常従魔は、魔導師に召喚されるまでは実体を亜空間に隠したままで、意識だけを主の側に控えさせている。従魔を召喚している間も魔力が使われ続けるので、魔導師は従魔に与えた仕事が終わると、すぐに亜空間に戻す。
しかし、抜きんでた魔力の保有者の中には、常時従魔を従えさせている者もいる。従魔を側に置いていても、魔力を極力消費しない工夫がなされているからだが、クロードの場合は違う。
クロードは従魔召喚には、全く魔力を消費しないのだ。これがどういう原理によるものかは、クロード自身も、また従魔のゼファーにも分かっていない。ただ、その代償なのだろうか、ゼファーを亜空間に送り込むことは出来ないのである。
彼のような魔導師は、他に類を見ない。協会はなんとかクロードの魔力のあり方を研究しようと試みたが、彼がそれを許可するはずがなかった。
当然のようにクロードは、羨望と嫉妬、両面から注目を浴び、その破天荒な言動も手伝って、協会でその名を知らぬ者のない有名人になってしまった。
本人は、それを毛の先ほども望みはしていないのだが。
「俺が恵まれている、か。言ってくれる。こっちにはこっちなりの苦労があるのだ。お前のように一方的に妬む奴がいるわ、勝手に信者になる奴がいるわ、俺にあやかろうと私物を盗っていく阿呆がいるわ、身体に秘密があると疑って着替えを覗く変態がいるわ。そういう連中を、いちいちしばき倒す労力も惜しい。お前といい、そいつらといい、うちの協会は変態だらけだ!」
「お前もな」
すかさず一言挟むゼファーに、クロードは拳骨を見舞った。
「何にせよ、お前は道を外した。死に際はろくなものではないと覚悟することだな」
「充分承知の上さ。もしや私に気を遣っているのかね?」
「お前に気を遣うくらいなら、統括部の肩揉みする方がマシだ」
「それでこその君だよ」
二組の魔導師と従魔は、再び戦闘態勢をとった。
*
茜空に紺色が滲み、星が一つ二つとまたたき始めた頃。
町の家々に明かりがともり、セプトゥスの住民達がそれぞれの住まいに帰宅している。そんな中を、一台のブリッターが、矢のように疾く駆け抜けていく。
ブリッターが珍しくないセプトゥスの人々は、その一台には注意を払わなかった。しかし、ブリッターが通り過ぎるのを何気なく見送った幾人かは、その行き先の向こうで、奇妙な光の柱が天に立ち昇っている様を見た。
位置からして、魔導協会の建物から光が発せられているのは、容易に見当がついた。
魔導師達が、何かの魔法を行っているのだろうか。皆はそう考えた。
だが、セプトゥスの協会が、大々的な魔法を行ったことは、未だかつてなかった。
一体何が起きているのか。光に気づいた人々の胸に、徐々に不安が広がっていった。
*
セプトゥスにやっと戻ってきた時には、リオンはブリッターの速度に慣れていた。ビークルの操縦は、頭で考えるのではなく、身体で覚えるものだと理解した。
町の人々の頭上を越え、飛空船港の丘を越え、眼前に古びた城が見えた時、リオンは安堵のため息をもらした。
が、それも束の間。リオンは建物の屋上から光の柱が伸びていることに気づき、心臓がばくんと跳ね上がった。同時に左目に痛みが生じた。
(あれは……)
安堵から一転、不安と畏怖が身体中に染み渡る。
厭な予感しかしない。支部で良くないことが起きている。
リオンはブリッターの速度を上げ、ほとんど突っ込むようにして、協会支部の敷地に入った。
ほどなくして、敷地内に奇妙な出で立ちの集団が蔓延っているのが分かった。
黒いローブに奇妙な覆面を被った連中は、ブリッターに気づくと、武器を手にして追いかけてくる。
さすがに人間の足ではブリッターに迫れないが、先々で出くわす黒ローブ達が、次々と追跡に加わるので、結果的に大人数で追われる形になった。
(この集団って、ひょっとして……〈アーリマン〉!?)
痛む左目を左手で押さえているために、片手での操縦を余儀なくされているリオンは、ハンドルの制御を失うまいと必死になった。
追っ手を振り切ることに没頭し、片手操縦のまま、リオンはむちゃくちゃにブリッターを飛ばした。
その甲斐あって、どうにか追っ手を撒くことは出来た。しかし速度を落とすことを失念していた。気づいた時には、建物の壁が、すぐそこまでに迫っていた。
(マズい!)
慌ててブレーキをかけるが、勢いのつき過ぎたブリッターは、止まってくれなかった。
ぶつかる。リオンはぎゅっと両目をつむった。
その時、襟首が何かに引っかかり、リオンは宙に吊り上げられた。
操縦者を失ったブリッターは壁に激突し、凄まじい破壊音と共に大破した。
「間一髪だったねえ、危なかった」
頭の後ろから聞き覚えのある声がして、リオンはそちらを振り返った。襟首をつかんでいるものの正体が視界に入る。それは馬と思しき生き物だった。つかまれているのではなく、馬の口が襟首を咥えているのだ。ただの馬ではない。なにしろ宙に浮いているのだから。
馬の頭の陰から、眼鏡をかけた青年が顔を出す。
「ヨナスさん!」
ヨナスが駆る馬は、そっとリオンを地面に降ろした。ヨナスもまた、馬の背から降りる。
「驚いたよ、まさか君だったなんて」
ヨナスは頬を紅潮させ、興奮気味に言った。
「ヨナスさん、その馬は?」
庶務室長の背後に凛と立つ馬は、海のように真っ青な、美しい毛並みの戦馬だった。通常の馬にはありえない毛色と、額にも目玉が一つついていることから、ただの馬ではないことは明らかだ。
「彼女は僕の従魔のアークエッジ。って、紹介してる場合じゃないよ! 一体どうしたんだいリオン君。こんな大変な時に戻ってくるなんて」
よく見ると、ヨナスはあちこちぼろぼろだった。切り傷、打ち傷の痕もある。
「君は戻ってきちゃいけなかったんだ。今ここは〈アーリマン〉の襲撃を受けているんだよ」
やはりそうだった。
「ヨナスさん、何が起きたのか教えて下さい」
左目の痛みは治まらない。胸を占める厭な予感も、一向に薄れない。
ヨナスは簡単にだが、要所要所をきちんとまとめた説明をしてくれた。
もっとも衝撃的だったのは、マリエットの正体が〈アーリマン〉だったことだ。知らなかったとはいえ、最初にマリエットを連れて行こうと言い出したのは自分だ。リオンは軽率な判断をしたことを後悔した。
「ごめんなさい。僕が悪いんだ」
「いや、事情が事情だ。君に責任はないよ。それより後悔している暇はない。〈扉の石〉の力で、外次元と内次元がつながったままになっている。これを何とかしないと、大変なことが起きてしまうよ」
「でも、儀式は失敗するって言いませんでした?」
リオンはそう口にしたが、本能的にヨナスが正しいことを察していた。
「たとえ〈アーリム〉の魂の召喚には失敗しても、別の“何か”が降りてくる可能性があるんだよ。それがどういうモノかは分からない。ひょっとしたら、〈アーリム〉以上に危険な存在かもしれない。〈アーリム〉ほどではなかったとしても、その“何か”が、僕らにとっては障害になることに変わりはない」
「どうすれば、あの光を消せるんですか?」
リオンの疑問に、ヨナスは苦悩の表情を浮かべた。
「それが……分からないんだよ。実際に〈扉の石〉を使って外次元への道を開いたことがあるのは〈アーリマン〉だけなんだ。だから協会側は、石の正しい扱い方を把握出来ていない」
「そんな……」
言葉を失ったリオンは、唇を噛みしめた。
「ヨナス様、敵の接近を感知しました」
青い戦馬アークエッジが、口を動かすことなく言葉を発した。引き締まった姿に似合う、凛とした女性の声だ。
「他の従魔達と交信しましたが、我々の方が劣勢のようです」
「やれやれ、多勢に無勢って、本当に嫌だね。クロードにばかり頼っていられないし、アークエッジ、もうひとふんばりだ」
慣れた所作でアークエッジの背にまたがったヨナスは、リオンに手を差し伸べた。
「君も乗って。安全な所に避難させるよ」
リオンはヨナスの手を取らず、首を振った。
「僕、フィオと教授のところに行きます。上の階にいるんですよね」
「駄目だ、君は〈碧〉のカドモン・ティタニールなんだよ? 君の素姓が敵に知れたら何をされるか」
「そんなこと言ってられない。バレたら……その時はその時です」
仲間が上で戦っている。なのに自分だけ逃げるなんて出来ない。
リオンはヨナスの制止を振り切り、走り出した。
ヨナスは、クロードとフィオは上の階にいる、としか言わなかった。彼も二人の正確な居場所が分からなかったのだから、当然である。
けれど、リオンには分かった。支部館内を走りながら、どの方向へ行けばいいのか、考えなくても読めた。
フィオだ。同じカドモン・ティタニールだからなのか、フィオがいるであろう場所が、リオンには分かったのだ。
見えない糸のようなものが、リオンとフィオをつないでいるようで、彼女の存在が身近に感じられた。その糸をたどるように、リオンは駆けた。
フィオは今、危険な状況にある。助けなければならない。
自分にフィオを救うことが出来るだろうか。走りながら、理性が問いかけてくる。
戦う力のないまま敵と対峙しても、フィオを助けるどころか、返り討ちに遭うのが関の山だろう。
だがリオンは、理性ではなく、己の心に従った。
どんな目に遭ったっていい。仲間を見捨てるくらいなら、そんな自分は死んだ方がいい。
見えない糸に導かれ、リオンは走り続けた。徐々にフィオの存在感が強くなっていく。
最後に長い廊下を駆け抜け、リオンはとあるテラスに躍り出た。
何も考えていなかった。
ただ目の前に、フィオがいたから。彼女が倒れ、苦しそうに息をしていたから。
そのフィオの前に、女がいた。女の手の中には、煌々とした魔法の球体があり、女はそれをフィオに放とうとしていた。
リオンは心の思うままに、フィオと女の間に身を投げ出した。
女の放った魔法が、こめかみに直撃した。
一瞬にして全ての感覚が消えた。吹き飛ばされたリオンは、そのまま地面に叩きつけられた。
不思議と痛みはなかった。全身痛んで当然なのに、どこも痛くない。
痛くない代わりに、身体は動かなくなった。小指一本すら、ピクリともしない。
何も聴こえず、何も感じない。
ぼやけた視界に、黒い髪が映る。誰かがそこにいる。何か言っているようだが、耳の潰れたリオンには聞こえなかった。
寒気がする。視界が暗くなっていく。どこかへ落ちていく感覚を覚えた。
あとはもう、分からない。




